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ごくねち(極熱)あれこれ ~源氏物語Su‐分講座雑学編テキスト版~

この記事はYouTube動画「源氏物語Su‐分講座雑学編 ごくねち(極熱)あれこれ」の内容を、画像&テキストでまとめたものです。動画より文章でさっくり読みたい方、こちらをどうぞ♪

今回のテーマ:そもそも「極熱」とは?

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ごくねち(極熱)=超絶あつい! という意味です。
飲み物にも気候にも使う表現です。

飲み物の「ごくねち」、実例はこちら!

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11世紀初頭、つまり今からちょうど1000年ほど前に、書かれた小説『源氏物語』。その中に、

わたくし、極熱の草薬を服用いたしました…。

と語る女性が出てきます。完全なモブで、ストーリーには全く!関わらない、その他おおぜいキャラの一人ですが、

ふつうの女性なら「いと熱き」と言うところを、わざわざ「極熱」と漢語化するインテリ女性です。キャラが立ってます。「学者の娘」とか「賢き女」「賢女」と呼ばれる人です。

気候の「ごくねち」、実例1

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源氏物語より数十年前に書かれた、『うつほ物語』の一節です。
極熱なので皆さん出勤さえせず、家にこもっていた…という羨ましい文章です。

気候の「ごくねち」、実例2

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同じく『うつほ物語』から。「昔、こんな極熱の候に、この釣殿へレジャーに来たことがございましたねぇ」という、過去をなつかしむ話をしている場面です。

釣殿(つりどの)って、何?!

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釣殿とは、水の上に建てられた棟のことです。平安人は暑くなると、この釣殿で納涼しました。京都の猛暑を、水上をわたってくる涼しい風で、何とかしのいでいた訳ですね。

ちなみにこの「釣殿」、先日国際ニュースに出ていました。英仏の間に浮かぶ小島ガーンジー島、そこになぜか日本庭園がありまして、fishing pavilion(釣殿)が復元されたというのです。…写真で見ますと、平安の雰囲気をかなり保っている釣殿ですね。大事にされてるようで、嬉しい限りです。

平安貴族、いかに暑さ/寒さをしのいだか?

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平安貴族といいますと、「めちゃめちゃゼイタクしてた」イメージがあるようですが、…千年も前のお話です。生活環境、遥かに貧弱です。夏の暑さも冬の寒さも、原始的な手段で耐えるしかありませんでした。つまり、どちらも辛かった訳ですが、お金持ちには、夏の方が厳しいものだったようです。寒さは着物や炭でしのげますからね。

平安の、暑さ/寒さで苦し~い貴族ライフ!

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懐妊した皇后さまが、つわり&暑さのダブルパンチに苦しみ、夏じゅう寝たきりで過ごした、とか。

清少納言・紫式部と同時代を生きた藤原実資というVIP、内裏は徒歩が原則なので、「暑くて歩けませ~ん!」と欠勤したり車を使わせて貰ったりした、とか。

学問の神様、天神様な菅原道真公、ご生前は1官僚だったので、「口にかなひて温めきたる酒二部(冬の朝の出勤は寒いから酒を口に含んで体あっためるよー)」と漢詩に詠んだり、とか。

貴族でも極貧な家もあり、炭が足りないので「火をほのかにつけ、容器に入れて袖にくるんで震えてる下女」とか。

平安人はたとえ貴族でも、暑さ寒さのダメージに直撃される、シビアな暮らしを送っていたのでございます。

まとめ:ごくねち とは

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平安貴族は、暑さで休めたり飲酒出勤できたり、そういうユルさは羨ましいのですが、一方では暑さ寒さに直撃される、なかなか大変な暮らし、してました。

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