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福島発の「復興論」と、「復興」からの当事者排除の構造②-福島県内の論者3者それぞれの主張-

前回の記事では、福島県の論者の3者それぞれが代表する立場とは何か、そして当事者性についての背景や問題状況の整理を行いました。今回の記事では、それぞれの主張について、詳しくまとめています。前回の記事を踏まえて、ご覧ください。

1)「富岡町」(避難元自治体)としての復興論ー市村高志『人間なき復興』


 福島県双葉郡富岡町からの強制避難者である市村は、2013年に発表した山下との共著『人間なき復興』において、避難者としての体験をふまえ、東日本大震災・福島第一原発事故被災地の「復興」について、「被災した町の『復興』には必ずしも元々住んでいた被災者が 関わる必要が無いように進み」、「そこに住んでいた人、被災している当事者の話が欠けていく」と指摘しました。


 
被災した町を新たにどういう町につくっていくか。そこに新しさがあれば、これは単なる『復旧』ではない。元の状態に何か新しいものが含まれることで『復興』になり得る。(中略)新しいものが生じる復興によって、ここには以前よりもっといろん な人が集まるかもしれない。そういう意味で、ここにはたしかに人はいる。いるのだけれど、その新しい町を興す『復興』に関わる人は、別に元いた人たちでなくても構わない。(山下・市村ほか 2013:33)
被災者の目線からすれば、『人のための復興』という場合、その『人』は自分たちであり、そこに暮らしていた人間の生活再建と地域社会の再建が重なり合ったところにこそ、真の復興はあるわけだ。しかしながら、ある側から考えた時には、その 『人』は必ずしも元いた人である必要はない。元々住んでいた人たちが住まなくても、他の人が住んで営みが始まればそれでも復興なのだ。ましてそこが過疎地で、 元々からジリ貧の場所であったとしたらなおさらだ。どうせ駄目な地域なら新しくつくり直せばよい。こうして元々住んでいた人には関係のない『復興』が成り立ち得るのである(山下・市村ほか 2013:33-34)。

 この元々住んでいた人には関係のない「復興」という表現は、2011年12月の事故収束宣言以降、そして 2012年2月の復興庁の発足以降に進められた「帰還」ありきの原地復興に対して使われています。その背景として、国が提示する公共事業としの復興メニューを、自治体側は選ぶしかできないという事情がありました。(詳しくはリンク先の論文、「原発事故後の統治と被災者の〈生〉」をご覧ください)

 大まかにいえば、まず除染があって、上下水道や道路などのインフラの復旧、つぎに学校や病院などの公共施設の再建があり、さらに産業創出と雇用創出による経済復興というところまでのメニューしかなかったのです。


 被災者が望む地域社会の維持・再生については、復興のメニューとして選べないため、どうすることもできずに、ただ従来のような公共事業中心の復興が進み、ハコモノばかりができていく、という状況に対して、市村は憂いていました。

 2012年12月には民主党政権から自民党政権へと政権交代が起こりますが、やはりこの公共事業中心の「復興」の流れは継続されました。しかも、新政権が発足した直後には「復興の加速化」を持ち出され、事故収束を待たずに、避難住民の帰還か移住かを迫る二者択一の政策が進行していった時期とも重なります。


 すでに動き出していた復興事業に対して、その復旧した道路や水道を誰が使うのか、新しい産業に誰が雇用されるのかという「人」が、本来の被災者からすり替わってしまっていることが、市村らによって指摘されました。


 本書でくり返し伝えられていたのは、当事者が「かわいそうな被災者」とみなされ、政策にのれば「同情」「支援」の対象になるけれども、政策にのらなければ「わがまま」とか「こわい」などといずれにせよ奇異の目で見られてしまう理不尽さでもあります。


 これは、避難当事者は原発事故がなければ、弱者として見下されることもなく、自分の家や地域で暮らし、この先の人生を描いていた普通の人間であったのにも関わらず、ひとたび事故に巻き込まれてしまったことで、弱者としての道か、あるいはわがままでこわい人たちとしての道しか無いことへの問題提起です。


 被災当事者が「復興」に関わるには、不本意でも理不尽な政策に「のる」しかないという状況は、被災・避難の当事者が復興の担い手として正当に扱われているとは言い難いのです。


 本書では、こうした状況を変え、地域社会を含む生活環境が回復を求め、「地域社会が回復するまでは帰れない」という当事者の思いを伝える手段として、「タウンミーティング」によって全国に散らばった当事者の声を集約し、自治体につなげ続けていくことが重要だとも述べられています。「すべては被災者からなのだということを、被災者自身が自覚することから、何かが始まるだろう」とも記されており、当事者による、当事者が求める復興への模索が、本書には見られると捉えています。

