歌枕と旅②ー歌枕の地名紹介(京都編)ー
前回は、歌枕の成立について書きました。
「歌枕」とは、観念的な要素も含みつつ次第に特定の地名に固定されていくようになっていきます。
「歌枕」は名所が詠まれることが多いので、今でいう広告みたいなものだったかもしれません。
今回は、歌枕になっている地名を紹介したいと思います。
もし、近くにあったり、これから行く場所がありましたら、「歌枕」観点で訪れてみるのも面白いと思います。
1.宇治
わが庵は 都の辰巳 しかぞ住む 世を宇治山と 人は言ふなり
(古今和歌集・雑歌下・九八三・喜撰法師)
朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに あらはれわたる 瀬々の網代木
(千載集・冬・藤原定頼)
どちらも百人一首に入っています。
上は、「宇治」と「憂し」を掛詞と使っており、「つらい」の意味も込められています。
掛詞とは、語句に2つの意味を掛け合わせることです。
読み方が同じで意味が違うという、技法の1つです。
下の歌は、「宇治」とセットでとらえられている「川霧」「網代木」が詠まれています。
「宇治」といえば、これ!が定められていたのです。
ちなみに古今和歌集が作られたのは、延喜5年(905)で、千載和歌集が成立したのは、文治4年(1188)といわれています。
200年経つと、「宇治」の景物も決まってきたのでしょう。
200年と言えば、現在から考えると、幕末で天保の改革や異国船打払令の時期です。
確かに地名の概念が変わっていて、当たり前です。
そして、千載和歌集から約50年後に成立した新古今和歌集で、「宇治」はどうなっているかというと。
古今集で登場した「宇治の橋姫」が頻出します。
新古今和歌集は後鳥羽院が命じた勅撰集で、成立時期は諸説あるものの、承元4年(1210)以降です。
後鳥羽院は鎌倉幕府に対して承久の乱を起こした人です。
とても昔のように思えますが、歴史感覚で考えるとまだ短いような気がするのが不思議なところです。
このように、その和歌の成立年代を調べて比べてみると、変化が見えてきて楽しいです。
2.大江山
大江山 生野の道の 遠ければ まだ文もみず 天橋立
(金葉集・雑上・550・小式部内侍)
大江山は丹後半島の宮津市の近くにあります。
日本三景のひとつである天橋立もそばにあります。
大江山といえば、酒呑童子伝説が思い浮かぶかもしれませんが、この伝説の大江山とは別という説が有力です。
天橋立も歴史的に興味深いところで、何度も行きたいと思える場所です。
小式部内侍は、和泉式部の娘で、一条天皇の中宮彰子に仕えた女房です。
この歌は、最初にあげた「朝ぼらけ宇治・・・」を歌った藤原定頼に、からかわれたときに、見事に才知で切り返したエピソードがあります。
要約すると、こんな感じです。
定頼「歌がうまいと噂があるけど、お母さんの代作ではないか?使いはまだきていないのかな」
小式部内侍「母がいる丹後国は遠くて、まだ足を踏み入れていないし、文も来ていませんわ」
「ふみ」に「踏み」と「文」の2つの意味が掛けられていますね。
3.上賀茂神社
風そよぐ 楢の小川の 夕暮れは みそぎぞ夏の しるしなりける
(新勅撰集・夏・藤原家隆)
上賀茂神社には、実際にこの歌の石碑があります。
上賀茂神社・下鴨神社といえば葵祭で有名ですよね。
下鴨神社は、糺の森が古本祭などで有名ですが、ここも歌枕になっています。
脱線してしまいました。
「みそぎ」は「六月祓」のことで、川の水などで身を清め、穢れを払い落とします。
神道では、毎年旧暦の6月30日に六月祓=夏越の祓といって、その年の1月から6月までの罪や穢れを祓い落とす行事が行われました。
涼しくなってきて、秋の気配がするけど、「みぞぎ」が行われているから、まだ夏の証はあるよ、という意味です。
夏越の祓自体は神道の儀式の一部なので、上賀茂神社以外でも行われています。
また、藤原家隆は、新古今和歌集の選者の1人です。
長くなってしまいましたが、あなたのなじみの地名がありましたでしょうか?
毎日更新していきますので、またのぞきに来てください!