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毎日投稿「毎日note」ができなくて・・・今、想うこと

9月1日から毎日投稿を続けていて
昨日、10月3日分の投稿をUPできずに
4時間が経過してしまった。

33投稿目で、毎日投稿する!と
決めていた自分の「毎日」が守れなかった日。

毎日、習慣にしていくことが
とても大変なことだということがわかった。

守れなくても誰かに迷惑をかけるわけでも
誰かと〆切の約束があるわけでもないけれど
守れなかった自分を前に
noteを書き始めて思うことを書いてみようと思う。
まず・・・
昨日(10月3日)投稿できなかった理由
① 9時に寝た(笑)
こんなに早い時間に寝たのは
ここ数年で記憶にないくらい。

こんなに早く自宅に帰っていることも珍しい。
予定がなく、電話が鳴らないことも珍しい。

ベットに入る前に頭をよぎった。
note書いてから寝ようかなぁ~と。
でも、書いてしまったらきっと脳が冴えて
眠れなくなるだろうと思い

こんなに早く眠れることは
なんて贅沢なこと!!と思って
寝ることを選択してみた。とても幸せだった。
そして、すっきりして、今、起きてる(AM4時)
②「下書き」を書いていなかった。
ここまで「33日連続」で記事を
投稿し続けられたのは

どんなに忙しくても
下書きのフォルダーに記事のストックがあって
その下書きのフォルダーから記事を上げていた。
でも、忙しい毎日が続きストックがなかった。
③ 無駄な時間があった
昨日の「1日の時間」を振り返ると
記事を書ける1時間があった気がする。

でも、その1時間、今日のセミナーの
最後の30分に使うプリントの作成にあてた。
その最後に作成したプリントは
セミナーの流れ的にいらなかった。
必要なかった。

だから、あの時間は
「必要ない時間だった」と思うと
1日の中で流れる時間「瞬間、瞬間」に
この時間は、今日の1日の中で
優先順位が高いのか?って自分に聴くことって
大事なように思った。

この3つの理由は単純。

これからの自分がnoteを継続するために(笑)
「理由」と「言い訳」を書いておこうと思った

noteを始めてから
「noteを書く」という「時間」を捻出するために
書く前より、少しだけ
時間の使い方がうまくなったような気がしていた。

33日前、noteを書き始める前の私は
今、毎日noteを書いたり、投稿している
「この時間は何に使ってたんだろう?」考えると

「SNSを見ていた時間」
「何となく携帯をいじっていた時間」
だったんだと思う。

SNSを見る時間は、情報収集には役に立つし
その時、自分の欲しい情報にたどり着くこともある。


でも、形としては何も残っていない。
noteを書き始めたら、形として
「時間」が「原稿(記事)」に残るようになった。

通常、「時間」「記憶」は、
形に残らずどんどん流れていく。

その流れ出ていくものを
「記録」に残すことで
「ここ」にとどまってくれている。

1日の中でアウトプットする時間があることの
大切さにも繋がっているように思う。

日々の生活の中で、
感じることや思うことがあっても
時間はどんどん流れていってしまって

感じたことを周りの誰かに話すと
話したその口元から
その言葉と出来事が私の心から出ていき

「消えていく効果」と
共に「忘れていく」こともわかった。



noteに書いたことを、このたった33日間でも
自分で自分の記事を読み返すことがあった。

読み返すと、その時の気持ちになったり
誰かのことを思い出したり
忘れそうになっている記憶を呼び起こしたりした。
たった約1か月でも
記憶の片隅にいってしまいそうな記憶がある。