2)「福島県」としての復興論ー開沼博『はじめての福島学』


 つぎに、社会学者で福島県のいわき市出身の開沼は 2015 年発刊の『はじめての福島学』について紹介します。


 本書の中で開沼は、福島県出身の研究者として、福島の問題を語る上で当事者以外の周辺が持つ 「誤解」に強く反発し、福島県外のあらゆる言説を「ありがた迷惑」(開沼 2015)として切り捨てました。

 開沼自身は「当事者」という立場はとらないものの、福島が一括りの偏ったイメ ージで語られることへの問題提起とともに、福島県民を代表する立場で、福島県外にいる福島のことをよく知らない人は福島を語るべきではない、過剰反応をする人は、知識人を始め、「避難当事者」も含めて、福島のことを語らないでほしい、ととられかねないような主張を展開しています。


 開沼の本書での取り組みは、あえてデータを用いることで「普通の人」が「なんとなく」抱える「福島問題の語りにくさ」を解消しようというものでした。しかし、そのデータは「福島学」と称している関係でほとんどの分母が「県全体」でした。


 たとえば、「今も立入りができないエリアは(=帰還困難区域)は福島県全体の何%ぐらい?の答えは『2.4%』です」とか「福島からの人口流出のイメージは」が「24.38%」 なのに対して、実際は「2.3%程度」のような、「県」を分母にした統計データを用いて議論を展開しているのです。


 しかし、この県が分母のデータにはどのような意味があるのでしょうか。県全体で見たら避難者は 2. 3%かもしれませんが、避難指示解除前の富岡町では100%でした。さらに、人口流失がより大きい、被災地ではない県と福島県の比較も取り上げており、地方の人口流出問題へと議論を転換しようともしています。
 
 福島の問題を、地方一般の問題に転換する手法は、政策文書にも見られた手法です。原発事故問題を福島県全体から見ることは、避難や被害の問題を矮小化するだけでしょう。「福島学」を語る以上は、震災や原発事故以外のことも扱うのかというとそうではなく、おもに原発事故のことを扱いながら、その分母を避難自治体ではなく福島県にするのはフェアではないように思います。


 福島県全体でみれば、県の西部の会津地方には原発事故による放射性物質の汚染被害は無く、むしろ近隣県や関東地方の一部の方が、線量が高いというケースもあるほどですから、県単位での議論がいかに的外れなのかが分かります。


 ではなぜ、本書の議論での分母が県なのかというと、福島県全体が直面している「風評被害」の対策ではないかと考えられます。この「風評」は、やはり原発事故の影響が無かった福島県内の一部にとっては「風評」ですが、原発周辺自治体にとっては「実害」です。そこを国内外の人びとに「フクシマ=危険」と一括りに捉えられたことへの反論が見て取れます。


 これに反論するなら、「福島=安全」と県全体で危険か安全かを考えさせる議論からは脱却すべきでした。福島の被害はほぼ「風評」である、と本書が断言することで、「実害」を訴える、避難当事者や被害当事者の声はかき消されてしまうためです。


 開沼は県外避難者のことを「制度から漏れ落ちる『マイノリティ』」と表現しています。 県外避難者は政策や価値観のレベルで疎外されがちな存在であり、行政サービスなどの細かいケアが受けられるわけではないため、「マイノリティ」的な存在として見ていかなくてはいけない、と述べています。


 つまり、県外避難者を原発事故の「被害者」としてではなく、社会的弱者として「支援」や「福祉」の枠組みで捉えようとしているとも言えます。この避難・加害の「責任問題」を「支援」や「福祉」の問題にすり替えるのは、やはり国の政策と通じるところがあります。


 県外避難者の中には、 結果として避難生活が苦しく、ケアが必要な人はいますし、きめ細やかな行政サービスはあるに越したことはありませんが、避難者が皆、社会的弱者なのではありません。今、社会的弱者として扱われている人も、事故前は「普通の人」だった場合もあります。そして県内も県外も関係なく、県民としては対等な存在です。このような「県外被害者」への扱いが、開沼自身が批判する「スティグマの強化」 になっていないでしょうか。


 さらに本書では、「避難」「賠償」「除染」「原発」「放射線」という「ビッグワード」に 頼らずに「福島を語る」ようにしたといいますが、「復興」については冒頭から語っています。明らかな「復興」と「避難」「被害」の切り離しであり、政府文書の分析結果と重なります。


