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源氏物語「桐壺」の巻、文法的に読むとこんなに深い、面白い!Part.1

源氏物語で最も有名な文章、冒頭の部分を解説します。文法というと小難しいイメージですが、単語の意味、助動詞のニュアンスなどが醸し出す奥深さを、嚙み砕いてお話ししたいと思います♪

この記事は、YouTube動画「砂崎良の平安チャンネル」の内容を、スクショと文章でまとめたものです。動画で見たい方はYouTubeを、テキスト版がよい方はこちらをどうぞ。

「桐壺」巻 冒頭のあらすじ

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これは、ある天皇が御位にあった時代のお話です。
おおぜいいる妃の中で、一人の身分高くない女性が特に愛されていました(この妃が俗にいう「桐壺更衣」です)。
そのため桐壺更衣は、他の妃たちからたいそう恨まれてしまいました。
更衣はいじめられ、次第に病弱になり、実家に帰りがちになりました。
すると天皇の更衣に対する想いは、さらに募ってしまったのです。

これが「桐壺」巻、最初の5文の内容です。天皇が更衣を愛しすぎたから、更衣は辛い立場に追い込まれた、すると天皇の気持ちは、更衣への心配やら哀れみやらもあって、いっそう燃えあがってしまった…というお話です。究極の悪循環です。

出だしの数行で、この成行き。平安の読者がいかにハラハラしたか、おわかりいただけるかと思います。

では本文解析:いづれの御時にか

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いづれの:どの
御時:天皇のご時代
あらむ/ありけむ:あったろうか

用語解説:いづれの御時にか

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御時:「ある天皇が世を治めていた時代」に「御」をつけた敬語。

当時、元号はよく変わりました(災害などが起こるたびに、縁起をかついで改元してました)。で、西暦のような一貫した暦はありません。そのため平安人は、「村上の御時に(村上天皇のご時代に)」などというように、【天皇の在位期間】で時を認識していました。

か:疑問の意味を表す係助詞「か」。いわゆる係り結びです。結びにあたる「あらむ/ありけむ」のような語は、言わずともわかるので省略です。

脱線:「いづれの御時にか」の革新的意義

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平安中期、物語の語り出しとしては、
・(今は)昔、××といふ人ありけり。
・○○の御時に、…
が一般的だった。これらの出だしには、「昔話/すでに決着がついたお話」というニュアンスが感じられる。つまり読者にとっては、他人事感が漂う文章だった。

対して「いづれの御時にか」は、「いつの時代か?」と、わざとすっとぼけてみせる文章。読者は、(え?もしかして今の時代のこと?)と感じ、当事者意識が掻き立てられる。革新的な文章テクニックであった。

次の文:女御・更衣、あまた、さぶらひ…

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女御・更衣:妃の称号(タイトル)です。高貴さは女御>更衣。
あまた:大勢、たくさん
さぶらふ:お仕えする。(※当時、天皇の「配偶者」なのは「后」だけ。女御や更衣は、いわば家来、使用人として天皇に「仕える」立場でした)
いと:たいそう、とても
やむごとなし:高貴な
際:身分
あらぬが:ここでは「~ではない人で」。詳細は以下↓
すぐれて:特に
時めく:時代の風に乗って栄える。妃の場合は「天皇に愛される、ご寵愛を得る」という意味。
給ふ:ここでは「おいでの方」、詳細は以下↓
ありけり:あった

用語解説:女御・更衣、あまた…

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やむごとなき際にはあらぬ「が」、すぐれて時めき給ふ…
「が」、要注意!

高貴な身分ではない「が」、とりわけ愛されておいでの…
と訳したくなるけれども、ここでは「逆説(~だけれども)」ではない!

「~で、~で」の「で」に当たる、同等のものをつなぐ「同格」の語なので、
高貴な身分ではない(方)で、とりわけ愛されておいでの(方)…
という意味なのです。

「人/物」に当たる語は、よく消える

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あらぬが、すぐれて時めき給ふ、ありけり

この文では、「あらぬ」のあとに「人」に当たる語が消滅しています!

なぜ、それがわかるかというと、「あらず(~でない)」という語の「ず」が「ぬ」という連体形に変化しているからですね。

実は古文では、このように「人」や「物」、はたまた「こと」などに相当する単語が、断りなしに消える傾向があります。

閑話休題:古文と現代文の根本的違い

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「人」や「もの」を説明したい場合、現代人は「人/物」を〆に持ってきます。例えば、

(例)美しくて、高貴な人。

という要領です。裏を返せば、「『人』という語が述べられたから、この人についての説明は終わったな」、そう解釈するプログラムが、現代人の頭にはセットされているということです。

しかし古文では、「人/物」に当たる語、複数回使ってもOKです。

(例)をかしげなる人が、やむごとなき人。
(現代語訳)美しい人で、高貴な人。

で、「人」の連呼は平安人といえど面倒なので、省略しちまいます。その結果、

(例)をかしげなるが、やむごとなき。

などと、厄介な文が出現する訳です。現代人の目には(えッ、これ「人」についての説明なの?!)って感じですよね(笑)。

まぁ平安人は、穏やか~で耳目を刺激しない物言いを好みましたので、文章をだらだら、だらだら、だらだらと続けていく傾向があります。「人/物」を形容する言葉に関しても、「~な人ッ」とパキッと締めくくるより、「~な人で、~で、~で…」と、ゆったり述べるほーが好き、だったのかもしれません(みやびと取るか冗長と見るかは、アナタ次第です笑)。

以上、古文と現代文の質的違い、でした。

文化面アプローチ:女御・更衣あまた…の不穏当さ

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さて、一大長編小説『源氏物語』、始まってわずか2文にして、実に物騒なことを述べています。(平安の読者にとっては「ええッ?!」と思わせる、ツカミ十分な出だしだったこと、ご理解ください)

つまり、「天皇が身分差を無視した恋しちゃった」訳です。

現代人は、「人類みな平等(身分なんて差は実際には存在しない)」と考えていますので、身分差なぞ「乗り越え可能」なものだと思っています。程よい障害なので、恋愛モノにはうってつけ。だから身分差ラブはよく創作のネタになります。しかしそれは、あくまで「現代の」発想

平安人は、「身分差は絶対」と感じていました。恋愛する際においても、「さすが○身分!」と思うか「○身分にしては上出来/不出来」と見るかで、身分ぬきの他者評価はあり得ません。生まれ持った身分は、その人の資質の一つだったのです。

彼らがそういう価値観に至ったのは、(もちろん種々の要因がありますが)、一つには、「さきの世(前世)」思想です。

この人生での出来事は、すべて前世に因縁がある、という考えです。これに従えば、今生でよい報いが得られるのは、さきの世で善行を積んだからです。なら、高貴な身分に生まれつくのは? きっと前世でさぞかし頑張った方でしょう。

そういう風潮の世界において、「身分を無視する」ということは、人の資質や前世の努力を無視するものです。まぁ、現代人に例えれば、「実力ない者が上司になった」みたいなものでしょうか。不公平、不公正、許容できないことな訳です。それを天皇が、国の中枢である宮廷で、堂々と行ってしまっている

平安人の感じた波乱の予感、お感じいただけたのではないでしょうか。

まとめ

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本日は、源氏物語「桐壺」巻の冒頭2文を解説しました。

文法的には「同格の『が』」や「係り結び、結びの省略」、「人に当たる語の非表示」などがあり、なかなか難解です。

また文化的にも、平安の宮廷や思想に関係する知識がナチュラル~に求められます。

正直、のっけから高いハードルですが、平安人が感じた引き込まれ感、衝撃などをお感じいただければ幸甚です。

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