私の周りに大切なことや忘れたくないこと
覚えておきたいことが起こっても
忘れるんだな・・・ってことを
身をもって感じ
「記録」することの大切さがわかった。



noteは「考える」ことを
「まとめる場所」にもなっていることを実感している。


今週、実はセミナーが5本あった。
オンラインではなく
会場で集合型のリアルのセミナーで5本。

コロナが始まってからは1週間(月~金)に
5本のセミナー講師が入ることは初めてだと思う。

この5本のセミナーに向けて
・原稿を作り
・最終まで構成の修正を図り
・セミナーで伝えたいことを自分の心から出して
・まとめる作業をして

当日講演会の会場で
受講生の皆さんにお伝えすることは
私にとって、大いなる「アウトプット」の時間。

今週、アウトプットを最大限に行ったことで
noteを書くという「アウトプット」
外に出す「エネルギー」が不足していたと思う。


カウンセリングばかりしていると
カウンセリングは「聴く」
1時間~2時間、聴き続ける。

顧問先の会社等でミーテイングに参加した際も
みなさん、ひたすら話してくださる。
数時間、話しを聴き続ける。
今までも「本当」は・・・
カウンセリング中に
クライエントさんにお伝えしたかった想いや

ミーテイング中に参加している
皆さんにお伝えしたかった
感じていること、気づいたことを、伝えられずに
その時間を終了することも多く

今までも自分なりに整理してきたけれど

noteに書けるようになって
あふれる思いが整理できるようになった気がする。
目の前にいる人に
直接、「伝えるタイミングではないこと」
でも「伝えたかったこと」をnoteに書いて
記録で記憶することができるようになった。

コロナ渦の前の私は
週の半分をセミナー講師。
セミナー講師をしていない日は
カウンセリングの予約日。

というようなスケジュールの組み方をしていて
休みと仕事の境界線がない毎日を過ごしてきた。

私の精神にとても良いバランスを
与えてくれていたのは

カウンセリングで「聴く」「聴く」「聴く」を
繰り返し、ひたすら耳から入ってくる
「言葉」を体の中に入れている。

セミナー講師で「話す」ことをすると
口から言葉を出し
言葉が飛び出し言葉が心からあふれだす。

「聴く」(IN) と「話す」(OUT) のバランス。
受講生の皆さんが
「うん、うん」笑顔で聴いてくださり
ときに、気づいたことがあると目を大きくして
耳を傾けて話を聴いてくださる。

私自身のメンタルヘルスに
こんなに良いバランスはない。

「聴くことの量」と「話すことの量」
この質と量によって、自然に知らず知らずのうちに
心のバランスがとれていたこと、

「カウンセラー」と「セミナー講師」という
両輪を行ってきて、
自分自身がバランスをとってきたことを実感した。

でも、コロナによって
そのバランスを崩しかけていた。

インプットとアウトプットの
バランスが心に与える影響を知り
noteがアウトプットの解消に役立ってくれた。


この発見は、最近、周りの人にも伝えている。

コロナの影響で
「人と話す機会が減った人」
「アウトプットが減った人」には
書くことの効果があることを。
自分の体験から身をもって感じている。

あと、コロナの影響で
「人を教育する機会が減った人」
学校や会社内で教育担当をしている方が
後輩や部下を日々指導していた教育の時間が

時短やテレワークによって形を変え
今までは、毎日の時間の中で
100%伝えていたことが薄まっている。

その薄まった分を何かの形で文章化したり
言語化することで形として残し
伝えることが大切だと思っている。



毎日、noteを続けていたり
毎日、何かを続ける人を本当に尊敬する。
毎日、できる人はその物事が
その人の生活の中で習慣化されていて
時間の捻出や優先順位が明確なんだと思う。


今回、こうやって振り返ってみて
好き勝手に振り返ってみたが
シンプルにわかったことがある。

書くことは楽しい。
書くことが好きだってこと。
楽しくて好きなことは続くんだってことわかった。
noteを書くことは楽しい。

昨日、投稿できなかったことは
大きな問題ではないけれど

書けなかった理由を書いておかないと
もともと一つのことを続けることが苦手な私は
noteを継続できなくなる気がしたので

記録しておこうと思ったら
取り留めもなく長くなってしまった。

noteはじめて よかった。
33日の毎日投稿。
今日からまた、毎日投稿を始めようと思う。





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