今日を生きる。
洗濯物を取り込むときの青空と雲の流れが綺麗で、ああ自分は死ぬのだと思いました。妄想知覚ではありません。と否定すると益々妄想然としてきますがそういうことではなくて、ただ自分の命がいつか終わりを迎えるという不可避の事実を、急に意識する瞬間があるのです。
それは事故かもしれませんし、病気かもしれませんし、予測することは困難です。じわじわと忍び寄る可能性もあれば、突然迎える可能性もあります。
前世や来世や魂を肯定したところで、この自分が終わりを迎えることには変わりありません。死後の世界を説く思想の多くは、決定的瞬間を経てなお「自分が自分として存在し続ける」かのように振る舞います。地獄の苦しみは恐ろしいでしょうか。いいえ、本当に怖いのは自分という存在の消失です。
私は魂の存在を肯定的に捉え、命を命たらしめる何かが存在すると考えます。医師として多くの命に触れ、見送る中で、そう考えずには説明のつかないことを幾度も経験してきました。しかし脳という物質に蓄積される情報は、物質界を離れて持っていくことは困難でしょう。残留思念のような霊障に遭遇することもありますが、誰もがそうなるわけではありません。
彼岸と此岸は、夢と現実に似ています。
その境界は曖昧で、しかし絶対的です。
人の寿命は儚い。
一瞬の夢のようなものです。
果たしてどちらが夢で、どちらが現実か。
心残りは家族のことと、志半ばの目標のこと。それから日々関わる方々と、これを読んでくださる方々のことです。例えば数日、あるいは一週間、もし音沙汰がなければ何か起きたのかもしれません。そんなことを想像します。いいえ、具体的な予知があったわけではありません。ただ記しておきたい心情だったのです。
それは生きている限り、万人に起こりうることです。
何があろうと、何もなかろうと、
今日を生きるしかない。
その覚悟があると、命は一層眩く輝きます。
乱文に最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました。願わくは、貴方と貴方の大切な人が、いつまでも幸せでありますように。
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