 本書が大半を割く、風評被害からの産業復興の担い手の努力については評価すべきものだと思います。そして、福島県出身者として「福島」に対するインターネット上の中傷には心を痛め、なんとか怒りを抑えて冷静に反論したのだろうとも思います。


 しかし、福島県を分母にし、「避難」「賠償」「除染」「原発」「放射線」を語らずに「風評被害」や「復興」を語る手法は、結果として、同じ福島県民の避難当事者や被害当事者の存在を否定し、尊厳を傷つけることになってしまいました。社会学とは何のためにあるのか、考えさせられてしまいます。


 以上のように、本書では「福島県」発の社会学者の「復興」論に、政府文書と同様の避難者・被害者軽視・排除の論理を見ることができます。


 ただし開沼も、3年、5年という比較的短いスパンでの話ではありますが、「今は決められない」という人、つまり「長期退避」の立場の尊重についても言及しています。決められない理由として、避難指示解除が進んだら「賠償額が下がる可能性」があり、帰還をためらう住民もいる、とも述べており、避難指示解除と賠償を結びつけるのはやはり国や県と同じ手法で頂けませんが、それでも「二重住民票」の制度の必要性は感じていたという部分については、避難当事者の当事者性を尊重する議論が見られました。

3)「浜通り」としての復興論ー小松理虔『新復興論』


 開沼と同じくいわき市出身で地域づくりに関わる小松は、2018 年発刊の『新復興論』の中で、開沼が用いた「ありがた迷惑」は「当事者語り」であると批判しました。


 そして「ありがた迷惑」という言葉は「福島の当事者を内と外に分けてしまった」として、「今ここに暮らしている当事者の声のみで、地域をつくってはならない」とも主張しています。


 小松が批判するのは、「当事者性を悪用した排除」です。「知らない人は語るな」とか、「福島県民の気持ちなど分かってたまるか」というような言説がそれであり、開沼のいう「ありがた迷惑」はそれを代表しているといいます。


 ではなぜ開沼が「当事者」に含まれるのか、そこから小松の思想が見えてきます。小松は「当事者を限定すること、当事者を限定しようと思ってしまうような心のあり方」が対立を生み、憂鬱の種だと表現しています。

 そして、東日本大震災と、原発事故の当事者は「全員」であり、「真の当事者などいない」、「当事者を限定しようという身振り自体が愚か」とまで言っています。小松にとって開沼の主張は、福島県民という当事者性を持ち出し、当事者を限定し、内と外を分断するものであったようです。


 しかし、本当に「真の当事者」はいないのでしょうか。避難者や被害者の立場に立脚していたわけではない開沼の「復興」の議論には、避難当事者や被害当事者の原発事故に対する当事者性の議論が欠けていました。


 小松が批判する「当事者性の濃淡で優劣」をつけるわけではありませんが、小松の主張するようにすべての人が当事者だと言ってしまうと、「当事者性が濃い」人々の当事者性まで薄まってしまいます。優劣こそ無いものの、原発事故で人生を奪われ、避難し、被ばくし、事故が収束しないのに帰れと迫られている人々の当事者性と、その周辺の人々の当事者性とでは、質が異なり、重みが違うように思います。

 結局は、「当事者」の捉え方を拡大することで、当事者の中心にいたような、「避難当事者」や「被害当事者」が排除され、当事者不在の復興が進んでいくという小松の議論の構造は、政策文書や開沼と同じであるように思えてなりません。

 実際に、小松の議論には強制避難者の視点はほとんど登場しません。小松の「復興」論 は、「食」や「アート」や「ダークツーリズム」など、外部の思想による福島の再評価であり、原発避難自治体の再生には触れてはいません。


 つまり、小松の「復興」論はいわき市の復興論であり、浜通りの「復興」論なのであって、原発避難自治体の復興論や、原発避難自治体を含む福島全体の復興論ではないと言えます。


 筆者の小松本人は現在いわき市小名浜在住のアクティビストとして「地域づくり」に関わっていますが、福島第一原発事故発生時には、一時家族と離れ新潟県に避難したようです。 自宅に戻った後の2012年からはかまぼこメーカーに勤務してからは原発事故による風評被害への対応に頭を悩ませるなど、原発事故の「自主避難者」でもあり、「被害者」という意味では「当事者」でもあります。

