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▷夢と自分と在り方と

ひとりっ子で育った。

小さい頃に発症した病気があって
大学病院に入院するほどひどかった

2歳半で病院に担ぎ込まれた

未だに担ぎ込まれた日の記憶とお母さんの焦った声とお父さんに抱き抱えられて車で病院に行ったことは覚えている。

父は私に甘くて
母は心配性で厳しかった。


母が私の病気のこともあってストレスフルになっていて、いつもイライラしていた

私はそんな母を見ていたいつも謎だった

何に怒っているのか
どうしたらいいのか

その頃から空気を読むということを学び
ひたすら実践してきたと思う

病院通いが必要でなかなか行けない幼稚園

走り回れないので外で遊べない

汗をかかないでも遊べるように園庭の日陰でいつも土に絵を描いて1人で遊んでいた

周りでは先生と楽しそうに走り回ってる子達

私はこの中には入れないんだとしっかりと刻み込まれた

食べ物にも制限があって

友達が美味しそうに食べているチョコレートのお菓子やケーキが羨ましかった

なんで私は食べられないの?って泣きながら聞いて

たしなめられていた
たしなめるお母さんも切なそうだった

とってつけてどうにか食べさせないようにするための理由がなんとも切なかった

たまに駄菓子屋でお菓子を買って食べると症状が出た。

そのたびにダメなんだ。食べられないんだ。。と寂しくなった。

子供の頃から私はみんなと違うんだ…
と感じてきたのかもしれない。

小学校の頃にはだんだん良くなるも
小学校1年までは体育の時は母親が来て
薬を塗りに来たり
友達に説明してくれてたりした

自分の口で説明できるようになりなさい

なんてこともよく言われてた。

いい子でいることもいつの間にか当たり前になっていた

いい子になればなるほど母親からの要求のグレードは上がってくるように感じた

門限、勉強、習い事の練習、口ごたえをしない
片付けや食べ方などのマナー

週一で母親からピアノを習っていたけどその時間が本当に地獄だった

赤い鉛筆でできてないところをぐちゃぐちゃにマーカーされたり

死ね!出来てない!と書かれる

今の時代から見たらありえないけど

母親も有名な先生たちからそうやって教えられてきたからなのか
その教え方しか知らない人に物を教わる

楽しくない苦痛な時間と化す

親戚が頭がいいのでテストや勉強に対しても
いい点を取ってこいと言われる

小学生や中学2年くらいまでは頑張れていたのに

1番大事な時期に頑張れなくなった

部屋も片付けられなくなった

6畳の部屋が足の踏み場もないほどになったのは高校の頃

いい学校に行きたかったのに
全てうまくいかなくなってどうでもよくなっていた。

今思えばあの頃鬱だったのかもしれない

公立に落ちたために電車で都内まで通う

電車の中で気持ち悪くなる日々だった

遠いからなのか
低血圧なのに朝急いで駅まで行ってたからなのかとか
なんとなくそんなことが理由だと思ってたけど

もしかしたらあの頃色々ともう限界に来ていたのかもしれない。

言うことを聞いていた子が全ての約束を破るようになった。

一つも言うことを聞いてやるかと思った。

いつまでも言うことを聞いていたら自分という人間が消えてしまうと思った

このままでは危ない

反抗しなくては

ちゃんと分からせなければ

必死に自分に言い聞かせて

自分という人間を守った。

家の前に続く白いガードレールの道を歩きながら
何度泣いただろうか

普通に親のいる家庭
ありがたいことなのに

自分の家庭環境を恨んだ

苦しかった

言いなりになるか
言いなりになれば自分がどこにもいなくなるような
どんどんどんどん抑えつけられて
もっと要求が多くなって
さらに苦しくなる感覚に陥っていた

自分で変えなきゃならなかった。

父親には「お母さんとうまくいかないならパパの実家でパパと暮らす?」とも聞かれたことがあった。

でもそれさえも怖かった。

父は私に甘かったのに
いつからか変わってしまった
突然怒鳴ったり
怒ると手が出るようになった

父方のおばあちゃんと頻繁に会う関係ではなかったからどこまで自分の環境が整備されているのか分からなかった。

もっと気を遣わなきゃ行けなかったり、パパと2人になることでパパがキレてきたら誰も味方してくれる人がいなくなる気がした。

どこにも居場所がなかった。

必死に抵抗して、キャラ変して生きた。

親の保護下にいながらもできるだけ反抗して自分のアイデンティティを守った。

だんだんと自分が信じられなくなった

ジブンガキライダッタ

高校の頃には大の仲良しの子が死ぬほど可愛かった。

その頃からか自分の見た目にも自信がなくなっていった。

性格も捻くれて、
自分の見た目も好きじゃなくて
どんどん心が荒んでいった。


すこしでも
自分という人間でもすごいと思えるような

自信がつくような人間になりたかった

役者になることを夢見て、頑張った。

粋がった。

自分は自分は!と主張しなきゃと勘違いした。

自分がない自分に嫌気がさした

白か黒かはっきり意見を言えるような
