ACT.59『サバイバルラン』
気動車の駅として
旭川に到着した。この旭川で終了という訳ではなく、この先の移動もあるのだからまだ長い。というか、苗穂工場の視察をしていなければもっと早かったかもしれないのだが折角の北海道だし、多くの車両を撮影して多くの出会いを体験して、多くの乗車時間を使いたい気持ちが勝って結局この時間になってしまった。もうそろそろ終電の時間も近くなっている。
旭川は前回記事でも記したようにこの駅に入ってくる車両は気動車の方が割合高めになっているのが特徴なのだ。その為、下車して最初に撮影したのはハイブリッド気動車・H100形であった。
函館本線の山線。そして苗穂工場での留置も見ていたが、この旭川近郊でもこの車両は普通列車として主役を務めている。登場して3年のまだまだルーキー格の車両ではあるが、活躍範囲では多くの姿を確認できる車両である。この旭川でもそれは例外ではなく、この車両は最北で名寄方面まで運転されているのだ。
撮影したのは宗谷本線の運用に就く姿であった。北海道のハイブリッド気動車では最も最北まで運用される便である。
と、そんな車両と旭川の駅を眺めていると本当に清涼感なのだろうか。駅に吹いている鉄道会社らしからぬ様がやはり目に付いた。
だが、そんな駅でも自分は何か既視感を感じて見てしまうところがある。
「この駅、なんか骨組みってか屋根部分だけ見ると二条駅っぽいなぁ」
早くも、この駅の周辺と雰囲気の流れにはついていけそうな気分になった。
いくら函館本線の北側起点だからといって。いくら電車の最北運転都市だからといって。いくら非電化率の高い最北最東の町に行ける駅だからといって。この駅は綺麗すぎやしないだろうか。
撮影した状態のH100形は前照灯も尾灯も点灯していない状態。この状態で夜中に撮影すると何か怖さというか物足りなさが勝ってしまう。光るとかなりの存在感を増すだけに、顔の印象は大きく左右されてくる車両だ。
再び、出会う時に
旭川の駅に到着したが、駅は完全に高架になっていて国鉄時代の面影すらない。それどころか、駅はシックになっていて演出が最早JR北海道の駅との差別化までされているように感じる。
時刻表と駅名標(立て看板状)を撮影した。立て看板のサッポロビール広告もこの旭川では黒ラベルのように少し特殊な演出が入っており、差別化というか演出が組み込まれている。同じような統一された広告だけなのかと思ったが、実は違いがあったというのを北海道規模で発見した。
そして、時刻表。列車の数は函館本線に関しては初見で特急の方が多いように感じたが、道内のJRとしてはしっかり本数も用意して足を組んでいるように思う。また、気動車運転の列車に関しても大体に組まれており、そして種別もここから快速が組まれ乗車に撮影に楽しみになるラインナップだ。まさか旭川の時刻表がここまで情報量の多さを感じられ、そして楽しい時刻表だとは思ってもみなかった。今回はこの旭川を拠点にして一応の都市に向かったが、実に使い勝手の良さに関しては良い場所だったと思う。
と、この場所は旭川駅の列車が来ない対向のホームだ。ロータリーが整備され、夜ではあるが電飾に電灯に照らされた旭川の町が目に入る。この場所で、ある列車を待機しているのだ。その列車は現在、鹿との接触にて遅延しているニュースが入った。
「中々来てくれんな…」
とたまにボヤきそうになりながらの撮影。そして、乗車予定の富良野線の列車の時間も刻一刻に迫ってくる。
「うっわ…外したら終わるやんか…」
リミットまで余裕があるのに、自殺は愚か自爆に近い行為に走っている自分がいた。
駅員による案内が入る。鹿との接触をしてしまい安全確認を行っていたが、無事に前駅を発車し旭川に向かっているとの情報が。
なんとか安心は出来たが、どんどん謎の緊張感の方が走ってきた。
乗車では野生動物絡みの事件事故はなかったが、撮影の面では野生動物に振り回された。割と単純に起きる鉄道アクシデントなのだと悟る。
鹿接触のアクシデントを経て、列車が入線してきた。この列車だけは旭川で時間があれば撮影しておきたかったのである。
