カラー 《詩》
「カラー」
ほんの些細な挫折で目の前が
真っ暗になったり
誰かの一言が胸の奥深くを貫き
足元の地面が崩れ落ちる
そんな思いをした事って
あるだろう君にも
若い頃はそうだったかもしれないね
僕だって今はともかくとして
若い頃は そんなにしょっちゅう
他人の気に障る事をして
生きて来た訳じゃ無いよ
今となっては そんな事くらいで
思い悩む事自体が阿呆らしい
そう思うんだ
「お前はゴミだ お前はクズだ
此れはカスだ」
そう誰かに言われたところで
そうなんだ そう思われてるんだ
其の程度の事で深く傷付き
動けなくなる様な事は無い
もちろん僕も普通の心を持つ人間
だから傷付かない訳では無いけど
側から見てると 批評家の様に
あれこれと
悪いところや歪にゆがんだ部位
のみを取り出し掲げて罵倒する奴等
の方が賢くてクリエィティブに
見えるから不思議だよね
そう思わないかい
何度もそう言う経験をしてくれば
また同じ事じゃねーか
其れで済んでしまう
此れは良く言えば
タフになったと言えるし
悪く言えば僕の中にある感受性の
ナイーブな部分が摩耗し欠落して
行ったのだと言えるよね
良し悪しはあるんだけど
傷付くよりは傷付かない方が
良いに決まってるだろう
それから 話しは変わるけど
前もって意図的に作られた
カラーと言う物は
だいたいにおいて
不細工で使い物にならないで
終わる事が多い
其れはその物自体の内面から
自然に滲み出て来るものとは
異なるからだと思うんだ
ようは見え透いたカラーだって
事だよ
少年達は其処にFUCKと筆を
したためるんだ
FUCKはFUCKでしか無い
からだよね
本当に正直だよね
そう特に悪い少年達って訳じゃ無い
誰もがごく普通の絵に書いた様な
中産階級の家庭で育った子供たちだ
僕は子供たちの書いたFUCKの下に
「月夜の晩にボタンがひとつ
波打ち際に落ちていた…」
そう詩的に格好良く
中原中也の詩をしたためたんだ
完璧だね
明日此処を訪れた特には
僕の書いた中也の詩の上に
FUCK YOUと書かれているだろう
賭けてもいいよ
きっと書かれてる
それは中也に対しての
FUCKでは無い
其れを書いた僕に対しての
FUCKだ
悪いな…子供たち
僕はそう言う人間なんだ
詩人なのさ
誰か一人でも良いよ
僕の事を
FUCK’N GREAT と呼んでくれ
… Fワードだらけの文章だね
まぁ 良いんじゃないかな
こんな事
書いてる奴なんて居ないから
それじゃあ 話を戻そうか
あんた詩を書いてるんだって
批評家じゃねーんだろう
だったら口は閉ざして
手を動かしなよ
詩人だって言うのなら