 地域づくりもまた、(中略)ソトモノやワカモノ、未来の子どもたち、つまり外部 を切り捨ててはいけない。今ここに暮らしている当事者の声のみで、地域をつくってはならないのだ。(中略)私がこの浜通りで見てきたものは、現場における思想の不在であった。100 年先の未来を想像することなく、現実のリアリティに縛り付けられ、小さな議論に終始し、当事者以外の声に耳を傾けようとしない。いつの間にか防潮堤ができ、かつての町は、うず高くかさ上げされた土の下に埋められてしまった。 復興の名の下に里山が削られ、ふるさとの人たちは『二度目の喪失』に対峙している。被災地復興はいわば『外部を切り捨てた復興』でもあったのだ。(小松 2018)

 小松の、現在進められている復興政策は真の「復興」ではないという立場を取る点は、1)の市村の主張と共通しています。

 しかし、その理由として市村が復興過程において「当事者の話が欠けていく」という当事者不在を指摘しているのに対し、むしろ小松は 「外部を切り捨てた復興」という「当事者中心」の復興政策が失敗を招いた、と指摘しているのです。


 しかも、小松が言う「当事者」は、開沼らのような「避難者ではない福島県民」であり、避難者ではありません。福島原発事故からの復興についての議論をしているはずが、実際は避難自治体ではなく、おもにいわき市の復興についての議論に終始していることに注意しておきたいと思います。

 小松が主張する「外部」に県外避難者が含まれているとすれば、市村と主張が重なる部分もあります。「今ここに暮らしている当事者」以外の声として、将来帰還する「避難者」を含め、彼らの声も取り入れることを想定しているとすると、将来帰還の住民を担い手にした復興への議論の可能性も見えてくる。


 しかしながら、どうやら小松は「外国人」や「100年後に生まれる未来の人」、あるいは、原発を受け入れざるを得なかった「過去の人」を想定しており、「避難者」の「当事者性」はそれらと同等の扱いか、あるいは想定すらされていないように読めます。


 市村らが原発被災者はタウンミーティングなどで互いに会う機会を作り、声を集約し、「当事者」が声をあげることの重要性を第一に主張している(山下・市村ほか 2013)のに対し、小松は被災者など当事者の声のみに頼ることが「二度目の喪失」につながっているとし、「当事者」を広げて外部の思想を積極的に取り入れるべきだと主張している点で、両者の主張は相反すると言えるでしょう。


 また、市村などが「避難者」が復興の当事者として声をあげ、現地がその声を取り入れるための手段として「セカンドタウン」や「二重住民票」の必要性を強調しているのに対し、復興に外部の声を積極的に取り入れるべきだという小松は、外部を巻き込む手段としての「食」や「アート」、そして 「ダークツーリズム」を重視した復興論になっています。復興の「当事者」の捉え方によって、復興に向けての取組みが大きく異なってくることがうかがえます。


 興味深いことに、小松は開沼の主張を批判しますが、「復興」として目指すものが「ダークツーリズム」だという点は、開沼と重なっています。そのほかにも、「食」については「風評被害」を取り上げ、県外消費者への情報発信を重視している点も共通しています。

小松は原発事故を「災害」と捉えており、現在のいわき市の状況に「宿命」という言葉を使っているように、原発事故の加害性については問わずに、むしろ論敵はおもにSNS上 で「デマを流す人」、つまり風評のようです。いわき市にとって、原発事故のもっとも大きい被害は風評被害ということなのでしょう。


 以上、小松の議論について紹介しましたが、このような議論を見てみると、どうやら原発事故の実害を捉えることなしに、「風評被害」だけを扱おうとすると、「避難者」や「被害者」の当事者性不在の「復興」論が 展開されるということがわかりました。


 そして福島県内の「マジョリティ」としては風評被害をなんとかしたいという思いが強いために、避難者や被害者は「マイノリティ」として扱われるか、無視されてしまいます。


 小松の「復興」論も、風評被害をメインテーマとすることで、原発事故からの「復興」 を避難・被害からの生活再建や回復の話から、生産者と消費者、観光産業と消費者の問題にすり替えており、国が進める風評被害対策、風評払拭、リスク・コミュニケーションの政策と親和性の高いものになっています。


 繰り返しになりますが、風評被害があるのは「実害」があるからであり、「実害」を問わず、何が「復旧」かも把握されずに「復興」を捉えることは、避難や被害の当事者を分断し、排除することにつながりかねないのだということを強調しておきたいと思います。

 今回の記事では、福島県を代表する「復興」論と、浜通りを代表する「復興」論、そして避難元自治体である富岡町からの避難者による「復興」論を取り上げ、比較しました。次回はこれまでの議論をまとめ、結論について述べます

2021年4月10日 宮本楓美子

 (このページについて、他の原発問題に関係する記事や批評の紹介にあたっては、こちらの記事をご覧ください。)

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