長崎異聞 4
浅葱色の裃が睨みあげる。
相手は分別あるはずの不惑の歳にも見える。
しかしその年齢であれば幕末の攘夷動乱の空気を吸っていよう。
醍醐には覚えがある。所謂、防府崩れと呼ばれる浪人衆の手配書が、奉行所に回っている。西洋人と連れ立つ者から金品を集る不埒者である。
「穏やかじゃないね」と醍醐はいう。
「稼いどるじゃろ。西洋商いでさ」
念仏を唱えるような低い声で、蹙のような小さな目に憎悪が濁る。どうも丸菱の侍に誤認されたと醍醐は知る。
「刀はいらんな」と醍醐を背を向ける。それは誘いでもあった。坂の下から醍醐に切り掛かるのは、その瞬間しか勝ち目はない。だが彼らは動かなかった。
醍醐は震えて立ち尽くす小僧に目配せをして、大振りの枝を渡すように促した。片手でそれを掴んで、四人組の方へ降りていく。その途中で大枝を中途で握り折り、小枝を払い凡そ4尺ほどの棍棒にした。
「その裃なあ」と歩みを止めず「腑に落ちんのだ。天然理心流か、その真似事か」と訊いた。
口に泡して吠えた。
「儂はその門下の目録持ちぞ」
「へえ」と嘯いて醍醐はその棍棒をまずは青眼に構え、左足を引いて半身となり平青眼に構える。
「儂の兄は労咳でな。いやまだ存命ではあるぞ。残念ながら総司師範は薨去なされたがな。兄には労咳を、儂は技を伝授頂いた」
東京の虎ノ門には兄弟で通った道場があった。
師範は沖田総司といった。西京では新撰組で名を挙げた方ではあったが、童子の頃の醍醐の眼には、切れ長の優しい目しか覚えはない。ただ長兄の鍛錬は激しいものであったと聞く。
醍醐には女心は分からぬ。
が、剣筋は分かる。
左右同時に来ると読める。醍醐は斜すにかわして横胴でまず左端を薙ぐ。およそ自分の膂力には、生木のこの棍棒は耐えられぬ。一尺は折れよう。さらに踏み込み、手首を返して右をつく。同士討ちを避けて中央の二名は初太刀は動けぬ筈だ。
「そ・・そんなもので」と怯えながら、左右は太刀の柄を握りしめている。
「馬鹿であろう、これが理心流の表木刀であろうぞ」
天然理心流では二回りも太い表木刀を使い鍛錬を行う。手の内を鍛えるためだ。腕で剣を振うのではなく、腰の捻りも足の捌きも身に染み渡る。
醍醐の睨みに、蜘蛛の子を散らすように逃げ去った。
醍醐は後は追わなかった。この娘は顔を覚えられた。まずは家に送るのが先決であり、連中の人相は覚えている。奉行所に戻り探索方に繋ぐといいだろう。
「忝い。お騒がし申した」
仰ぎみればユーリアが蒼白な面持ちで、半ば腕を宙に泳がせながら推移を見守っている。そして小声で、あちらもお侍さんでと訊いた。
「申し訳ない。長州藩が征伐を受けて、その後お取り潰しになっての。それで流れ者になったようです」
遠く楡の枝先で、先程の鶯が一声鳴いた。