「走ること」と文章を書くことの相性は、とてもいい
先日、朝ランをしてきた。
といっても、景色を楽しみながら走り、少し疲れたなと思ったら、歩く。無理はしない派だ。走りながら、ふと「走ること」と文章を書くことの相性はとてもいいのでは?と思った。
例えば、村上春樹さんも走る人だ。アスリートであり、文筆家でもある為末大さんも、「走りながら考えること」が好きなのだという。
走ることや歩くことは、思考を深めるきっかけになるらしいと、色んな人たちが言っているのは知っていた。そうなのか!?とは思っていたけれど、自分でやってみたことはなくて、実感はまだなかった。
でも、今年の春から、ジョギングをはじめた。
実のところ、これま自分自身が、走れるだなんて思ってもいなかった。身体は今よりも重かったし、走るとすぐ動悸がしてしまう。随分運動から遠ざかっていたのだけど、1年ほど続けたピラティスのおかげで身体がだんだん軽くなり、そうしたら、不思議と「走れるかも?」と思うようになった。
それで、昔、長距離をしていた義理の妹のジョギングに便乗させてもらうことにした。アップの仕方から、ダウンの仕方、季節の花を愛でながら走るおすすめコースまでアレンジしてくれる。
妹のおかげで、初めてまだ数ヶ月だけど、走ることが習慣になった。そして、なんとなく、文章を書くこととの相性の良さを実感しはじめている。
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その日は、初めての朝ランだった。
特に、走ろうと思って早起きしたわけではない。うっかり締め忘れた扉から差し込む朝日が眩しくて、つい起きてしまったのだ。
起きたら、朝の6時から上の息子がIpadをしていた。次男や夫は、まだぐっすり眠っている。そこへ、ジョギングの神様がおりてきて「今、走るチャンスじゃないですかね」と囁いてきた感じだ。
「ちょっとお母さん、ジョギング行ってくるから。次男くん起きてきたら、すぐ帰ると言っておいて」
と言って、私は、次男に置き手紙までしたためた。次男は、朝起きて私がいないことがわかると、たまに泣くことがあるからだ。もう、そろそろ泣かないかな?と思いつつ、念の為、大げさにも置き手紙を書いた。
帽子をかぶって、スポーツドリンクを用意して、ワイヤレスイヤホンとタオル、スマホを小さなカバンに詰め込む。
家を出るとき、ふと、つまらない大学の講義をこっそりと抜け出す大学生のような気持ちになった。
決して今の家や家族とすごす日常が、つまらないわけではないのだけど、朝ランは、どこか手軽に得られる非日常のような感じがする。
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早朝の街は静かでいい。
車も殆どいないし、鳥のさえずりが聞こえて、朝日の光は独特の色と輝きで、お早う感を伝えてくれる。
とても不思議だなと思うけれど、見るもの全てが朝のものになる。走っている用水の脇に植えられた桜の木は、その葉の間からこぼれる光の感じで、紛れもなく朝の木になる。
ついこのあいだ走った時には満開だったアジサイの花たちは、その存在に気が付かないほど一様に枯れて、ひっそりと息を潜めている。
代わりに蝉がすごい勢いで、ジージーとないている。
ランニングしていると、突然に、景色がこの世のものとは思えないほどに美しく見えることがある。用水の水が柔らかくサラサラと流れ、水の僅かな起伏に日の光がきらきらと舞う。
イヤ、この表現では、この感じは正確には伝わらないな……。何かもっと別の表現はないか?一体どんなふうに表したら正確に伝わるのだろう……と走りながら考えたりする。その言葉選びの過程が好きだ。永遠にゴールのない作業のような。
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そういえば、最近、少しだけ文章を書く情熱が薄れたなと感じていた。
これまでは、泉のように書きたいことが、こんこんと湧いてきたような感覚で、書くのが追いつかないほどだった。けれど、急に、その泉が枯れたのだ。何がキッカケかもよくわからない。
noteだって、そこまで頻繁に書いていたわけでもない。でも、2年ほど仕事で、ずっと一生懸命に書いてきて、少し疲れたのかもしれないし、休みたい気持ちがするのかもしれない。
今年はnoteを50本書くことを目標にしていたけれど、こないだの記事で、それも、もう書き終えてしまった。
どうしても書きたい!と思うことがなければ、少し休んだっていい。「書きたい」という情熱が戻ってくるまで、ゆっくり待てばいいのだ。きっと、また「書きたい」が戻ってくる予感はある。
でも、いつ戻ってくるんだろう?などと焦ってしまう気持ちもある。いっそ、すっぱり書くことは辞めて、新しい仕事を始めてもいいかもなとも思う。
そんなふうに思っていた所に、私のnoteの記事を読み、すごく心のこもった感想をくれた方がいた。面識の無い私に、そのようなコメントをくれるなんて、随分と心に響いてくださったにちがいない…と素直に嬉しくなる。感想をもらえることが、一番文章を書いてよかったなと思う瞬間だ。
そんなふうに言ってくれる方がいる限り、まだ少しずつでいいから書き続けてみようか……。ずっと走る必要はなく、今だって走ったり、歩いたりしているのだから。
そんなことを、とりとめなく考えながら走る。
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そういえば、これまでも、歩いたり走ったりしながら、文章の良いアイディアが生まれたことがあった。
今書いている文章で、本当に言いたいことはなんだろう?と、考えながら走るのは楽しい。不思議と深い思考に入っていけるような気がする。ああ、実は、こう思っていたのかと、深く自分の心の中にダイブしていく。ただ机の前に座っているのでは出てこなかった、思考の回路が生まれる感覚がある。
雨降り続きで、しばらく走れなかったのだけど、久しぶりに走ったら、もしかして走ることは、思った以上に私にとって、必要なことなのかも知れないなと気づいた。
それに、また、こんなふうに書きたい!と思う気持ちが出てきた。
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もしかすると、他のnoterさんたちや書く人も、私にとっての「走ること」のように、何か相性がいいものをもっているのかもしれないな。そんなふうにも思った。そして、もしかして書くことにつまっている人がいたら、涼しい時間帯に、歩いたり、走ったりしてみるのもおすすめだなと思う。
実は、今回、走っていて、また一つ新しい目標をはっきりと自覚することができた。随分と感覚的なものなのだけど、これからは、これを一つの目標にしてみてもいいと思うようなものだ。
家に帰ったら、次男も夫も、まだ起きていなかった。
私の置き手紙は、そのまま机の上にポツンと置かれている。ほんの数10分の朝ランだったけれど、とっても大事な時間だったなと思う。
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