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源氏物語「桐壺」の巻、文法的に読むとこんなに深い、面白い!Part.3

前回に引き続き、源氏物語「桐壺」巻の文章に文法面からアプローチします。「原文は難しそう…」と思っている方、試験対策したい方、ぜひご一読ください!

(Part.2の、「天皇に熱愛された桐壺更衣、恨みを買って病弱に…」という内容は、こちらから)

この記事の元動画

当記事は、YouTube動画「砂崎良の平安チャンネル」の内容を、スクショとテキストでまとめたものです。動画で見たい方はYouTubeを、文で読みたい方はこちらをどうぞ。

前置き:桐壺の巻、冒頭のあらすじ

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これは、ある天皇が御位にあった時代のお話です。
おおぜいいる妃の中で、一人の身分高くない女性(桐壺更衣)が特に愛されていました。
そのため更衣は、他の妃たちからたいそう恨まれてしまいました。
いじめられた更衣は病弱になり、実家に帰りがちになりました。
すると天皇の更衣に対する想いは、いっそう募ってしまったのです。

これが「桐壺」巻、最初の5文の内容です。天皇が更衣を愛しすぎたから、更衣は辛い立場に追い込まれた、すると天皇の恋心は、更衣への心配やら哀れみやらもあって、いっそう燃えあがってしまった…という、【究極の悪循環】のお話です。

本題 現代語訳:いよいよ「飽かず、あはれ…

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いよいよ:ますます、いっそう
飽かず:なごり惜しい、飽きることがない
あはれなるもの:愛おしい者、私の心を震わせる存在
思ほして:お思いになって

要点解説:飽かず

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「飽かず」は平安の重要ワードです。現代語に訳すと
(a)不十分な、もの足りない、満足できない
(b)なごり惜しい、飽きることがない、もっと見たい聞きたい知りたい
という、一見正反対に見える語となります。

ただし、平安人はこの相反して見える意味を「飽かず」の一語で把握していた訳です。そこには彼らなりに合理的な、ある種のメカニズムがあったハズ。それを理解すれば、現代人でも腑に落ちるでしょう。

という訳で、まず 1st ステップ。「飽かず」の原型「飽く」に注目してください。(※現代語の「飽きる」とは似て非なる言葉です!)。

「飽く」の元の意味は「満足する」です。ただし平安人は、この【満足する】を、いい意味でも悪い意味でも使っていました。そうですね、現代語でいえば、「お腹いっぱい」とニュアンスが似ています。

「お腹いっぱい」という言い回し、幸せに満ちて口にしたら、(たくさん食べた、満足!)の意味ですよね。でも、いかにもイヤッそうなウンザリ口調で、「その話はもういいよ、お腹いっぱい」と言った…だとどうでしょう? (聞かされ過ぎて飽きたよ、食傷気味)という、ネガティブ表現になりますよね。

つまり、平安人にとっては「飽く」という言葉、
(a)満足する、十分、満ち足りた
(b)満足を通り越して嫌になる、堪能しすぎて逆にキライになる
という、ポジネガ・リバーシブル単語だったのです。

…前置きが長くなりましたが、いよいよ仕上げの段階です! では、このリバーシブル「飽く」に、打ち消しの「ず」をつけて否定形にしたら、どうなるでしょう?

(a)飽く:満足する → 飽かず:満足できない、不足/不満を感じる
(b)飽く:満足を通り越して嫌になる → 飽かず:満足しても嫌にはならない、味わったけどもっと欲しい/見たい/知りたいと心惹かれる
こういう意味になるのです。

…さあ、原文に戻りましょう。この文章では、天皇が愛妃(桐壺更衣)に対し、『飽かず』という感情を抱いています。また、前回解説したとおり、「桐壺更衣は里帰りしがち」でした。この2点を考え合わせると、解釈は定まってきます。つまり!

「会えた!」と思ったのもつかの間、すぐまた療休取って帰省してしまう更衣に対し、天皇は「飽かず!」と思ったのです。要するに(b)の方、「逢瀬を持てたけど飽きるどころじゃない! もっと会って、見て、話してたい…」という、恋の飢餓感でジワアッと炒られる感じです。

なおトリビアですが、この天皇、おそらく10代後半です。高くとも20代前半って感じですね。
※彼の年齢は、源氏物語中に記載ありません。が物語全体が、天皇家メンバーの早熟を称揚しており、11歳12歳での成人式や結婚、その成人ぶりのめでたさを記述しています。またこの桐壺巻の天皇は、現時点で男児1人女児2人以上を儲けており、このあと次男の光源氏が誕生してきます。その辺りから類推して、この年齢層かと思われます。

現代人は「天皇」というと、年配の落ち着いた男性をイメージしがちかと思います。が、平安時代にはコドモ天皇もおり、数年~10数年務めて弟・従兄弟・子に譲位するので、天皇=男盛り(むしろ少年…)という印象だったのです。在位中はおろか退位後にも、恋愛スキャンダル起こして世を嘆かせる人もいたくらいで^^;

