Fateファンが『幼年期の終り』を読んでみた
ここ最近、図書館も閉館していましたので積読消化しています。今回感想を書くのは、アーサー・C・クラークの「幼年期の終り」です。テキストは早川書房昭和56年第4版を参照しています。
この本を読むきっかけは、NHKの番組で紹介された際に、FGOがこの作品をオマージュしているのではないかという感想を見かけたから。もともと父からオススメされたSF数冊の中に入っていたのですが、FGOというか型月世界やらエヴァやらの名前を出され、読むしかないと思い読み始めました。
まずは概要から。宇宙開発が激化するなか、オーバーロードと呼ばれる知的生命体と人類が接触する場面から始まります。そこから数十年をかけて人類とオーバーロードとの交流が描かれる物語です。
第1部では、上位存在とのファーストコンタクトとともに人間側の不信感と不安、それが第2部では社会が変化しオーバーロードの技術や存在を受容する人々が描かれて最後3章に至ります。
ここからはネタバレ含むのでご注意ください。
この作品を読んだ時に1番最初に出た感想はcrazyでした。科学技術の最先端に立つオーバーロードの革新性を3分の2描きながらさらに高次の精神存在がいること。地球も人類も全てが飲み込まれる描写。さらに物質世界の最先端であるオーバーロードでは精神存在であるオーバーマインドにはなり得ないこと。第三部のオーバーロードの目的が語られ、「….われわれは、つねに、地球人を羨んで来たのだ」(p282)の言葉を読んだ時の逆転への興奮と衝撃は久しぶりにとんでもない作品を読んだなぁと響きました。SF作品はほとんど読んではいなかったのですが、豊かな科学技術をガンガン描きつつ、最後にさらに高位に精神を持ってくるところにこの作品の逆転へのカタルシスのようなものがある気がします。しかし、それでいて、人類という種はいなくなることに納得しつつも無常感がある終わり方でした。
パッと思いつくだけでもエヴァの人類補完計画やらFGOの異聞帯の描写やらに結びついてしまう残念な脳ですが、日本だけでなく様々な作品に影響を与えてるのが読むだけで分かります。勧めてくれた父に感謝。
ここからは1オタクとして2部5章までのFGOと幼年期の終りのオマージュというか影響受けてそうな部分を語ります。(エヴァは人類補完計画があまりにもオマージュが強いのとやはりFate好きなので)
まず真っ先に思いつくのは第一部7章ラスト。人類悪顕現とともに表示される”Childhood's End”です。原題をそのまま持ってきています。7章において描かれたのは神代が終わり、人間の時代が来ること。人類のあり方が変わるとともに、神の保護から飛び出すという意味で”Childhood's End”ではないかと思います。
ただ、個人的に『幼年期の終り』のモチーフが強くでているのは、やはり2部ではないでしょうか。
それぞれの異聞帯を王が慈悲をもって支配し、それぞれがより強く、また幸福を追求した世界。上位の存在の決定によって人類は守られている。特にオリュンポスの技術が圧倒的に進化した結果、人類は余暇と平和を手に入れた、というのはまさしく『幼年期の終り』2部に近いと感じました。
また、どん詰まりの異聞帯を維持するために人類を管理しつづけるという役割。汎人類史の敵でありながらも、その可能性に期待しつつ後を託す最期。これらの描かれ方から、異聞帯のサーヴァントとオーバーロードもかなり重なるなあと感じました。
そのうえで真逆に感じるのは、人間の進歩をどう見るかでしょうか。オーバーロードたちが人類を庇護しているのは、人類がオーバーマインドに吸収される、つまりより高次の存在に到達するためです。一方、異聞帯の王はもともとが行き止まりのために、人類は決して進歩できないのが前提です。
汎人類史は白紙化され異聞帯に未来はないという点で、FGOにおいて人類の未来はどのようにせよ行き止まりのような気がするのですが、ここからの展開が楽しみだなあと思います。
今回は考察も論もなにもないただの感想となってしまいましたが、本当におもしろい作品でした!次は『夏への扉』でも読もうかな