見出し画像

夫婦で過ごす人生の夏休み

前回の記事、たくさんのかたに読んで頂けてうれしいです。ありがとうございます。

夫に伝えたら「複雑な気持ち」だそう。
そりゃそうですよね笑。



自分に優しく正直に生きるスタートラインにふたりで立つ旅。

出発してすぐ、高速のジャンクションで進む方向を間違えてしまいました。
それも2回連続で笑。

次の出口で間違えてしまったことを伝えると、係のかたが丁寧に対応して下さってUターンさせてもらいました。


連続して起きた意味ってなんだろうと夫と話し、「間違えても、失敗しても大丈夫っていうメッセージ」と受け取り「のんびり愉しんで行こう」と旅を再スタート。


とはいえ、ついつい力むクセが筋肉としてあるので、ピリピリした空気になったときは「なにかおきた?」「深呼吸しよ~」って互いに肩をポンポン叩きながら、力む→ゆるむを繰り返していきました。

瀬戸大橋

例えば普段は温厚な夫が高速道路や山道を走るときは、めっちゃ荒い運転になるんです。
だけど「自分たちのペースで愉しんで進もう」と意識するだけで、後方の車を気にして急ぐのではなく道を譲るなど、ゆとりが生まれていくのを感じました。


荒く感じていた運転の奥には、テキパキしている行動に対しての憧れや、強くてカッコいい男像みたいなものがあったことも分かりました。
それは、長年社会や職場で求められてきたものでした。

だけど、夫のいいところってのんびりしているところで、優しいところなんです。

「テキパキしていなくても、強くなくても、そのままでいいとわたしは思う」と言うと、一瞬え?という顔をして、その後笑っていました。

まぁね、以前のわたしは小さな虫に殺虫剤をこれでもか!と吹きかける夫に対して

え、そんなことでオタオタしないでよ〜。
男なら手でつかまえて、お外に逃がしなさいよ!

と、心のなかで大ジャッジしていましたから笑。
求められてきた像の一因になっていたことは確実です笑。

ないものメガネって無自覚に自分や相手を否定しちゃうんです。だからと言ってメガネを外そうとしても、すぐには外れません。

相手のあるものを見たいとき、まずは自分にあるものを見つけるのがおすすめです。



京都であるレストランに入ったとき、接客が回らずイライラしているウェイターの男のかたがいました。

メニューの取り方がすっごくぶっきらぼうで。わたしたちのものではない靴を靴箱に入れていないと指摘したり、イライラを顔や行動に出したり…。
ご飯は美味しくても心が満たされなくて、残念さでいっぱいで店を出ました。


夫がぽつりと「会社にいるときの自分は、あの人と同じだったかも」と言いました。

「周りが見れないくらい、いっぱいいっぱいだったなぁ」って。

それを聞いて、確かにそういうこと、わたしにもあったなぁ…と視点を内側に戻すことができました。


起きたことを誰のせいにもせず、相手の中にある自分を探して共感していた夫を尊敬しました。

今までの会話は子どものことや親のこと、職場での出来事が中心でしたが、背負ってきた看板をおろして、互いが歩んできた道のりや趣味のことなどを話し、人と人として向き合える時間となりました。


家にいても話そうと思えば話せるのですが、やらなきゃいけないことに追われたり、つい手元にあるスマホを触ったりしてしまいがち。

車という狭い空間と同じ景色を見ているという環境は、内側にあるものを探す時間にピッタリでした。

伊根の舟屋


8日間で2府11県を周り、たくさんの景色に出逢いました。
会いたかった友人たちにも会えて、本当に愉しかった。

今後も時々旅に出ながら、まだ見たことのない景色を見に行こうと話しています。


「一緒に旅できて本当によかった。どうもありがとう」って言ってくれたのですが、わたしこそ感謝の気持ちでいっぱいです。

これからのこと、答えを出すことを急がずに、だけど対話を続けながら考えていこうと思います。




見てきた景色や気づきをInstagramに投稿しています。

付知峡、モネの池、尾道、伊根の舟屋

https://www.instagram.com/healing_sayo/

牧野植物園

https://www.instagram.com/oshibana_ya/


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?