その意見が真っ当だと思わせられるような
強さのある人がカッコいいと思った。

人を惹きつける魅力があると思った。

私は私を変えた。

どんどんどんどんもっとこう
もっとこうを繰り返していったら

わからなくなった
どれが元の自分なのか

誰にも負けたくなくて

全然センスがあるわけでもないのに

負けないように
泣き虫なのに
ダメだと思われないように
強く見せることで精一杯だった

はたからみていて痛い人間だったと思う

今もそうなのかもしれない。


レッスンに行ってもレッスンに来てるみんなより
本気でやってると思われるために
本気で取り組んでいる自分を信じ込むために
周りを敵とみなして頑張った

何かにならなければいけなかった

いつもいつも高いハードルを自分に課せるようになっていた

走っても走ってもいつまでも自分のことが嫌いな自分に疑問だった

いつになったら私は私の思うゴールに辿り着けて

いつになったら自分を好きになれるんだろう

思い返せば自分を変えることに必死になっていた自分の人生

自分という人間をいいよ
素敵だよ
何をしていてもいいよ
好きなことだけをしていていいよと
許可出来たことはあっただろうか?


その頃の仲間にスピリチュアルな友達がいて

「〇〇〇は〇〇〇を愛してあげてね」
※私の名前

と言われた。


衝撃的だった。

私が私を愛す??

私は愛してもらうために頑張るんじゃないのか?

すごいと思ってもらうために頑張るのではないのか?

やっとそこに到達できて自分を認められるのではないのか???


自分を責めていたことに初めて気づいた

しかしそれをやめることにとても抵抗した
やめられなかった
やめ方が分からなかった
そうやっていつも自分のお尻を叩いて生きてきたから

それをしないことはつまり呼吸をしてないも同然だった
目指す方向性を失う怖さ

何度も闘う自分をやめようと思ったり

いや戦わないと行きたい先に行けないじゃない

という思考を繰り返した

でも戦ってみても目の前がスカスカしているように感じた

今までは頑張ることで何か掴めている気がしたのに急に手で前を掴もうとしても何も掴めない感覚になる

もういっそのこと全てを手放そう

わからない
どっちが正解かわからないから

簡単に叶えていい

簡単に全てをやってみていいと自分に許可してみたいと思った

全てをやめて

何かになるのではなく

ただどう在りたいのか

を考える


でもすぐにどうなりたいか

何を成し得たいのか考えてしまう

人間とは難しい。

でも私が私に
何でもいいよ

ただいるだけでいいよと許可出来たとき

優しさが取り戻せる


柔らかくて愛おしい音や表情が出る

自分には足りないと思っているところから
何かを手に入れようとあくせくしなくても

ただ在るだけで幸せな世界を見てみるのも悪くない


そこからまた見たい世界を見に行きたければ見にいけばいい。

遠回りしているようだけど

まず付け足してきた物を手放す必要がある


ニュートラル

ゼロ

あれでもないこれでもない

もっともっともっと


自分じゃないところからスタートしていた

それじゃあ分からなくなる

ただただ自分からスタートする

何も持っていなくていい
弱くていいつまらなくていい

そのままを受け入れられた時

始めて楽しく進める一歩

私らしいその先が見える

それは苦痛ではない

楽しい旅路になる

今私はそれがしたいんだと思う

何歳までにもっとここまで到達していなきゃ!と人は焦るけど

結局早くゴールしたいわけではない自分に気づく

早くゴールしてしまったらつまらないから

人生をかけて楽しんでゆったりそして目一杯学ぶのだ


私は私という人間を愛そう

かけがえのない自分を愛す

何もなくて
何も出来なくて
弱くて
寂しくて
でも私だけの感性を認めよう
受け入れよう
愛そう

愛したい


ただただ何者でもない

何者にもなれなさそうな自分でもいい

軽やかに自分の魂の求めていることを実行したら五感を満たすためだけに行動できる

スピリット(魂)に従って歩きながら
やりたい事と生き方をコラボレーションしていく

難しくする必要はない

出来ないと思う必要はない

できる道を探す

簡単に出来てもいい

楽しくやってもいい

楽してもいい

自分が自分につけてきた呪いみたいな
“頑張らなきゃ”
“こうでなきゃ”
を全てやめていいよ

やめよう

自分に課してるから

人にもクオリティや自分の正しさ

これが普通

当たり前

を求める

いいじゃない笑ってて
ニコニコして心から感じたままで

魂の震える旅がしたい

自分の純粋性に戻る生き方がしたい

そこから自分のやってみたいことをしたい

闘ったり人を蹴落としたり比べたりするのではなくて

あーだからこの回り道をしてるんだね。

私は。

ありがとう


遠回りなんてない

あなたが感じてきたもの全てがあなたを生成している

違ったらそこに気づけばいい

間違えるから選択できることもある

あなたの深い人間性になる

愛おしいね

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