ちぎりパンの腕の先
息子が今日で8ヶ月を迎える。生後8ヶ月、この世に生まれてからもう半年以上が経ったらしい。
寝て起きてミルクや離乳食を食べ、遊び、また眠る。大胆な行動は何一つしていないけれど、彼の心と体は静かに、そして確かに成長している。
シワシワな顔はいつの間にかぷくぷくの大福のようになり、自分の意思で動かせなかった腕は、まるでちぎりパンのようになってきた。その腕で色んなものをつかみ、投げて、また拾おうとブンブン振り回す。
新生児の頃の息子は、ぼんやりと空(くう)を見つめていることが多かった。ミルクを飲んでも起きてもお風呂に入れても、その黒いビー玉のような目に感情は一切写っていないように思えたし、チラチラと時折こちらを見つめる瞳はとても静かなものだった。
1ヶ月、2ヶ月…と過ぎていく上で彼の瞳の動きは少しずつ早くなり、身の回りのものをしっかりと目で追うようになった。特に寝返りができてからは行動範囲や視野が広がり、まさにグイーンと効果音がつくような勢いで周囲を見回している。
きっと目に写るすべてが新鮮かつ興味深いのだろう。手で触れて握って口に入れる、までをセットに息子は何にでも手を伸ばすようになった。
危ないものや触ってほしくないものを遠ざけても、彼はあきらめない。うっ、うっと小さい声を漏らしながら手を伸ばすのだ。きっと取れる、触れると思って頑張るその姿は、見ていて大変いじらしい。そんな好奇心の塊のような存在が近くにいると、私も同じ視線で世界をもう一度見てみよう、という気持ちになる。
そよそよ吹く風がはためかせる木の葉、空から降ってくる大粒の雨の雫、柔らかなタオルの感触、結露したコップのヒヤッとした冷たさ。子がそれらを見つめたり、触って体験している姿を横で見るたびに、私の心も世界の美しさと面白さに少しだけ触れている。
なぜ風は吹くのだろう?なぜ雨は降るのだろう?タオルは何からできていて、水はどうして氷に形を変えるのだろう?そんな世界の秘密を息子は見つけ、これからどんどん解き明かしていくのだろうか。
「お母さん、知ってる?」「これなに?」「どうして?」
そんな言葉が聞ける日がいつか来るのかもしれない。おしゃぶりをしながら眠るきみが。小さな肩を丸めて眠る、こんなにも儚いきみが。
今はひどく遠いものに感じるけれど、そんな日はきっとあっという間に来るのだろう。そしてそれよりもさらにあっという間の早さできみは大人になってしまうのかもしれない。
いつか息子が大きくなったら、キラキラした瞳ですべてを見渡していた日々があったことを教えてあげよう。
そして、どうか混沌たるこの世界で、悲しいことや理不尽なことは数あれど、美しいものや大切なもの、素晴らしいものも同じくらいあることを忘れないでほしい。
それに手を伸ばし続ければ、きっと大丈夫。きみの好奇心はいつまでも無限大だ。赤ちゃんの今と同じ、大人になってもずっと無限大なのだ。
ぷくぷくのちぎりパンじゃなくなっても、伸ばす手の先にはきっと世界の秘密が隠されている。どうかそれを忘れずに、好奇心の赴くままにその答えをみつけていってほしい。