【温泉】霧積温泉「金湯館」(群馬県安中市)
今日ご紹介する温泉は、群馬県安中市の霧積温泉「金湯館」さん。
群馬県と長野県の県境に位置する、人里離れた山奥の一軒宿だ。創業は明治17年にさかのぼる。
この霧積温泉エリアには、過去には、旅館や別荘など42軒が点在した。軽井沢が開発される以前には、東京からの避暑地として、政財界や文学界の重鎮たちに愛されたという。なかでもこちらのお宿は、伊藤博文のグループが明治憲法草案を作成したという歴史を持つ。
しかし、明治43年には大洪水に遭い、こちらのお宿一軒のみを残し、全ての建物が泥流に呑まれてしまった。その後、昭和56年に林道が開通するまでは、ランプや水車による発電、ディーゼルエンジンによる自家発電などを経て、電気も電話も通じない状況で営業を続けてこられた。その後も山奥の不便な環境にもかかわらず、昔ながらの施設を現在まで維持してこられた。
私は長らく、このお宿に伺ってみたいと願っていた。というのも、私の好きな作家のひとりである森村誠一の長編推理小説『人間の証明』に、こちらのお宿が登場するからだ。若い頃にこの作品を読み、その世界観に惹かれていた。
お宿のサイトによると、森村誠一が大学生であった当時、こちらのお宿に宿泊して、お宿に作ってもらった弁当を持ってハイキングに出かけた。森村が山頂でその弁当を開いたとき、包み紙に刷られていた西条八十の詩『帽子』が目に留まり、それがきっかけで『人間の証明』が世に出たという。
『人間の証明』では、以下のようなくだりから、霧積温泉の紹介が始まる。
2022年秋、ついに念願が叶い、こちらのお宿に1泊する機会を得た。以下、そのときの記録を残しておきたい。
アクセス
秘湯中の秘湯で、アクセスは至難。最寄駅は、駅弁「峠の釜飯」で有名なJR横川駅。そこから山の中を車で30分、または徒歩で3時間の場所に、お宿の専用の駐車場がある。宿泊者はそこからお宿の車で送迎してもらえるが、日帰り客はさらに20~30分の山登りが必要となる。なお、冬季は国道からの送迎があるそうだ(アクセスについては、最新情報を公式サイトでご確認ください。)。
私たちは、自家用車で向かった。お宿の9キロ手前地点の国道18号沿いに、こちらの「玉屋ドライブイン」がある。ここからお宿に電話して、今から車で向かう旨を伝える。予約の際、そのようにするよう教えていただいたのだ。
そこから、すれ違い至難の林道を、肝を冷やしながら、ひたすら進む。幸いにも対向車が来なかった。道中で写真を撮る余裕などなかった。
ようやく、お迎えスポットの駐車場に到着した。こちらに車を停めて、お迎えを待つ。
徒歩のひとは、ここから「ホイホイ坂」を約1キロ登る。
西条八十の詩『帽子』が掲示してあった。この霧積の地をうたった詩であり、森村誠一の推理小説『人間の証明』で使われ、物語の鍵となった。
少し長くなるが、こちらに引用させていただく。
暫くすると、お迎えのバンがやってきた。
車に乗せていただき、さらに険しい道を進む。お宿の方の運転技術には脱帽だ。木々が秋らしく、美しく色づいていた。
こちらのお宿のロケーションについては、『人間の証明』に以下のような描写がある。
外観
車を降りて、歩いて向かう。黄色に色づいた木々の奥に、レトロな赤い屋根が見えた。
昔ながらのレトロな佇まいに、心躍る。
朱色の橋が、まるで過去の世界へと誘っているようで、幻想的だ。
『人間の証明』には、金湯館にたどり着いたときの描写があった。なんとも美しい描写だ。
館内
ワクワクしながら、館内に入る。母屋は、明治16年に総欅造りで建てられたものだとか。まるでタイムスリップしたかのようなレトロな風情に魅了された。
歴史あるお宿ゆえ、展示物が多い、とりわけ、森村誠一と『人間の証明』に関するものが多かった。
安住アナウンサーからのお手紙も飾ってあった。
客室に向かうため、玄関右手の黒光りしている階段を上る。
廊下をどんどん奥に向かう。
共同の洗面所。簡素だが、清潔。
『人間の証明』にも、館内の鄙びた様子についての描写がある。
客室
この日宿泊するお部屋へと進む。
十分な広さの和室。既に、こたつと布団がセットされていた。
とても懐かしい感じがして、落ち着く。
温泉
荷物を降ろして一服したら、早速、お風呂へ行ってみる。受付まで戻り、客室と反対方向に向かって、階段を下る。
壁に、手書きの年表が掲示されていた。なんと、室町時代の1380年に温泉が発見されてたという。犬が源泉を発見したと言われており、「犬の湯」と名付けられたようだ。
