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🍺ビールに代わる日記🍺

プランナーとして考え続ける日々や経営しながら苦悩する日々をつらつらと書いていきます。読者の質問には全て答えていこうと思っています。 頻度:最低週1回(月4本更新〜) 対象:幅広く…
このマガジンを購読すると時々心が楽になったり、スーパーどうでもいい日記もあるんですが回り回って松倉…
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#日記

【全文公開記事】そこにあなたはいない。

あけましておめでとう。なんてことをほとんど言わないまま三が日が終わる。こんな年越しムードの尾を引いても良い3日目に斜に構えたような発言をして良いものか。とはいえ、1月1日でも12月31日でも同じ1日に変わりはない。子供の頃から、どこか年越しムードに追いつけないまま大人になってしまった。 いつも通り、銭湯道具を抱えて夜道を歩く。 最寄りの初風呂にでもいこうかと薄着で外を歩く。 去年に比べて全然暖かい。暖冬だ。 いつもの曲がり角を曲がると古い大きな一軒家があった場所が、綺麗な

【全文公開記事】寝れえない夜のセンチメンタルジャーニー

真っ暗な寝室で天井を眺める。 眠気、全然来んやんけ。おかしいなドリエル試しに飲んだのに。 ちなみにドリエルのパッケージには、誰かいたのこのイラスト最高じゃんという眠れない今の自分と全く同じ顔をした猫が描かれている。 いつもと同じように1万歩も歩いている。 銭湯にこそいかなかったが長湯もした。どうにも仕事が立て込んでいると色々考えだしてしまう。 諦めて読書灯をともし、今日買った本を読み出す。 マンスーンさんのエッセイ本『無職、川、ブックオフ』 パッと書店で読んだ時に好きな

片方だけが一番ダサい

金曜日。AMに全ての仕事を終えて、スタジオの大掃除をおこなう。 コンコンの共用部は有志の仲間たちと効率よく活気良く徹底的に綺麗にする。なぞのキッチンツールや、賞味期限が切れた諸々、数人の鼻を壊した魚介類たちにごめんなさいをし破棄する。 この日の夜、コンコンの忘年会を僕らが10数年前に作ったアンテルームのレストランを貸切開催する。ワインジャンケンという僕らが生み出したジャンケンリーグの決勝戦も行われるため、廃棄される材料で急拵えのトロフィーを作る。新聞紙、ガムテープ、ブンブン

非日常が日常な人生を踊り切る

6日目だ。 トータルでいくと11日連続の飲み会。 飲み会といっても遊びじゃない。仕事やらなんやら入り混じってのそれだ。ただのアル中クソ野郎だと思われてもしょうがないが、昨日クライアントに「松倉さんは、酒から逃れられない人生だから」とにこやかに微笑まれた。 ただの飲み会じゃない。 京都もあれば神戸もあるし東京もあれば大阪もあるし、6日たった今、体感的には3日ほどしかすぎていない印象もある。 だから日記もラジオも滞る。これでしっかり仕事しているのだから、自分が自分を褒めるしかな

存在しない今日を想像する

ぼーっと鴨川ベンチに座って前を通り過ぎる知らない人たちを眺める。 これが非常に面白い。そこに勝手に物語を想起して、視界から消えていく人たちの存在しない今日を想像する。 目に見えてわかることの退屈さを思う。 この日記を書く際も必ず読者の数の表示されるので見えない工夫をした。その数字に無意識的に操作されてしまう危惧があるからだ。 0人でも1人でも。20人でも100人でも。その数字に左右されてはいけないと考える。操作されている時点で自分の言葉ではなくなってく怖さを感じる。 その

心の健康を優先すべきと気づいた

グダグダと16時を迎えてしまった。やるべきことは色々あるのだが、面倒臭い。事務処理がある程度溜まっているし、今日やっておく方が来週ほぼ移動でデスクにはいないのでやるべきだ。 しかし、心が動かない。心が動かないと体も動かない。やり出したらすぐ終わることがわかっているのに不思議なものだ。 昨日も歩き倒した。もう散歩欲は満たしたが、やる気だけが過去か未来に置き去り状態になっている。夜、銭湯をご褒美にでもして1時間でやりきればいいかと少し先の自分に委ねている。 1クールに1日くら

いい音を奏でに

僕は耳がいい。形がいいとかじゃなくて、よく聴こえる方面だ。数件先の家の部屋のアラームが聞こえて目を覚ます。聴こえすぎて寝れない年月も長い。部屋にアナログ時計なんておいたら、世が明ける前に叩き壊すだろう。 なぜこんなにも聴こえるのか、大人になってから周りの人たちとの会話の中でズレに気づいた。コンビニのモスキート音は当たり前として、家の中にある電子機器の音や街中でめちゃくちゃ遠い救急車やパトカーの意図が聞こえて「あ、救急車くるね」っていうと???となり、数分後にあ、ほんとだとな

遠くまで、とどく声

実家のリビングのように我がスタジオでくつろぎながら事業プランを練っていく。「最近、どう?」みたいなファミレスの風景みたいな景色だけれど話の中身はだいぶ高度だ。変なのと毎回思いながらきゃっきゃしている。 休日、喫茶店の外でタバコを吸っていると壁の壁面のクラックを眺めていた。この日記の写真のやつだ。ふと、じーっと眺めていると目の前に壁があるってこういうことかと、すごく当たり前なことを考えだした。前に進めない。でも、横を見れば公道もあるし、逆を見れば建物の裏道もある。後ろを見れば

燃え尽きない症候群

燃え尽き症候群(バーンアウト)という状態がある。 この仕事を20年続けていると、そのような状態に陥った友人たちが何名もいる。ストレス起因もあるが、主には作ることに対しての圧倒的熱量と責任でもって燃え尽きてしまう。 同業の方なら想像にたやすい状態かもしれない。バーンアウトは身近に存在するし、この先に横たわる乗り越えられない大河のような存在に感じる。 しかし、なぜだか、僕にそれが訪れないことを週末の散歩で考えたりした。 他の人たちの働き方や心の状態を知る術はない。 自分の中で

孤独を噛み締めるための執筆

気づけば日記から遠くなっていた。noteで365日毎日書いてみるなんて無謀なことをしたり、ラジオをしたり、経営をしたりとしている間に日記を書くことから、とても距離が離れていた。 先日、販売された古賀史健さんの新著を読み、日記ってそうだよなと改めてその価値に気付かされた。調子の良し悪しなんてさまざまだけれど、なんだか365日毎日書いている間は心が健やかだったように思う。 アナログに1文字1文字打鍵していた時代から、気づけばAiが日常の当たり前になり、さくっと日記らしいものを