餓 王 化身篇 2-7
見覚えのある女であった。
だがその顔が間延びして、突き出ていた。両目は正面になく、耳朶の隣に位置していた。
記憶に残っていたのは、豊かな銀髪であった。
しかもそれは乳をもつ白蛇であった。
それが私の胴回りにまき付いてきたのだ。擦過音を立てて、鱗が私の肌に走り、肉体を絞り上げようとした。私の身の丈よりも長い。胴回りが幾分膨らみ、その頂点に乳房が人間そのままに実っていた。その乳房と銀色の髪が、かえって陰惨であった。
そうこの白蛇はあの女に相違ない。後ろ手に縛られていたのではない。もともと無かったのだ。意識の混濁下で美しいと見えた姿は、実におぞましいものであった。
私は戦慄の最中にいた。
くわらっ、とハヌマンが吼えた。
金属製の光るものを手にした。
雌馬を突き飛ばして、再び咆哮を放った。生力が蛍のような燐光となって輝いた。
私は身を捩った。
そして襲いくるその金属光を、白蛇の身体を盾にして受けた。それは鱗に弾かれ、あらぬ方向へと飛ぼうとした。私は左手でそれを掴んだ。
抒である。
三角錘の刃を持つ隠剣である。
密殺者が隠し持つ剣だ。刃渡りは掌いっぱいほどのささやかなものだが、あるいはこちらが有効な相手かも知れぬ。
驚いた白蛇は跳ねて拘束を解こうとした。その背に抒を突きたてた。べりべりと耳まで開いた口が逆襲してきた。その牙には毒があるはずだ。
その顔を斜めに裂いた。
白蛇は怯まなかった。その尾が私の眼を打ちすえた。霞む視界の向こうで、ハヌマンが槍を構えるのが見えた。管に拘束されたハヌマンは、その場所から動くことができない。
しかしその武器は、彼我の距離を繋ぐ長さだ。
衝撃が左手に来た。
ごつんと衝撃が来て、槍先が左手首を床に縫いとめた。
とっさに私の左手はその槍の刀身を掴んでいた。
掌の肉が刃に触れたところまでは、感覚があった。そして、その感覚はあっさりと消失した。
ごろりと左手が肘から外れたのである。
傷口から血液の出る感覚もない。
ハヌマンが槍を引き戻すと同時に、私の左手はその肘から先がその刃を握り締めたまま、付いて行った。
私の意志から離れたその左手は激しく律動している。なにか別の生き物に見えた。その左手に注ぎ込まれるハヌマンの視線に、妄執が宿っていた。
それは私にもよく理解できる。
己が身体の一部分というより、それは単に肉に見えた。食欲が戦士の知性を奪っていた。
ハヌマンは槍の穂先から、その肉を取ろうとした。
構えも備えも喪失した戦士に、私は跳躍した。
横殴りに抒を振るった。右手に重い手応えがあった。刃先はハヌマンの頭部のこめかみに潜り、その脳漿を抉り抜いた。
手首を返して、ごっそりと夜目にも白い肉塊を引きずり出した。ハヌマンは白目を剥き、地鳴りと立てて床に倒れこんだ。その身体から幾つもの管が外れ、その先端から火花を散らして跳ね回った。微小な稲妻が網の目のように起こり、鬼火のように炸裂した。蒼白い光が間断なく飛び交い、その僧坊を明るくした。
ハヌマンが死の痙攣に踊っているとき、私を緊縛していたあの白蛇もその肉に惹かれて喰いついていた。その後頭部を食い破った。頭から潰す狙いがあった。理性を失えばそれでよい。冷血な肉体は、跳躍を続ける管のなかで、一際大きく跳ね回った。
火の神がその稲妻に光臨しているのだ。
この僧坊は焦げ臭い臭いが充満していた。
ハヌマンの肉は、既に焙られて脂が浮いてきていた。アーリア将官の誇りが汚辱に塗れるよりも、ずっといい。
無に帰すがいい。
それが私の手向けだ。