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「わざわざ自分が発信する必要なくない?」発信がしんどくなった人に観てほしい映画
「note始めたけど自分の文章クソつまらん…」
「せっかく書いたのに誰も見てくれない」
「誰かを不快にさせてしまったらどうしよう」
発信ってしんどい。
あー、もうやめちゃおうかな。
わざわざ自分がやる意味ないし。
note、ブログ、SNS…
情報発信をしたことがある人なら
誰でも一度はこう考えたことあるはず。
わかる、わかりすぎる。
しんどいよね。面倒だよね。辛いよね。
私も1年サボってたもん。
でもちょっと待って。
アカウント消去する前に
この作品のことを伝えさせて。
![](https://assets.st-note.com/img/1716129236504-e74uULylgW.png)
全情報発信者に伝えたい言葉と出会ったから。
それだけでも聞いていって。
『AIR』
1984年、人気がなく業績不振のナイキのバスケットボール・シューズ。ソニーは、CEOのフィルからバスケットボール部門の立て直しを命じられる。競合ブランドたちが圧倒的シェアを占める中で苦戦するソニーが目をつけたのは、後に世界的スターとなる選手マイケル・ジョーダン――当時はまだド新人でNBAの試合に出たこともなく、しかも他社ブランドのファンだった。そんな不利な状況にもかかわらず、ソニーは驚くべき情熱と独創性である秘策を持ちかける。負け犬だった男たちが、すべてを賭けて仕掛ける一発逆転の取引とは…!?
↑
ストーリーはこんな感じ。
正直言って
私はバスケもスニーカーもよく知りません。
「マット・デイモン好き!観よ!」
そんな軽い気持ちで再生ボタン押しました。
『オーシャンズ11』のマット・デイモンかわいすぎるよね
登場人物の掛け合いとか
母の強さとか
太ってても滲み出る
マット・デイモンのかっこよさとか笑
それらを楽しみながら
サクサクっと進めていって。
ストーリー終盤で
出会ってしまったんです、そのシーンに。
マット・デイモン演じるソニーが
ジョーダンに伝えた言葉に。
「靴や契約金なんて重要じゃない。
いくら稼いでも不朽の名声は買えない。
君の瞳を見て、未来を話そう。
(中略)
人々は、君を祭り上げるに違いない。
偉大で、かつてないものを愛するから。
君はありもしない存在になり、世界を変える。
だが、人々は君を絶頂まで持ち上げて、一気に引きずり下ろす。
それが世の常だ。
虚像をまとえば、それを続ける努力が要る。
(中略)
君は何者だ?
それが君の人生を決める質問だ。
既に答えを知っているだろう。だからここにいる。
靴はただの靴だ。
だが誰かが履いたとき意味が生まれる。
人々は、その偉大さに触れたがる。
自分のためでなく、人々のために履いて欲しい。
ここの誰もが命がつきれば、忘れ去られる。
でも君だけは永遠に記憶にとどまる。
不滅のものがあるからだ。
マイケルジョーダン。
君の物語は、人々を飛び立たせる。」
一見、マイケルジョーダンのような
才能あふれる人だけに向けたメッセージ。
世の9割を占める凡人には
縁のない話。
…のはずなのに。
心が震えてしまった。
もちろんマット・デイモンの演技力もある。
でもそれだけじゃない。
ある感覚が頭をよぎったからだ。
それは情報発信をしていると
誰もが一度は通るもの。
「自分が発信する意味ってあんの?」
壁に落書きをしているような
空に向かってボールを投げているような
そんな空虚な感覚。
このnoteを読んでいるあなたなら
知ってるよね?
言葉を紡ぐときの自分は
いつもの自分とはちょっと違うし、
どんなに頑張って完成させても
他のコンテンツが
どんどん湧いて出てきて
あっという間に
流されて紛れていってしまう。
そうしているうちに
心のすみっこに
違和感や空虚感が
ちょっとずつ溜まっていって、
それが一定量を超えたとき
情報発信者から情報受信者に戻る
と、私は感じている。
どうかな?
最初に言ったとおり、
私は約1年、情報発信から距離を取っていた。
ちょっと疲れたから。
でも戻ってきた。
一方で、
同時期に情報発信してたけど
ずっと戻ってこない人もいる。
戻ってくる人と
二度と戻ってこない人。
この違いは
情報発信をどう捉えているか?
によるものだと思っている。
私が持つ情報発信に対する認識は
ソニーのスピーチと似ている部分があって。
だから他人事ではなかった。
だから心打たれた。
だから情報発信している全ての人に
見て欲しくなった。
みんなにも情報発信を続けてほしいから。
虚像をまとえば、それを続ける努力が要る。
情報発信も同じ。
“虚像を作る”という一面があるから。
SNSで発信できるのは
自分のほんの一部。
過去の膨大な経験も含めて
すべて発信するなんて不可能だから。
一方でいまの自分は
過去のすべてが積み重なってできていて。
だからやっぱり
「SNSの私」と「現実世界の私」には
ズレが生じるもの。
それはもう仕方のないこと。
結果論にはなるけど、自分の心の防御壁にもなるしね。
人が与えられた情報から作り上げたイメージは、どこまでも「虚像」でしかないから、何か言われても傷つく必要はないのだ。(涙は出ちゃうかもだけどね)
なので
発信者を続けるということは
虚像を演じ続けるということ。
X、インスタ、YouTube
どんな媒体であれ
発信者という道を選んだなら
そこは受け入れないといけない。
でも、どんな発信者になるかは
自分で決めて良い。誰にも強制されない。
君は何者だ?それが君の人生を決める質問だ。
靴はただの靴だ。
だが誰かが履いたとき意味が生まれる。
発信はただの情報の乗り物でしかない。
同じ言葉を紡いでも
誰が言うかで意味は変わるし
最終的には
情報を受け取った人が、その価値を決める。
自分が意図しない方向で
情報が伝わってしまうこともままある。
(でもまたそれも面白いよね)
自分のためでなく、人々のために履いて欲しい。
ここの誰もが命がつきれば、忘れ去られる。
でも君だけは永遠に記憶にとどまる。
不滅のものがあるからだ。
発信者は情報の仲介者。
自分のためでなく受け手のために発信していく。
誰にも受け取ってもらえず
落ち込むことなんてザラにあるけど
コンテンツは永遠に残り、
然るべき時が来たら誰かが受け取るから。
そこから受け手の人生が変わる。
物語が始まる。
他人の人生を変える職業なんてそう多くない。
しかも個人が。
そこが情報発信の面白さでもあり
怖さでもあると思う。
逆に言えば
情報はコンテンツで残さないと
然るべき人が情報を受け取れないし
人生が変わらない。
マイケルジョーダン。
君の物語は、人々を飛び立たせる。
人を動かすのは、いつだって人の物語。
だから発信するのだ、自分の物語を。
物語のない発信に人は集まらない。
自分の物語をみせて
他人の物語にアクセントを加える。
自分の変化を伝えて、他人に変化を促す
情報発信の本質はいつだってここにある。
P.S.
このスピーチは人を説得する手法としても使えるよ。
ぜひ勉強して分析してみてね。