どんどん進み、廊下の突き当りの、男女別の内湯の入り口に到着した。
洗面台の蛇口からも温泉が出る。
脱衣所はシンプル。
わくわくしながら、浴場へ向かう。
扉を開けると・・・。
タイル張りのシンプルな浴場。壁の一部に岩を利用している。
透明なお湯から、えも言われぬ魅惑的な硫黄の香りがする。
入ってみると、ぬるめのお湯だった。いつまでも浸かっていられそうな温かさだ。
ビロードのような泡が、全身を覆う。すべすべとした最高の肌ざわり。なんという心地よさだろう。
こちらが温泉分析書。泉質は、カルシウムー硫酸塩温泉。泉温は38.9度。
この極上のお湯が毎分300リットル、24時間絶え間なく注がれている。なんという贅沢。滞在中に何度も、長湯をさせていただいた。
こちらの流し台からは、勢いよく源泉が流しっぱなしにされていた。こちらのお宿では、飲泉も楽しめる。
『人間の証明』には、このお湯について「肌に柔らかい」「命の洗濯」と表現されていた。森村誠一も同じお湯を楽しんだかと思うと、感慨深い。
食事
お風呂から上がり、部屋に帰ると、心地よい倦怠感に包まれた。畳の部屋でこたつにあたってダラダラする。そんな至福の時間を味わっていたら、どんどんお腹が空いてきた。
ここで、今夜の夕食だ。こちらのお宿では、ありがたいことに、食事をお部屋まで運んでいただける。
夕食
ふたり分の夕食が、こたつの上を覆う。
メインは、山菜を中心とした天ぷら。野趣あふれる一品だ。
箸袋にも、『帽子』の一節が。
全てのお料理が、土地の素材を生かした素朴な料理で、優しいお味だった。特に、山菜の天ぷらは、これほど種類豊富な盛り合わせを見たことがない。自然の甘みや苦みが味わえ、大変なご馳走だった。
『人間の証明』にも、こちらのお宿のお料理を讃える描写があった。山菜の天ぷらは、昔からこちらの名物料理であったようだ。
朝食
朝食も、やはり山の幸を中心とした和食。素朴なお味でヘルシーだった。
おにぎり弁当
チェックアウト後のランチ用に、おにぎり弁当も作ってもらった。前日にお願いしておくと、翌朝渡してくれるのだ。
おにぎりは2コ。とても大きくて、食べ応えがある。
おにぎり自体もだが、私は、このおにぎり弁当の包み紙が、とても欲しかった。レトロな昔のままのデザインに『帽子』の詩が刷り込んである。これぞまさに、森村誠一が、『帽子』の詩に感銘を受けて『人間の証明』の着想を得たという包み紙なのだ。
『人間の証明』にも、金湯館で『帽子』の詩を刷り込んだ紙を使っていたエピソードが盛り込まれている。
この包み紙は、大切な思い出として今でも大事に保管してある。
帰途
1泊の滞在は、あっという間だった。ゆっくりと眠って目覚めると、朝の光に照らされた紅葉がきらきらと輝いていた。
最後に、庭の水車を見学した。
来た時と同様、赤い橋を渡って、建物を後にする。
復路は、往路と同じお宿のバンで駐車場まで送ってもらうこともできたが、あまりに気持ちの良い朝なので、3キロの車道を歩いて下ることにした。
眼下に遠ざかっていく赤い屋根に、さよならを言う。
赤や黄色に彩られた木々の間を進む。ひたすら下るだけなので、とても快適なハイキングだ。
「ホイホイ坂」への入り口。こちらの山道を歩いて下れば、駐車場までショートカットができる。私たちは「ホイホイ坂」へは行かず、そのまま車道を進んだ。
清々しい山の景色に、心が洗われる。
途中で、後から出発したお宿のバンに追い抜かれた。すれ違いざまに、運転席のお宿の方と、後部座席の他のお客さんたちに、手を振ってお別れの挨拶をした。
車道の終点に到着。ここから駐車場までは、徒歩数分だった。とても心地よく下山することができた。
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美しい紅葉の木々に囲まれた山奥の一軒宿での、極上のお湯体験。世の中の近代化から取り残されたような佇まいのなかに、『帽子』や『人間の証明』の世界観が手つかずで残っている。お湯、食事、建物、全てが世界遺産級だ。その幻想的な雰囲気に酔い、心温まるおもてなしに感動しっぱなしだった。
温泉ファンにも、森村誠一ファンにも、自信をもっておすすめできるお宿だ。この素晴らしいお宿が、末長く存続することを、心から願う。
素晴らしいお湯でした。お世話になりました!
こちらのお宿の公式サイトはこちら。
『人間の証明』を読んでみたくなった方は、こちらをどうぞ。
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