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【私が哲学者ニーチェから学んだたったひとつのこと】ポルトフィーノで世を捨てること

というわけで、哲学科出身でもドイツ文学科出身でもなく、ただの「ニーチェを読むのが好き」なだけのウサギである私に、僭越ながらもまた、ニーチェについて語らせてください!とはいえ今日の記事はニーチェとはいっても哲学の話ではなく、なんと、イタリア旅行へのお誘いの話ですw

実のところ、私がニーチェを読んできて、

永遠回帰とか、アゴーンとか、遠近法主義とか、アポロ的なものとディオニュソス的なものの対立とか、あるいは、超人とか大地的意義とか権力への意志とかなんでもいいのだけど、

そういうキーワードそれぞれはとても面白いと思いながらも、どこまで自分が思想的に影響されたか、となると、自分でもよくわからない。そんなに「洗脳」されてもいない。というか、ぶっちゃけ、ニーチェのキーワードは毒気が強すぎて、現代人が本気で受け取りすぎると、カルト教のようなアブない思想にしかなりえない気もする(そしてそもそも、そんなふうに無条件の「信仰」の対象として、まるで宗教の教祖のようにありがたがられることはニーチェ先生本人がめちゃくちゃ嫌がるはずだ!)。

だけど、

私がニーチェを読んできて、ほとんど唯一、間違いなく、一生を左右される決定的に、影響されてしまった点があります。

意外なことかもしれませんが、

彼の「イタリア旅行好き」な点です。

ふざけているのではなく、ニーチェがドイツの政治にも絶望し、音楽に賭けた夢にも絶望し、大学教授としての生き方にも絶望し、キリスト教にも絶望し、そして恋愛にも絶望した時、

最後に選んだ生き方が、イタリアの地方の町(たまーに、南フランスやスイスに行くこともあったが、結局は、またイタリア)に隠遁して、風景のよい海辺の道を毎日散歩するという静かな生き方だったというのは、私には強烈に共感できる話だから!

私の場合は、父の仕事のおかげで、子供の時にギリシャを旅行したことがあり、イタリアのほうはあまり詳しくないが、それでも地中海沿いの田舎町の平和さ美しさというのは私も見たことがある。イタリアにも一度だけだが、ニーチェのことを想いながら旅行に行った、、、ニーチェ好きでもなんでもないのについてきてくれた私の妻には今でも大感謝。。。

そしてイタリアとニーチェの話をするならば、

ニーチェが『ツァラトゥストラ』のインスピレーションを得たというポルトフィーノという街が大変重要です。私はこのポルトフィーノという街に行ったことはないが、写真で見るだに美しい街。

後にアミサニという画家が、このポルトフィーノの街を何度も題材にして絵を描いてくれたおかげで、なおさら、「昔のこの街」の雰囲気が我々にもよく伝わる↓

人生でたくさんの挫折や絶望や失恋を味わったニーチェが、「社会」に背を向けながらも、最後まで現世の美しさを愛していられた秘密は、このポルトフィーノのような、美しいイタリアの街で隠遁生活を送る余裕があったからでしょうか。

そして語学に詳しい方ならもうお気づきの通り、「ポルトフィーノ」という地名は、そのまま訳せば、「最後の港」という意味になる。これ以上に、世捨て人型の哲学者が隠遁するのにふさわしい地名の街もないでしょうw。この地名があまりに彼の人生と符合してきこえるのは、意図的なことではなく、単に偶然でしょうけど、、、。

そして私から付け足すことといえば、

ニーチェほど「現代社会で何らかの権力を手に入れてエラそうなヤツになること」を病的なほどに恐れていた人もなく(※ややこしいけど、彼が「権力への意志」というときの「権力」は、現代社会での成功者が手に入れたがるような権力とはちょっと違うので注意、、、)、

それで言うと、

若い頃にはIT企業のマネージャーにまでなったことがあるが、鬱病をやらかして離職した上に、マネージャー時代に会社の命令で部下のリストラも粛々とやっていたことを後悔している私ヤシロも、二度と現代社会で他人より偉くなりたいと思わなくなってしまった人であり、可能ならイタリアの田舎に隠れて世捨て人として余生を送りたいと思うことがあるんです。。。家族持ちだからできないケドw

でも私がニーチェから学んだのは、

この「積極的に世捨て人になる!」というしぶとさでした。

権力と権力の争いばかりの現代社会に恐ろしさを感じているなら、

しかしだからといって「反権力を標榜して愚かな大衆へのマウントをとる」というもういっぽうの(いかにも現代的な)権力の病の恐ろしさにも気づいてしまっているなら、

いっそのこと宇宙論レベルの規模での「途方もない遠い未来の人間」にエスエフ的希望を託し、自分自身は「積極的な世捨て人」タイプとして静かな生き方を望むと言うのは理屈として私には理解できることなのです。。。そしてその隠遁先として選んだのがイタリアって、まことに文句のつけようがない。。。私はあいにく東アジア人なので、隠遁するにしてもイタリアというわけにもいかんが

(でも日本にも散歩が楽しい「岬」がある街はたくさんあるから、そういう街の老人ホームを狙えばいいのか!?ニーチェ的なロマン趣味とはずいぶん違うが、、、私が選べるとしたらそんな話くらいしかない、、、そしてその老人ホームの名前がたまたま「リビエラ」とか「アマルフィ」とか、「ポルトフィーノ」だったりしてね)

※追記:ところで・・・以下は完全に「豆知識」な気づきの話になりますが、イタリアを愛したニーチェが人生の最後についに発狂して倒れてしまったのは、これまたイタリアの町、トリノでのことでした。

トリノといえば!

サッカー好きな方は、すかさず超有名サッカーチーム、「ユベントス」を思い出すのでは?私も、ユベントスというサッカーチームが好きなのですが、先日、凄いことに気づいちゃいまして

ニーチェが亡くなったのは1900年、ユベントスのチーム創設は1897年だから、

なんとなんと、現代ヨーロッパサッカーで我々にもおなじみのチームが創設された頃には、まだニーチェは存命だったんですよね、、、!

印象として凄い古い人かと思いきや、よくよく考えるとかなり「現代」に近い時点まで生きていたのがニーチェなのだなと、ユベントスの歴史を見ていてあらためて思うた。ニーチェがあと十年長生きしていたらイタリアのどこかでサッカー試合を見かけることもあったのかもしれん、、、もっとも彼のような気難しいドイツ哲人が、イタリアサッカーを見かけたとして、好きになったかどうかは、はっきりいって、可能性はかぎりなく薄い、、、

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