福島発の「復興論」と、「復興」からの当事者排除の構造①-当事者性についての序論-
キーワード:原発事故、当事者、復興言説、政策との共犯性
1)復興についての 3 つの視点
本稿では、東日本大震災・東京電力福島第一原子力発電所事故(以下、原発事故)における、特に原発事故からの復興について、福島県内の論者から「復興」がどのように語られてきたのかを整理します。
ここで取り上げるのは、町内全域が避難指示区域となった福島県富岡町からの避難者である市村高志氏による、社会学者の山下祐介氏・佐藤彰彦氏との共著「人間なき復興」(2013)、そして「福島県」全体を通しての復興状況を語る福島県いわき市出身の社会学者である開沼博氏の 「はじめての福島学」(2015)、最後に、いわき市小名浜でアクティビストとして復興に関わる小松理虔氏の「新復興論」(2018)の 3つの視点です。
また、それぞれが復興を語る際、「当事者」はどのように語られているのかを、3者の著書を通じて検証します。
(※なお、この文章は論文を元に構成しているため、以下では敬称略とします。)
2)3者が代表する立場とは何か
それぞれの主張を紹介する前に、結論として、3者が代表する立場について解説します。
まず、開沼の主張において、解決を試みたのは福島県内と福島県外の分断であったように思われます。そのために「科学的な正しさ」に基づいて判断することを主張し、科学的根拠に基づかない「デマを流す人」を糾弾し、正しい情報を県外の人々が知るべきだとしました。
そして、小松が目指すのもまた、いわき市小名浜と外部、つまり県外との分断を解消することでした。小松は、福島県産のものを「食べない」という選択をする人も受け入れつつ、生産者として情報を発信していくことの重要性を説くいています。不安に思う人に「科学的な正しさ」を振りかざし、食べたくない人に食べさせるというのは暴力だとも述べています。
後にも見ていくように、小松は開沼に対してここまでの批判をしながら、小松が結局は開沼と同じ「復興」を目指すのはなぜでしょうか。二者の共通点は、どちらも県外を向いた主張であるという点です。「当事者」の範囲を広げ、「いわき市」「浜通り」「福島県」といったマクロな視点になればなるほど、「復興」にとって重要なのは「県外」になってしまい、肝心の原発避難自治体や強制避難者が望まないどころか、関われない、排除されてしまう「復興」のかたちが生まれていくのです。
政策文書の研究でも分析したように、この「復興」は最初から「日本の復興」であり、「東北の復興」という、避難当事者や被害当事者にとっては外部主導の復興でした(詳しくはリンク先の論文、「原発事故後の統治と被災者の〈生〉」をご覧ください)。
福島県内のレベルでも「オール福島」などというとき、原発事故の被害は「風評被害」になってしまいます。そして、その国や県の方針と呼応するように、開沼言説や小松言説が強化され、福島県としての「復興」論が強化されていく構図が見て取れます。そこに、市村が入り込もうとすると、市村にとって被害は実害であり、風評ではないため、議論がかみ合いません。
2016年8月に原子力災害対策本部会議で決定された「帰還困難区域の取り扱い方について」に「浜通りの復興」という表現があります。これは、帰還困難区域全域の解除にはなお長期的な時間を要することが確認され、帰還困難区域の中に「特定復興再生拠点区域」を設ける方針を確認した文書です。
どうしても帰還が難しい、「復興」が難しい区域があるとわかったときに、それまで避難元自治体の復興としていたものが「浜通りの復興」に拡大していることになります。「浜通りの復興」になれば、いわき市などが「復興」をめざせばよいので、風評被害からの「復興」がメインとなり、避難当事者・被害当事者の復興とは遠いものになっていきます。
以上のように、福島第一原発事故からの福島の「復興」における「当事者」について語られている言説を分析してみると、復興論における「当事者」の扱いは論者によって異なっており、復興の当事者が濫立し、その中心が誰なのかは不明確なまま議論が続いていることがわかります。誰のための復興なのか、よくわからないままに「イノベーション・コースト構想」に代表されるような復興事業は決定していきました。
3)被災当事者・避難当事者についての考察
ここで一度、東日本大震災と原発事故の被災当事者、避難当事者の立場の変遷を振り返りたいと思います。
発災当初は震災による影響も明確であり、被災場所によって被災した程度や内容に違いはあるものの、3 名の論者、そして政府を含む東日本にいた人全てが被災当事者であったと言えます。
そして、原発事故が発生し「避難」が発生すると、避難した人は当然に「避難当事者」として存在します。ただし、「避難指示」を受けて、情報が無いまま避難せざるを得なかった「強制避難者」と、避難指示は無いものの、情報を得る中で危険を感じ、避難を主体的に選択した「自主避難者」とでは「避難」の性格は異なります。
