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ウツ展開すぎる国際ニュースへの対抗としてポパー哲学を「写経」し続ける---いちばんビビッときた考え方抽出編

昨日の以下の記事にあげた通り、

世界のニュースを見ていてウツになっていた先週から、哲学者カール・ポパーの『果てしなき探求』の英語版をひたすらノートをとって勉強し、精神衛生上、ようやく復活気味

あたかも「写経」のように、手書きノートに原文を英語で「模写」して、考えたこと気づいたことをメモしていく丹念な勉強の仕方。今の時代にこんなに効く哲学理論とは思わなかった。

おもいっきり単純化して図に描けば、いちばんビビッときたのはこういう考え方↓

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奥深いところは、

どんなに素晴らしく厳密な理論で、証拠がたくさん見つかっている科学であっても(たとえば物理学ですらも!)、何かしらの反証が出てくる可能性をゼロには絶対にできない

ということ。もちろん、だから「絶対に正しい理論などはないのだ!」が正解ですが、それはニヒリズムではなく、「この世のありとあらゆる理論や主張は、互いに反証を提供しあって、相互に高いレベルにいくしかない」と考える点。

つまり、「よい理論ほど、意見の違う人やグループから反証を出してもらうことを求めている」はずなのだ、と考えることです。

証拠をいくつ積み上げたか、で物事の正しさを判定するのではなく(図示したとおり、反証の数の総体がわからない以上、「証拠をN個見つけました!」という数をいくつ積み上げても正しさの補強にならない)

反証に対してキチンと向き合っているか、で主張や理論の「よさ」を判定する、というところでしょうか。

これは、中途半端なディベート授業などで誤って教えられている、「とにかく相手を論破して勝つことがエラいのだ!」という発想とはまったく逆であることに注意したいです。

ポパー氏はエピステモロジーという哲学の世界で仕事をしていましたが、もしかして「民主主義の為のフレームワーク」としても重大な指摘をしているのではないか、と、私がつとに考えるのは、このあたりの発想がビリビリくるからです。

いずれにせよ、「お前がウソだ」「いやお前がウソだ」とやり合うばかりの風潮に疲れた時、ポパーのテキストを写経のように丹念に読むことは、私を憂鬱から救い出してくれるのです。



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