通常のキハ261系と再び塗装の異なる車両が充当されているが、この車両の姿は定期運用で入っているごく普通の車両だ。しかし稀に観光列車としての運用ができるように、特殊設備も入っている。増1号車にあるラウンジだけだが。
と、勘の良い方。そして前回記事を読んでからご訪問なさった方なら勘が良いかもしれずココで。
このピンク色の列車、『キハ261系 はまなす編成』と呼ばれているのである。
前回の記事では薄紫・紫のラベンダー編成による臨時列車・フラノラベンダーエクスプレスの写真を掲載した。その『ラベンダー編成』と兄妹的な位置にある列車・『はまなす編成』なのである。この『はまなす編成』が揃って、現代のJR北海道の観光列車・特殊設備の車両は運転されジョイフルトレインの孫のようにして現在も
・楽しい旅の演出列車
として走行しているのである。実に完結というか単純というか。
だが、『はまなす』という名称がこうして観光列車になってしまった令和の時代だが、現在でも『はまなす』と呼ばれると北海道と青森を結んでいた流れ星の機関車による急行列車を想起してしまう。まだまだこうした面では思考のアプデが進行していない。
キハ261系はまなす編成との出会い。こちらも大学生時代に遡ってくる。
撮影したのはやはり、北海道経験もなく関西近畿の鉄道ファンとして甲種輸送であった。(甲種輸送に関しては、電車の製造〜輸送過程に関しては前回記事をご覧ください)
初の遭遇となったのは、山崎駅での事だった。令和2年の折である。この日、どういった経緯だったか忘れたが
『甲種輸送が走る、車両は北海道向けキハ261系』
とだけ聞いての撮影であった。
撮影者は自分の他に後方多くの人が構えていたが、自分はかなり先の方から滞在していたので自分的には「この場所の定位置」と感じられる場所で撮影していた。割とこの時の話は記憶しているのが、自分でも少し不思議な感覚だ。車両は前面を向い合わせにして、EF510形電気機関車に牽引されて去っていった。この先も撮影しているので、順に見ていこう。
ラベンダーもそうであり、そしてこのはまなすもそう。また、北海道中を走るH100形を見てもそう。自分の撮影した車両がこうして出世と言わんばかりに営業運転に就業する姿は、非常に深い感動を記憶させてくる。
全く個人的な話になるのだが、JR北海道向けの新型車甲種輸送(新製)では唯一、733系列の甲種輸送だけを撮影できていない。非常に名残惜しいところである。
ま、当時に関しては
「北海道の方なんて縁はないし撮影してもなぁ」
な気分だった。今の滞在を考えてしまうと非常に勿体無い事をしているような気分にさせられる。
後に、この列車の撮影は東の方に向かって北上し、京都貨物駅で待避する様子も撮影した。現在に関しては営業運転で先頭に出る側であるが、この時には新製の甲種輸送。そして編成としての組成前だったので、車両は向き合った状態で輸送されていった。
京都貨物の待避に関しては乗車している電車は一般の電車なので細かくは撮影できないし、少し高い場所にあるので列車内からの撮影という事になる。
何回か甲種輸送での待避をこの場所で撮影してきたのだが、この待避の撮影に関しては謎に上手く行った記憶しか残っていない。ただし、次の駅では赤っ恥をかくのであるが。
次の撮影駅として、南草津にこの時乗車した電車で向かっていた。
しかし、南草津での撮影に関しては快速電車の被りの洗礼を浴びて失敗。
「ま、新製やし北海道でまた!!」
なんて思考で進んでいた。しかし、この時は
「そんな果てなんて行けへんしな、まぁ」
であったが、なんとかこうして令和5年の現在。撮影した2020年から3年が経過してようやくの遭遇が叶った。なんとなく、この日の思い出や南草津で自分の予想を欠いた事が想起されるばかりである。
ちなみにこの日。甲種輸送の撮影を終えて自分は京都駅に戻りそのままアーケードゲームに大学時代の友人と興じていたようである。全くどうでも良い情報なのだが。
そしてそんな何気ない友人とのひと時を過ごした後に。自分はこの車両の旅の経過を見送り、活躍の北海道へ。21時も後半を過ぎようとしている旭川駅での遭遇となったのである。
「元気にしていたか!!!」
そんな思いに駆られ、短い時間を過ごした。
