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大学受験の国語で出てきて未だに忘れられない本【徒然読書⑬】
忘れられない本ってありますか?
私にはずっと心に残っている本があります。
あれは高3の夏。
大学受験の2次で国語があったので、いつも通り問題を解いていました。
国語にはいろんな文章が取り上げられていて、ひとつひとつはもう覚えていません。
だけれど、ひとつだけ今でも内容を覚えている文章があるのです。
妙に納得して、また読みたいなと思える本でした。
大学4年でふと読みたい欲求が湧き上がってきて、探したけどなかなか見つからず、ポチりました。
4年後に読んでみると、また違う見方ができるし、どこから何を吸収するのかも変わります。
では、それはなんの本なのかといいますと。
中原敦『文字禍』です!
聞いたこと、読んだことはありますか?
中原敦は『山月記』で有名ですね。
ではなぜあえて『文字禍』を選んだのかを、私の言葉で説明してみます。
舞台はアッシリアのニネヴェ。
古代西アジア世界ですね。
中原敦の作品には、アジアの歴史を背景にしたものも多く、東洋史の造詣も深いと感じています。
では本題に入ります。
ナブ・アへ・エリバ博士が登場するのですが、王さまから「文字の霊による被害が起きているから調査しろ」といわれます。
本当に文字に霊があるのかないのかを証明するために、彼は1つの文字とにらめっこします。
一つの文字を長く見詰めている中に、いつしかその文字が解体して、意味の無い一つ一つの線の交錯としか見えなくなって来る。単なる線の集りが、なぜ、そういう音とそういう意味とを有つことが出来るのか、どうしても解らなくなって来る。
彼はこうした不思議な現象は、文字の霊によるものに違いないと結論づけました。
今は、文字の薄被をかぶった歓びの影と智恵の影としか、我々は知らない。
文字が普及して、人々の頭は、もはや働かなくなったのである。
文字の精共が、一度ある事柄を捉えて、これを己の姿で表すとなると、その事柄はもはや、不滅の生命を得るのじゃ。反対に、文字の精の力ある手に触れなかったものは、いかなるものも、その存在を失わねばならぬ。
文字は歴史を変えた発明と言っても過言ではありません。
だけれど、文字が発明されたからこそ、我々はものの本質を見失う。
なぜならば、目の前のものを○○という名前がつけられていると意識すると、その名前という文字に覆われたベールを通してしか、そのものを見れないから。
名付け、言語化の強力さは「歴史」にも現れています。
「歴史」は勝者の歴史といわれるように、文字に残されていなければ、実際にあった出来事は消し去られます。
確かに伝承や祭祀、まつりで残っている場合もありますが、当時とは変わっているでしょう。
それだけ文字は強いのです。
精霊が宿っていると博士が断言できるほどに。
いわば世界の真実に気づいた博士ですが、最終的には大地震で書籍によって圧死するのです。
わずか10Pの短編ですが、多くのインサイトが得られます。
私たちにとって当たり前でも、ある意味洗脳されているのかもしれませんね。
中原敦の別の話もまた読んでいきます。
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