生き延びるためではなく、楽しいから学ぶ。『冒険の書』を読んで、手掛かりがつかめた気がした
最近、なんとなく、心がざわざわすることがある。
その一つが、子ども達の将来の事。子ども達が成長するにつれてて、むくむくと気になるようなってきたのだ。
小学校低学年くらいまでであれば、色んな事に興味を持つ息子の、キラキラした様子をみて、「すごいね~!」と一緒になって驚いたり、発見したりしていればよかった。
しかし高学年になってくるにつれて、いわゆる、おべんきょう、のことが、どうしても気になってしまう。
息子たちは健康で、好きな事もある。私から見ると毎日キラキラと楽しそうに生活している。それだけで充分ありがたいことだと思っている。
でも2人とも、いわゆる私たちが思うようなお勉強を、積極的にするタイプではないので、なんとなく大丈夫なん???という不安がもたげてくるのだ。(上のお兄ちゃんの頭の中は、生きものや虫の事、ゲームの事でほぼ90%くらいのように見える……?)
きっと、いざとなったらやれる子達だと信じている(私は基本的に楽観的です…)。でも受験とかってなったら、きっと、ヤキモキするのは目に見えているし。
それに加えて、日本経済の先行きは不透明。世界もChatGPTなどAIの登場で、ものすごいスピードで価値観の転換が来そうな予感。
そういう空気感を感じると、やっぱり、子ども達の将来がどうなっていくのか「ふ・あ・ん」なのである……。
そうは言っても、それは彼らの人生。
私がどうにもできるものではないし、基本的には彼らが切り拓くものだ。私はサポートに徹するのみ。それは分かっているけど。
周りには、中学受験に向けて週3,4日塾に行って、頑張っている子がいる。英語が好きで、頑張っている子がいる。
比べてはいけないと分かってはいるけど、ちょっぴり不安になる。
「生き延びる」という言葉の裏にあるもの
「こんな感じで、息子達が将来、生き延びていけるのか、なんとなく不安なんです……」
そんな話をしていたら、とある信頼する方が、猛烈に孫泰蔵さんの『冒険の書 AI時代のアンラーニング』を進めてくださった。
お子さんが不登校で悩んでいた時に読み、とても助けになった本なのだという。
「息子君は自分に必要ないことを判断できて、すごいじゃない!センスあるんじゃないかな。もしかしたら、そもそも生き延びるとか、生き残るとか、そういう発想自体が古くなっていくのかもよ」
なるほど……。
確かに、生き延びるとか生き残るという言葉の裏は、自分の子は生き残るけど、その他に生き延びられない子がいるというニュアンスがある。とっても違和感があるコトバだ。自分の子だけ生き延びても仕方がないのだ。子ども達、みんなが幸せに生きることが当たり前であって欲しい。そうあるべきだろう。
世の中では、よくこの言葉が使われて、不安を煽られることが多い。いつの間にか自分にもしみついてしまっていた。本当にこのままでいいのだろうか。
私は、自分自身の考えを切実にアップデートする必要を感じて、孫泰蔵さんの『冒険の書 AI時代のアンラーニング』を手に取ることにした。
能力主義は、ある意味信仰である
『冒険の書』は、普通の本とは一味違った構成になっている。
最初は、父から子どもにあてた、読み応えのある手紙からはじまる。
そして、孫泰蔵さん自身が、感じた学校教育への素朴な疑問や違和感を、根本から問い直しながら結論に導いていく。孫泰蔵さんからの、子ども達へのエールが詰まった本だ。
例えば、
「なぜ子どもは学校にいかなければならないのか?」
「なぜ、頑張って勉強をしなければならないのか?」
「なぜ好きな事をしたまま大人になれないのか?」
過去の思想家、哲学者、教育学者などの書籍から、子ども達の現在の教育が、どのようにして今の姿になったか重要な転換点を、過去から追えるようになっている。
内容はぎっしりと詰まっていて読み応えがありつつも、もともと孫泰蔵さんのエッセイから作られた本ということで、物語調で読みやすい。
私は特に、”第3章「考えを口に出そう」なぜ大人は勉強しろっていうの?”
が印象に残った。特に「メリトクラシー」を批判する箇所だ。
「メリトクラシ―」とは、社会における人間の地位や価値がその人の能力によってのみ決まるべきというものだ。もともとこの概念は、かつての社会的地位が家柄によって決まる社会に反対する考え方として、機会の平等を前面に押し出して作られた考え方だという。
しかし、その「メリトクラシー」がみんなを幸せにするどころか、最終的にはほとんどの人を不幸にする可能性があるという。そしてメリトクラシーの究極の存在が人工知能であるというのだ。
孫泰蔵さんは、この世界にはびこる能力信仰とメリトクラシ―を批判し、メリトクラシーを越えた新しい社会をつくらなければならないと考えている。その理由はこうだ。
ちなみに、この本は子どもを自分の思う通りに育てようとする大人のための本では決してない。
あくまでも、子ども達のための本だ。
どう世界を変えていくか、どう、この世界をのびのびと楽しんで生きていくか、そういう孫さんのメッセージを感じられる本。
考えさせられる部分も多かったけど、すんなりと共感できる部分も多かった。
生き延びるためではなく、楽しいから学ぶ
この本を読んで、子ども達がどうこうというより、まずは自分の考えをアップデートさせたほうがいいなと思った。
タイトルにもある「アンラーニング」とは、自分が当たり前だと信じていることを、根本から問い直し、学びほぐして、考え方を立て直すことなのだという。
能力信仰的なところ、確かに自分にもしっかりと根付いてしまっている。だからこそ、子ども達を見て不安になったりするのだろう。
でも、確かに思い返すと、受験のときは、いつも一刻も早く解放されたいと思っていた。会社員だったとき、常に評価されることに少しずつ傷ついていたのは自分自身でもあった。好きなことがしたい、自由になりたいと思っていた。
正直なことを言えば、それで会社員を辞めたというのもあるのだ。ある意味、ドロップアウトした経験もあるので、能力信仰の苦しさがわかるな、、と思う。
AIが変える世界は一体どうなるのだろう?その点は、この本では詳しく説明されていないので、やや不安が増えた。この辺り、もう少し詳しく知りたいなとも思った。
でも、AIが変える世界は、私の手でどうにかなるものではない。
ならば、私にできることは何だろう。
自分が変えられることに集中するしかないと思い至った。それは不安を捨てて、毎日を楽しんで生きる事。今日も命を与えられたことに感謝する事。AIがどんなに優秀になったとしても、自分自身を磨いていく努力は、やめないでいたいと思う。
また、メリトクラシーがこの世界の格差を助長してしまい、子ども達を能力主義という点で追いつめているとしても。学校という枠を越えた、「学ぶ」楽しさは本物だと思うのだ。
私自身は、「学ぶ」ことが純粋に好き。それは、自分の考えをアップデートし、世界が広がる感覚があり、自分を磨いていける気がするから。純粋に「学ぶ」と、できることが増える、自分が変化するという感覚がうれしい。
だから、学んで自分をアップデートさせることは、メリトクラシーうんぬんに関わらず、やり続けるんじゃないかなと思う。
その動機は、あくまでも、生き延びるためではなく楽しいからでありたい。
ちなみに、最近、周りで不登校のお子さんがいて悩む友人、知人が多い気がする。
子ども達の環境や実態と、学校が合わなくなってきているのだなと、肌感覚で感じる事も多い。
そんな親御さんにも、きっと何かしら役立つ本なのでは、と思ったりした。