再び、旭川駅。
甲種輸送での余韻、思い出。感動を噛み締めながら撮影しキハ261系の特徴的なピンク色を眺める。
旭川では乗務員の交代が実施されるので、少しだけジックリ撮影できるのだ。
キハ261系・はまなす編成による特急宗谷はライラックの札幌折り返し便と並んだ。人の少ない駅に。寝静まる時を迎えようとする旭川に、静かに特急形の先頭車が並ぶ光景。自分の中で
『北海道の特急らしい』
光景がまた撮影できた。
そのままキハ261系・はまなす編成はディーゼル音も高らかに発車していった。札幌から稚内まで。道内随一の長さを誇る特急列車なのだが、車内を眺めてもここまで乗車した乗客は疎らという感じであった。鹿の傷跡も抱え、列車は北海道の中心都市を静かに目指して走っていく。列車の去った後には、骨組みの美を。建築の巧みな美しさを伝える旭川駅の情景が目に飛び込んだ。
ちなみに。普段ではあるがこの最終の特急宗谷に入るキハ261系は観光仕様なのは事実…だが通常であれば『ラベンダーが入るのが正規』となっているらしい。
肝心のラベンダー編成は現在、富良野線との直通観光特急に充当されているのでその代用に『はまなす編成』が出向している形になるのであった。
個人的に旅を終えて感じる事だったが、やはり宗谷岬へ向かう特急列車なのだからそこは『はまなす』編成の方が良いよなぁと。
宗谷岬の歌にもラベンダーは登場しないし、歌い出しも
『流氷溶けて はまなす揺れて』
ですもんね。
歩いて勇者になろう〜ようやく宿へ〜
事前に電話を入れて対処しているのではあるが、全くの想定外なアクシデントになり富良野線の乗車が遅れてしまった。
予定では旭川駅前に宿泊して。駅圏内に宿泊しての旭川駅列車観察を目論んでいたのだが、宿に関しては
『高校生インターハイ』
そして
『ラベンダーシーズンでの観光客増加とリゾート解禁』
の煽りを受け。しかも行程も直前に決定してしまったので宿の場所は
・旭川近郊の駅から少し離れた場所
になってしまった。
「道内フリーでもう少し列車に乗車できる」
とポジって、そのままのテンションで富良野線へ。乗車するのは旭川近郊の主役・H100形だ。
このまま、美瑛に寄った旭川近郊まで乗車する。H100形の車内には
『ファーム富田アクセスご案内』
の表記も掲出されており、自分が旭川に滞在している事を感じさせてくれた。
はまなす編成の鹿接触で遅延しギリギリの乗車になってしまったが、ようやく宿の最寄り駅まで向かえる。まさかこんなに焦るなんて思ってもいなかった。
そのまま、名寄方面からの乗客に市内で遊んだ乗客に混ざって、宿の最寄駅を目指し進んでいく。少し待って、列車が発車した。
列車は各駅に、真っ暗な中を走行していく。神楽岡・緑が丘・西御料・西瑞穂と少しずつ、列車は光を見つけるようにして停車していった。もう高架橋で彩られた美しい旭川駅の面影はない。そして北海道も完全に奥地というか山を貫いている気分を背負って、列車の時間を過ごす。北海道の夜中と言っても、列車の乗客はかなり多い。そして空席の数も疎らな状態だった。普通列車の方が、この時間は総合して全線混むのだろうか。日常に寄りかかった気持ちで進んでいく。
「カタンっ!カタンっ!」
エンジンの中に響き渡る乾いたレールの繋ぎ目の響きが、少し自分には不気味に感じた。
先ほど、富良野線沿線は
『ラベンダーシーズン真っ盛りで観光が解禁され賑わっている』
と記したが、富良野線はこの時期を稼ぎの時だと言わぬばかりに特別な装備になっている。
まずは、旭川で乗り換えなしにして札幌都心から移動できる臨時観光特急の設定として『フラノラベンダーエクスプレス』を設定している。
この列車は富良野線の観光需要に併せての設定となっており、季節限定の列車として北海道のサイトでも告知されている。(JR込みにて)
そして、今年はこの『フラノラベンダーエクスプレス』の運用を活用して旭川から先、富良野までを臨時快速として走る事になったのである。
しかし、その臨時快速運転における利用者数は向上せず、車内も空席が目立った状態で富良野線を運行する事になってしまった。