より原発の近くにいた 「強制避難者」の方が、得られる情報が少なく、例えば「2〜3 日で帰れると思った」とか「着の身着のまま」で、「どこに連れていかれるかもわからないまま」の避難を強いられ、事の重大さを知ったのは「避難先にたどり着いてから」というケースさえあったといいます。
多くの避難者が避難所を何か所も移ったり、親戚の家に身を寄せたけれども長くは居られず、さらに避難先を探したり、そして県内外の仮設住宅、後に復興公営住宅や民間の賃貸、新居再建など、様々な方法で少しでも安心できる・安定した暮らしを求めて避難先を転々とした経験を持ち、あまりにも長い間、立場が不安定な時期を過ごしてきました。
一方で、多くの情報を得た上で、危険を感じ、避難先の指示があるわけではないので自ら避難先を決定しなくてはならず、個人の判断を迫られたのが「自主(的)避難者」です。
「自主避難者」の中には、数十メートル先のいわゆるご近所の住民には「避難指示」が出たという人から、関東からより西へ、北へ向かったという人まで広く含まれます。その避難の性質上、「勝手に避難した」「自己責任」などと心無い言葉を向けられる場合もあり、やはりその立場は不安定なままでです。
しかし、「強制避難」と「自主避難」では「避難」の質が異なるという点は注視したいと思います。「強制避難者」は人々が国や自治体によって行動を強いられるということの異常さを、身をもって経験した存在であり、「自主避難者」のような主体的な判断はできなかった場合が多いのです。そうした違いからくる、避難者間の分断も見受けられました。
ただし、近年では各自治体から「避難指示解除」が発表され、一部の「強制避難者」の立場が自主避難者化し、「強制避難者」と「自主避難者」の違いは見えにくくなっています。
2018 年に当事者団体ヒラエスによって「強制避難者」と「自主避難者」によって合同で開催された「当事者」キャラバンでは、全国各地でタウンミーティングが行われ、避難者間の分断が解消され得る可能性を見出したという見方もできました。
だが一方で、「強制避難者」の中でも「戻る人」/「戻らない人」、「自主避難者」の中でも「戻る人」/「戻らない人」の分断は深まっているようにも思われます。県外避難者は帰還した住民や、県内避難者にさえ「遠慮」や「劣等感」を感じるとも話しています。先述した当事者キャラバンの参加者は、ほとんどが県外避難者であり、県内避難者であっても元の場所には今のところは「戻らない」選択をしている方でした。
上記をふまえると、小松は一度「自主避難」を経験していわき市に帰還しているため、「自主避難者」の中でも「戻った人」、「元自主避難者」という立場が当てはまります。「安全」だから戻ったという立場であるから、現在の彼の立場としてあくまで被害は「風評被害」になるでしょう。「自主避難」していた時には実害と感じていたものも、無かったことにするわけではないと思いますが、帰還して「復興」を論じる際には実害は「風評被害」へと変換されます。小松は原発事故の「風評被害の被害当事者」ということになります。
このように、「被害」の段階で、何が「被害」なのかという、その捉え方によって「当事者」 が変容し、「被害当事者」が不明確になる事態が発生します。
原発事故によるヨウ素剤の摂取命令や、自宅への立ち入り制限を受けた市村にとって、原発事故は「被ばく」をともなう「実害」であり、「実害の被害当事者」という立場です。市村にとっては、現在でもその根本原因である事故収束、廃炉や除染、健康問題、福島第二原発の動向についてなど、懸案事項は尽きません。
一方で、小松はいわき市のかまぼこメーカーで、食品の検査を行い安全性の立証をした上で、「風評被害に頭を悩ませる」 日々を送っていたといいます。つまり小松にとっての「被害」は既に「被ばく」ではなく、「風評被害」なのです。
この小松の被害の捉え方については、開沼に通じるところがあります。開沼にとっても原発事故が福島県にもたらした被害はあくまで「風評被害」であり、リスク・コミュニケーションで解決可能だという立場をとっています。その立場においては「正しさ」が「科学」や「専門家」や国の側にあって、不安を抱える住民や避難者の側にはありません。
そして被害当事者としてのズレを引きずったまま、「復興」の段階に入ると、「風評被害」に立ち向かう開沼・小松は担い手として「復興」の当事者になれるものの、「実害」を懸念する市村は実際に担い手から外されていくことになります。この構造は、政府が進めている「復興」でも同様であり、市村ら県外避難者は、「復興」政策からも、福島県内の「復興」論からも外れていくのです。3者の中で、最も原発の近くに暮らし、事故被害の質は重かったのにも関わらず、です。
次の記事では、それぞれの主張について、詳しくまとめています。上記の結論を踏まえて、ご覧ください。
2021年4月10日 宮本楓美子
(このページについて、他の原発問題に関係する記事や批評の紹介にあたっては、こちらの記事をご覧ください。)