盗作・書くこと・人生『イエローフェイス』
R・F・クアンの『イエローフェイス』は、今年最も注目され話題となった作品の一つ。その主たるテーマは、『文化的流用』。そして『人種差別』について。
『文化的流用』とは「他の文化から特定の要素や象徴を借用し、それを芸術作品に取り入れる行為」を指す。早い話し『盗作』のことだ。ヤン・ゴズラン監督の2015年の映画『完璧な男』(原題:Un Homme Ideal)を彷彿とさせるプロットもあり、最後まで緊張とひねりに満ちた物語となっている。
主なストーリーは、イェール大学在学中に出会った二人の若い作家、アテナとジューンに関するもので、共に友情を育んでいくのだが、その友情には相当な量の悲喜や恨み節が含まれていた。
アテナは新人作家の夢をそのまま生きているように見える。出版業界の大手から本を出版し、そのうちのいくつかはネットフリックスからテレビシリーズに選ばれることさえあった。一方、ジューンは、批評家からも読者からもあまり注目されていない。編集者からもどちらかといえば、後回しの扱いを受けている。小説を過去に一冊だけ出版していて、自分の才能不足を感じている。
冒頭の章では、アテナとジューンのシーンからはじまる。アテナの作品が、ネットフリックスに起用され、さらにとテレビシリーズ化になったことを祝うため、二人はバーで落ち合う。
バーでちょっと飲んだ後、アテナの派手な邸宅に戻って最後の一杯を飲み、もう少し話をしようとする。しかし、事態は険悪な方向へ展開する。
アテナはパンケーキをのどに詰まらせて死んでしまい、ジューンは彼女を助けることができず、友人の目から輝きが消えていくのをそばで見ているだけという展開になる。彼女は911に電話した後、家の中を歩き回り、アヘナの最新プロジェクトの草稿を見つける。
それは、第一次世界大戦の小説で、戦争に協力するために西側諸国に送られた中国人労働者の苦悩という、見捨てられたニッチな歴史的題材を中心に展開している。ジューンはこれらの初稿に取り組み、文章に彼女自身のスタイルを吹き込み、そしてそれを自分の作品として出版する。
その結果、ジューンは最も注目される若手作家の仲間入りを果たし、独立系出版社と6桁の契約を結び、ハリウッドの錚々たるプロデューサーたちと『ラスト・フロント』(この本のタイトル)の映画化の可能性について話し合うまでになる。
とはいえ、すぐに過去が彼女を追いつめ、ある日彼女は、死んだ友人の原作を盗んだと非難する投稿がソーシャルメディアに殺到するのを目にする。
『イエローフェイス』にはメタフィクション的な側面もあり、今日の出版業界の厳しい現実に関する筋書きの妥当性と信憑性を高めている。誰かをスターにしたり、忘却の彼方へ突き落としたりする力を持つ、貪欲な出版ビジネスの波乱を描いていて、その事実は著者のクアンによって広範囲にわたって暴かれ、批判されている。
主人公のジューンは言う。「わたしはただ純粋に書くことが好きなだけなのに、なぜこんなことに巻き込まれてしまったのだろう」。
出版ビジネスとソーシャルメディアによって、その作品そのものが評価されるのではなく、著者のイデオロギーやバックグラウンドにまで手が伸びてきて、それは私利私欲とからまって著者の首を締めていく。
SNSや書評に縛られざるを得ない状況の中、主人公であるジューンはこう叫ぶ: 「どうしようもないの。世界が私について何を言っているのか知りたい。デジタルで認識された自分の輪郭を把握する必要がある。少なくとも、ダメージの程度がわかれば、自分がどれだけ心配すべきかがわかるから」。
著者クアンは、現代のオンラインメディアに見られる被害者意識の様式を焼灼し、彼女のキャラクターが「ドゥームスクロール」(ツイッターのフィードの絶え間ないアップダウン)という悪癖に屈し、彼女のキャリアが頂点に達するにつれて論争の的になることを許している。
別の箇所にはこうある: 「ネットの愚かさの底を垣間見た時点で、見るのをやめるべきだった。しかし、自分自身についての言説を読むのは、痛い歯をつつくようなものだ。どこまで腐っているのか知りたくて、掘り続けたくなる」。
しかし、もっと興味深いのは、ジューンが自分の裏切り行為を正当化しようとしていることだ。冒頭、ジューンは自分自身と他の人たちにこう言う: 「私はスケッチを受け継ぎ、色彩は不揃いにしか加えず、原画のスタイルに従って仕上げた」。
彼女にとって、自分がただの詐欺師や泥棒ではなく、文章に自分のスタイルの要素を加えた真の作家であると信じることがいかに重要であるかがわかる: 「私たちの距離が近ければ近いほど、彼女の作品に似ていることが不思議ではなくなってくる。このプロジェクトにはアテナの指紋が至るところにある。私はそれを拭い去ることはしない。なぜそこにあるのか、別の説明をするだけだ」。
盗作スキャンダルの勃発は、ジューンによって正当化されて、彼女はそれをなんとか隠蔽することに成功した、そう思っている。というのも、彼女の作品のオリジナリティに関する揉め事は、アテナのメモを基にした彼女の小説の出版後に再燃するからだ。
文化的流用というモチーフは小説全体に浸透しており、外国人種や文化、この場合は中国人労働者出身の登場人物を含む小説を書くジューンの適性は、早い段階で疑問視され、語り手に不安と緊張の波を呼び起こす。読者は、ジューンの小説が出版される過程を通して、業界は少数民族/人種出身の作家を、自国民や文化全般について書くのに最もふさわしい作家とみなしていることを知る。
一方、白人作家は、この事実をむしろ煩わしく思い、芸術的自由を求めるが、その結果、しばしば人種差別に無頓着な文章が世間を憤慨させることになる: 「出版社が多様性というレンズを通してしか有色人種の作家を見ないこと、業界がさりげない人種差別を常態化させる方法、白人作家が無神経さや無知を言い訳にするさまざまな言い訳など、読者が無視することを選びがちな本の世界の側面を、著者クアンは明確に示している。
主人公のジューンは、アテナのようなアジア人女性ではないし、過去のある時点に生きていた、歴史的に見れば特殊な人々について書くのにふさわしい作家でもない。
日本の身近なところに例えると、韓国人の深い戦争の傷について、日本人作家が書くようなもので、しかも親友である日系韓国人のモチーフを盗作してかいた小説がベストセラーになってしまったら。。。
クアンの散文の軽妙さは、言葉をページの上で歌うように感じさせる。物語は速いテンポで展開し、読書体験全体を楽しいものにしている。『イエローフェイス』はその評価と称賛に値する本だと思う。
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