告知が足りなかった。事前のPRが及ばなかったと様々にはある課題だろうが、来年も再びフラノラベンダーエクスプレスからの続行で臨時快速として走るのであれば、更なる告知と周知に向けた運動が非常に楽しみになるばかりである。
と、もう1つ。富良野線はこの観光シーズンに入ると、特別な様相に様変わりするのだ。
ラベンダーシーズンへ伴って鉄道利用が増える事を想定した富良野線は特別装備になる。富良野線の西中〜中富良野に(臨)ラベンダー畑という臨時駅を設置するのである。
(臨)の表記に関してはそのままの意味で臨時駅を指し、7月から秋までの富良野に於る最大の観光地に向かって臨戦態勢に入るのだ。
駅としては臨時駅になるので仮設の状態でホームは簡素な構造。また駅舎も特にない状態で孤島のような存在の駅だが、ラベンダーシーズンには全ての観光列車に列車が停車する重要な駅として知られている。
今回は訪問しないのだが、またいつか訪問してみたい駅である。ただ、今回は
『ラベンダー観光』
が目当てではないので御了承を…
そして、目的地の駅に到着した。明かりも何もない。ただ、宿の最寄駅であるその場所は非常に心許ない設備をしていたのだけは確かな記憶だ。
勇者になろう
到着した駅は、非常に心許ない構造であった。ただしかし、列車が照らす前照灯でも判明する事がある。
この駅の構内踏切は、『あってないような』モノだったのだ。
「大丈夫なんか…え???」
そんな自分の疑問。恐る恐るで列車から線路に降り、線路を跨いで旭川方面の岸へ辿り着いた。本当にこの駅の利用は、心臓が縮み上がるくらいの怖さだった。本当に周辺は列車の灯りと軽い駅舎の照明しかない状態で、歩くのは完全に危険な状態であった。本当にこの状況下で自分はよく列車から乗降したと思う。さて、向かうか…ただ、ブルーライトの灯りだけになる視界の周辺が怖い。
そして列車は終点の美瑛まで走っていった。もうここからは自力で行かねばならない。とにかく、恐怖は捨てなければ。
駅を下車し、そのまま歩いて地図のGPSに従い歩いていく。
「え…本当にこの周辺に宿なんかあるんか…」
街灯もなければ、手がかりになるのは携帯のブルーライトと建物の灯のみ。そして車の走行で、自分が列車に沿う道を歩いているのがよくわかる。。宿に到着しても。そして宿周辺で過ごしている時間にも列車は何回か通り過ぎていったが、若干それが本当の『光が差す』という状態になる瞬間もあった。
写真はあまりにも暗がりだったので撮影した様子である。もうここまで来たら開き直って撮影してしまおう、という勢いと気持ちだけで撮影した。
とにかく「前が見えない」。それしかなく、危険も危険な状態なのであった。本当に歩いている時には白線から足を踏み外したら。路側帯から自分の身が逸れていたら、命はないという覚悟で向き合っていた。
ようやく歩いて、セイコーマートと一軒家のような場所を発見。地図GPSはこの辺りが宿であると示していたので、「間違いなくこの場所」に今日の宿泊場所があるのだろう。ただし本当に合っているか自信はなかった。
そのまま一軒家に入る。玄関に白色の照明。その雰囲気はまるで他人の家に転がり込んだような気分であった。玄関壁に黒板がかかっている。その黒板に書かれた
『(本名)様、本日はようこそ』
の文字を見た瞬間に肩の荷物。そして緊張感が全て解放された。ようやく安心して休憩できる。ここまで恐怖心を強風に晒し煽られる必要なんて確実になかったのだが。
何はともあれ、勇者としての心構えをもってこの一軒家に向かう事しか、自分には出来なかったのである。
玄関からその住宅に上がると、部屋は更に生活感を増した状態になっていた。なんだろう。宿という表現ではなく、この場合は
『修学旅行の相部屋状態』
が正しいのだろうか。特に間仕切りもなく、個室もない。宿に入ったらその日は翌朝まで、この部屋で越す感じの場所だった。引き紐の照明なんかもあり、布団は年季を帯びている。当然、到着した時間は終列車の時刻間近。そして飲み会で言えば
『縁もたけなわ』
状態だったので、寝ている人もいた。なんだろう。札幌で軽く胃を満たしておくか、列車内で食事しておけば良かったか。そんな考えの中、遅い食事をする事にした。
何を話そう???
