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【ランorハイク】石田三成の水攻めを偲びつつ、忍城から石田堤へ(埼玉県行田市)
今週、歴史小説『のぼうの城』の読書録を記事にした。豊臣秀吉配下の石田三成が、北条側の忍城を落とそうとして水攻めを試み、失敗した話を物語仕立てに仕上げている小説だ。映画にもなり、ご存じの方も多いと思う。
この小説を読み、忍城に行ってみたいと思った。そして、石田三成の水攻めの様子をよりリアルに想像するため、石田三成が水攻めの目的で築いた堤防の跡も、見てみたいと思った。また、石田三成の陣地に立って、忍城を眺めてみたいとも思った。
そんな妄想をしつつ、忍城を訪問した。
そして、城址公園の敷地内にある、行田市郷土博物館を訪問した。そこで、次のような掲示物が目に留まった。なんと、『のぼうの城』の名所案内だ。
この地図に、石田三成が本陣とした高台(「さきたま古墳公園」内の「丸墓山古墳」)や、「石田堤」と言われる堤防跡があるという紹介があった。結構な距離がありそうだが、これは、行ってみるしかない!
早速に、この地図をiPhoneで写真に撮り、Google Mapと照合しながら、歩いてみることにした。上の写真の拡大図がこちら(丸印や矢印は私が記入)。
後から、Google mapで、このルートを表示してみると、以下の写真のようなルートになった。
A地点(忍城)→B地点(水城公園)→C地点(さきたま公園内の丸墓山古墳・石田三成本陣)→D地点(石田堤・堀切橋)→E地点(石田堤歴史公園)を経て、その後はJR北鴻巣駅(F地点)まで移動する、総距離約9キロのルート。
では、忍城から、スタートしてみよう。
途中で、水城公園を通った。
大きな池のある、水と緑の豊かな公園。このあたりが沼地であったことがよくわかる。
そこから、さきたま古墳公園の丸墓山古墳へ向かう。フラットで、広い歩道で歩きやすい。私は歩いたが、ランニングにも適していると思う。
広々とした郊外の住宅地を進む。
さきたま古墳公園に到着。赤丸で囲んだのが、目的地の丸墓山古墳だ。
到着。大きな古墳だ。階段が整備されている。これを上る。
こちらが説明版。
丸墓山古墳の頂上からの景色。
その手前にあった、丸墓山古墳と忍城について解説するパネル。
このパネルのとおり、遠くに忍城が見える。以下の写真は拡大したもの。
次は、石田堤に向かう。さきたま古墳公園から、次の石田堤までは、「さきたま緑道」という緑道が整備されている。
「さきたま緑道」の一部。このとおり、大変広々としている。
緑道から見えるのは、豊かな田園風景。
石田堤に到着。こちらの写真の、盛り上がっている部分にご注目。堤の名残が残っている。
石田堤の説明版。
石田堤の碑もあった。
そこから少し南下すると、堀切橋がある。土木遺産ということで、説明版がある。
こちらがその橋。
そこからさらに進むと、「石田堤史跡公園」なる広場がある。
新幹線の高架下に、何やら、戦国武将の家紋の入った板が…!
そして、米俵のオブジェや、パネルのある空間が…。
石田三成が丸墓山古墳から忍城を眺めたパネルを発見! ついさっき行ったばかりの場所が、絵になっている! 感動!
オブジェの米俵には、忍城攻めの際に、水攻めの労役のために雇った農民への報酬が書いてある!
誰も訪問者のいない、謎の空間だったが、私は全てのパネルを読んで、とてもよい勉強をさせてもらった。地方の城下町には、このような、地域おこしのための観光案内がなされているので、とても興味深い。
さあ、あとは、帰途に着くため、JR鴻巣駅まで歩こう。田園風景が続く。
北鴻巣駅へ到着。
今日も興味深いルートだった。広々とした歩道や緑道、田園風景の美しく、快適な道のりだった。今回は約9キロを歩いたが、ランニングするにもうってつけのコースだと思う。
ご参考になれば幸いです!
※同じようなルートを歩いて学ぶツアーの記録を「ミツカン水の文化センター」さんがWebに掲載していらっしゃいましたので、ご参考までにリンクを掲載させていただきます。
※豊臣秀吉の北条攻めの関連記事として、小田原城から石垣山城まで歩く(走る)コースについての、過去の記事もどうぞ!
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