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ネクタイは何を縛るのか 20210720

俺はネクタイを着けるのが大嫌いだ。
ネクタイその物はカッコいい物もあると思うし着けたければ着ければいいと思う。
ただ大抵の場合、ネクタイは着ける物ではない。
着けさせられる物だ。

その証左に仕事終わりのサラリーマンはネクタイを緩めたり外す事がかなり多いだろう。
まさか家に帰って着けっぱなしだなんて人はいるまい。
職場等の場の要請によって初めて我々はネクタイを着けるのだ。

それでは"場"とは何を指すだろうか。
場そのものは人格を持たない。
場がマナーや常識を振りかざして我々にネクタイの着用を要求する事なんてあり得ない。

我々が場と呼ぶそれは、俺が思うに集団が一定の合意の基、共同的に作り上げた幻想空間だと思う。
例えばオフィスと呼ばれるその場だって、仕事をする人々がいて初めてオフィスになり得る。
何もなければ空っぽの部屋(空間)でしかない。
もし同じ空間に卓球台を並べればそこは卓球場になるだろう。
オフィスに集う人々はネクタイを着ける物だ、という共同規範を持つ者が集まればオフィスにはネクタイ着用の要請が生まれる。
(ネクタイ不要の会社はそれを選ばないために要請が生まれない。)

オフィスだけではない。
我々がネクタイの着用を要請される場は拡張する。
ネクタイを日頃着ける社会人は通勤時からネクタイを着用している。
つまりオフィスの中に入ったからネクタイを着けるという規範ではないという事だ。
また、仕事中に何か外出の用事があればその際もネクタイを外す事はない。

回りくどくなったが要するにネクタイを着ける事を要請されている間、我々はネクタイを着けるのだ。
(趣味で着ける場合はこれに限らないが。)
そしてネクタイ着用の要請はその集団が持つ共同規範の中、"場"から生まれる。

では何故ネクタイ着用を要請されるのだろうか。
もしくは要請されていると我々は受け止めるのだろうか。

ここではネクタイの文化的背景や歴史的背景に触れる事はしない。
俺が言いたい事はそこに結びつかないので。
そもそも詳しいことはWikipediaを読めばいい。

まずもって、ネクタイを何故着けるのかという疑問を抱く人間がどのくらいの割合いるのだろう。
俺はそもそもこの疑問に着目する人間の少なさがネクタイ着用の要請が幅を利かせている要因の一つだと考えている。

ネクタイは身体を温めない。
それにネクタイは社会通念上露出すべき身体部分を隠す事もない。
簡単に言うとネクタイを着ける事の機能的意味はほぼ皆無である。
それにも拘らず何の疑念も持たずにネクタイを着け続ける人間は非常に多い。
ネクタイは着ける物だと、そう教えられたから着けるのだ。
俺はその純粋さが恐ろしい。
こんな意味も無いものを何故着けるのかと考えないでいられる純粋さが。

勿論、何故こんな無意味な物を身に付けなければならないのだろうと思いながら着用する人も多くいるだろう。
この場合、彼等はネクタイ着用に疑問は持っていても、その要請が覆される事はないという諦めでネクタイを締めるのだろう。

ネクタイ着用の要請がある場でネクタイを締める事はその場の規範に従う事である。
郷に入っては郷に従えというやつだ。
ネクタイを締める事で場に対してある種の忠誠を誓う。
私はネクタイの要請を跳ね除ける様な異物ではないという事を暗に主張する。
また、立場によっては相手がネクタイを着用している事を確認し、"その"レベルの要請には大人しく従う人間である事を認識するかも知れない。

ネクタイは単なる装飾品だ。
それと同時に人々が勝手に作り上げた"場"へのパスポートになる。
俺はこのネクタイの機能とは切り分けられた"効果"がとても恐ろしい。
大袈裟に言えばこの場でネクタイを締めない者は人でないとすら見做されてしまう。
逆に言えばどんなに内心がヤバくてもネクタイを締めればその"場"では人でいられる可能性もある。

めちゃくちゃ長くなったが、結局何が言いたいかというと俺はネクタイを着ける事が嫌い。
で、ネクタイに疑問を抱かない奴もあんまり好きじゃない。
疑問を持っていてそれに反抗できない自分が情けない。
だけども、そういう人たちきっと他にもいるよね。
どうしたらいいんだろうねということ。

本質的には全然ネクタイに限った話じゃない。
例えば夫婦別姓の話とか。
昔からそうだからって理由で誰かの幸福を奪える理由になるのかって。
例えば運動会の組体操とか。
昔からやってるから今も一部続いているらしいけど、もっともらしい理由をこさえて無理矢理維持してるところあるよなって。
だいぶ話が飛躍したけどそういうネクタイ的な物ってめちゃくちゃ一杯あると思ってる。

で、"そういうもん"だからそういうもんに従っちゃう人間って結構愚かじゃないかと思う。
勿論そこには自分も含まれる。

意味があるからこそ長年続いているんでしょう?とか。
それって本当かな。
長年続いているけど実は意味無かったらどうすんの?
それが怖いから一度検証し直さない?って世の中になっていって欲しい。
だから俺は偏屈に思われたとしてもいちいち色んな事を疑って生きていくつもり。
何でも何でも覆していける程の豪傑じゃないのは認める。
でもチクチクと意味分かんねえって言い続けてやろうと思ってる。
自分が知らない間にできた当たり前や常識が俺の首を絞め落とす前に抜け出せる様に。

最後に。
このネクタイの歌超カッコいい。
あとサビの所が「醤油をピュって〜♪」って聞こえる。

今日はここまで。

Justin Timberlake / Suit & Tie

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