そういう事情を踏まえると、この「桐壺」巻の天皇が【恋の暴走】しちゃってるのも、(青春だなぁ)という感じですよね。

要点解説:あはれなる、思ほして

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「あはれなり」、これも平安の重要ワードなんですよねぇ。現代語に「哀れ(可哀想)」という似て非なる語があるのも、現代人を混乱させるイヤ~な点です。

ここではとりあえず「愛おしい」と訳しましたが(ピッタリはまる訳語は無いので、そうしておくしかありません)、実際にはもっと深い意味です(それを味わえるのが、原文で読む醍醐味です♪)

「あはれなり」、現代語との違いを強調するあまり、「『可哀想』ではないですよ、『しみじみとした趣がある』ですよ」などと言われがちなんですが、実は「可哀想」ってニュアンスもあるんです(この文では特に)

例えばですね、この文章が「飽かず、めでたき(魅力的な)者」だったら、どんな印象になるでしょう? 里帰りしがちな桐壺更衣に対し、天皇は「もっと会っていたい!すごくイイ女だもん!」と、ノーテンキに恋焦がれてる感じになります。

「あはれなり」という、【心がビリビリ震える】という語だからこそ、
天皇自身も、自分のせいだと解ってる
のが伝わるのです。それでも抑えられない、道理や理屈を超えて動いてしまう感情、それが「あはれ(あぁ、と溜息が出てしまうような気持ち)」です。つまり、桐壺更衣のことになると、天皇の心はアンコントローラブルになるのです。はい、青春の暴走ですね♪

次に「思ほして」、これは「思ほす(お思いになる)」という敬語です。敬意の度合いがやや高いので、【この主語は天皇だな】と解ります。…古文は「主語が書かれてないので難しい」とよく言われますが、平安人にしてみれば、
書く必要がなかったから書いてない
だけなのです。怖がりすぎず、平安人のノ~ンビリした語り口に浸ってみましょう♪ (主語は誰?)と思ったら、それを示す敬語・情報が出てくるのを待ってみる、そんな感じで、とりあえず読み進めるのがオススメです。

次の文:現代語訳 人のそしりをも、え憚らせ…

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そしり:非難
え憚らせ給はず:遠慮なさることができず
世の例:世の中の前例、世間の話題(スキャンダル)
ぬ:しまう
べき:だろう、であろう
御もてなし:お扱い、ご待遇、(天皇の更衣へのご態度)

要点解説:え憚らせ給はず、例、ぬべき

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「え憚らせ給はず」、砂崎が古文教師だったらテストに出したくなる所です(笑)。要点は、

え~ず:~できない。(これ、関西弁には「よう言わんわ」「よう~せんわ」という形で残っている語法ですね。言葉の命脈を感じます…)
・せ+給ふ:敬語の二段重ね!つまり敬意が重い!(→主語は天皇)

という2点です。「二重敬語」という文法用語を聞くと、ちょっと身構えてしまうかもしれませんが、要するに平安人にとっては、天皇って【最高身分のお方!】です。なので自然と、敬語をインフレさせたくなるのです。

次に「例(ためし)」。これ、元の意味は「前例」とか「先例」です。平安貴族は徹底した【前例が絶対!】主義者です。何かあると過去の記録を調べ、「似たような例はないか?その場合、どんな対処が採られたか?その結果は吉だったか凶だったか?」と見極めて、現状の参考にします。

…なので、人の耳目を集めるよーな事が起きると、寄ってたかって「これは『前例』になるのでは?!」と取りざたするんですね。要するに【話のタネ、噂話のネタ、スキャンダル】です。ムラ社会の平安京では、このようなネタになることは、社会的生命に関わりかねないコワイものでした。この文では、こちらのニュアンスです^^;

次に「ぬ」と「べき」。どちらも助動詞です。
・ぬ:ここでは、文意を強調したいので使われている語。
・べき:「べし(推量)」の活用した形。「~だろう、~になりそう」

ここで注目していただきたいのは、「ぬ」のニュアンスです。現代語に訳すと「~してしまう」に当たります。要するに、「マズい、よくないことが起こりそう」って感じがするのです。

…うーん、源氏物語、冒頭のわずか5文で暗雲フラグが立ちまくってますねぇ。「うわー波乱が来るぞ」って感じです。当時の読者はハラハラ、一気に引き込まれたに違いありません。

まとめ

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今回は、天皇の心情・態度を主に描写している箇所でした。青年君主が、「政治としての愛し方」をしきれず、自縄自縛に陥っていくという様子を、「飽かず」「あはれ」という語で見事に表現しているテクニック、お解りいただけたかと思います。

とりあえず、この記事で「冒頭のあらすじ」として取りあげた箇所はすべて解説し終えました。このあとは、またいずれということで♪



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