到着したその宿では、家庭的な雰囲気というか無人の住宅のような場所であり修学旅行の相部屋のような空気でもある。
そんな場所の端に寄せられた机で、夜の食事にと買った『知床地鶏』の駅弁を食する事にした。
札幌駅のコンコース駅弁売り場で買ったのだが、
「どこで食べるか」
を悩んで結局この場所にした。時間はとっくに耽っており、コレでは完全に夜食だ。完全に時間を誤ったし、食するタイミングなら列車内が1番だったとしか言いようがない。
と、座ったテーブルに2人の家族がいた。父親と小学生くらいの男の子が座っている。雰囲気は『アジア系』の人なのだが、何語を話しているかがよくわからなかった。食事のタイミングで。机に座った段階で話しかけると、何処の国から来た人かがわかった。韓国の人だった。
「あ…こんばんはっ…」
下北沢のツチノコのように、下手も下手で話す。日本語が分からない方になれば、選択する日本語も減ってくるし限定される。
そして自分は韓国語を話せないので、結果的に軽い英語と小さい日本語のリアクションで韓国から来た家族と話をした。英語と軽い日本語を交ぜて話していたのが本当に分からなかったテンションというか、冷静にキョドッっていたとしか言いようがない。話はしっかりと自分の知っている韓国の話になった。
韓国から来た家族は、北海道を周遊しているのだという。しかし、鉄道に関しては北海道であまり乗車しておらず自分が食べている弁当も
『駅弁です』
と示してみたが、かなり新鮮なリアクションをされた。
軽い日本語と英語を混濁させても仕方ないので、ここで翻訳ツール出現。電子的な文明に頼る事になったが、それしか自分の成す手段はなかった。
駅弁、の話から韓国の鉄道に関する話になった。
「自分は韓国の鉄道を知っています。ムグンファ、セマウルなどがありますよね?」
という形の話を翻訳にかけて頑張った。
「おぉ、ムグンファ!!」
そんな感じだった上に、
「ムグンファはこんな感じの列車なんだ」
という話にもなった。
日本人から見た韓国の話といえば『BTS』に向こうの観光地に、韓流文化とか歴史といった面はどうなのか、そして韓国料理は現地だと美味しいのか、など様々あるだろうか。(ここは個人差だよなぁ)
しかし、自分でも韓国の話としてまさかの
「ムグンファ号、知っている?」
という質問が飛び出てしまうとは考えてもみなかった。ある意味単純なように見えて、「なんでこんな話題にしたんやろう?」という若干の戸惑いもあった。それだけ鉄道が好きなんだ、と認めるしかないだろう。
ムグンファの話が出来るのであれば、この列車も…となったのが、セマウル号であった。
「セマウル号という列車、知っていますか?」
と話した。すると
「セマウル走ってますね。私も乗った事あります」
という感じの話が成立した。頑張って現地の話題を…と意気込んだが、
「ムグンファにセマウル知ってるんだぁぁ!!」
という興奮で余計に話がしやすくなった。
現地の乗客として、ムグンファにセマウルに様々な話をしてくれたのだが本当に
『その列車がしっかりと生活に刻まれ現地の交通として馴染んでいるのだ』
というしみじみした心境にさせられた。
特に、ムグンファ号もセマウル号も小さい頃から図鑑で読んでいた存在だけに、旅路で現地からの旅行客と出会ってその話題で盛り上がれる感動は大きかった。
「車両はかなり古いんだよね〜」
だとか、結構マニアックな話もあったとは思うのだがまずは向こうの方も
「なんでこんなマニアな話を知っているんだろう…」
と必ず思っている事だろう。話している側に関しては韓国渡航歴もなければ韓国は図鑑に写真でしか知らないというのに。なんともシュールな話だった。
韓国に行った事がなくても、こうして知っている情報があるだけで。繋がりのある国であって本当に良かったという何か救われた気持ちにもさせられたのである。
日本には、世界に誇る高速鉄道として『新幹線』がある。この新幹線という交通手段は、かつて東京と大阪を3時間半から4時間半で走行し、この国に革命をもたらした。そしてこの新幹線が誕生した昭和39年という年。昭和の30年代。敗戦国であり焼け野原からの復興によって新幹線を生み出した事は
『世界初の時速200キロを超えた鉄道』
としてその存在を高らかに示したのである。
と、そうして高速鉄道が世界中に浸透し。フランスのTGVなどと追いつけ追い越せの戦いを繰り広げているこの日本だが、そんな日本の高速鉄道は世界にも浸透した。
韓国にも、KTXという新幹線のような高速鉄道網があるのである。
韓国の人との話だったので、鉄道への造詣がある自分として
「新幹線には乗りましたか?」
や
「KTXと新幹線の違いは?」
とその人にしか分からない話も少しづつした。
「あぁ、KTXね!KTXはこうこうこうで、こんな感じの…」
と現地人ならではの話をしてくれた。
「なるほど、いつか乗ってみたいです」
と返事。(他にも色んな内容が混ざっていた)
そして、お互いはどうするのかとも話。
韓国人家族の2人は、小学生〜中学生頃の夏休みを迎えたような男の子を連れて北海道にやってきた。北海道はこの街とこの街とこの街を楽しんで…という感じだったので、北海道の観光だったのは間違いない。そもそもラベンダー畑の近い場所で宿泊しているのだからそうだろう。
また
「海鮮は食べました?」
という質問も自分がしたときに
「まだそんなに食事は楽しめていない」
と回答していた記憶があった。
韓国人家族の2人組は、そのまま北海道(日本の周辺都市だったか)を5日ほどかけて、周遊し、そのまま飛行機で帰るのだそうだ。
「ソウル?」
と聞いたのだが
「いや、インチョンなんだ」
という答えに。この辺りはまだ全然、海外を知らないので
「あぁそうだった」
という後悔が襲う。日本を大体覚えて、第2言語の大学生以来の習得を身に付けた暁には逆にこちらが韓国を訪問したいものである。
再び、日本は北海道・旭川。ようやく現地の写真に戻ってきた。駅弁の中身を掲載していなかったので今更ながら。
地鶏を乗せた丼のような弁当だった。
「しまった蓬餅が!!」
と開封した瞬間に思ったが、口を付けてみたところただの蒟蒻だった。
「あぁ良かった」
と安心するところである。
この弁当を食べながら、韓国人家族と
「韓国では日本語と英語、どちらが識字率高いですか?」
や
「知人も韓国の鉄道を撮影しているんです、ちょっと旅気分にならないかもだけど」
と色んな内容を交わした。
話で判明したが、韓国では日本と距離が近いのに。日本への観光需要があるにも関わらず、国民は英語の記憶に精力的なのだという。この辺りは少し意外な感覚で話を聞いていた。日本だと割りかし、韓国語の記憶や識字への認識はありそうなのに。
そのまま弁当を食べ終え、韓国人家族と談笑する。電子翻訳を使わず話を出来たら、もっと気持ちが良いのだろうという歯痒さは変わらない。
そしてやはり電子翻訳に『半依存』してしまうと
『内容の伝達が必死になる』
『内容が薄くなる』
という事にかなりの注力を注いでしまい、会話への情熱が変な方向に行ってしまう感覚だ。どこか自分の髪を掴まれ、どこか変な場所が力んでしまう感触にさせられる。本当に外国語って難しい。正確に話してしまうのであれば、
『異国の人に自分の話したい事や思いを伝えるって』
難しい。自分の歯痒さを感じた。
韓国人家族と
「この宿の鍵ってどうするんだ?」
や
「設備で困ってるんだ、分かるかい?」
と様々に打ち解けている間に、寝る時間が迫っていた。明日が最もの正念場…というか旅の折り返しだ。ようやくここまできた。
韓国語で
「おやすみなさい」
と伝え、寝床に入る。まだ胃に物が入った感覚を覚え、そのまま布団を敷いて横になる。
暗くなった部屋の中には、翌日に向け力を蓄えている旅人たちが寝ている。その間に窮屈に寝転がるが、
・食事後
・シャワーなし
の環境で翌朝を迎えるこの時間は、
「ゆっくり寝れているのか」
と思念する事しか出来なかった。
韓国人家族の話す隣の部屋から、韓国語で
「今日はここに行ったね。んで、列車に乗ったろう?最後はこの場所で宿泊だ。〇〇を食べたね?」
など、夏休みの日記を作るような話が聞こえてきた。
「青春やな…」
という思いを抱えて、漏れる光を見つめて横になる。
「とにかく移動もせやけど疲れてくるな…」
なんとなく幾つもの階段や壁を乗り越えるサバイバルと化したこの北海道生活の残り時間。自分の今後する事などを思い、布団を被って朝を待つのだった。あともちろんあの制服コーデなので「学生かい?」の質問は定番でしたやったぜ!!!(よくねぇ)