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光と闇のクリスタル物語~孔雀


孔雀は美、忍耐、慈悲、思いやりの象徴です。

孔雀は生まれもって美しい姿をしています。豪華な服を作らせて着ているわけではありません。孔雀は特に何もせずとも目立ってしまいます。


森を歩いていても、仕事をしていても「なんだその派手な衣装は。金持ちだかなんだか知らんが、そんなにカッコつけて目立ちたいのか?キドリやがって。そんな格好をしているから高く遠くまで飛べないんだ」とねたみ馬鹿にし目の敵。勝手な想像と思い込み。面識のないトリにさえ、陰で噂を吹聴されたり、いやがらせを受けました。

「すみません、これしかないのです。」

孔雀は自分の姿を変えることはできません。
孔雀も空高く飛びたかった。

「へぇー、あーそう」
誰も聞きやしません。

孔雀はいつもひとり。

孔雀は立派な家もアクセサリーもそれを買うお金も、何一つ持っていません。なんとなく一緒にいて楽しい家族や仲間はいます。それだけで幸せでした。



好きなことをして、好きな時間を過ごす孔雀の心は、いつも穏やかで満たされています。

トリたちは、金根間とやかましい。金がない、根性がない、時間がない、ないないないないと、大したことでもないのに、いつもイライラ怒って文句ばかり。

モノを持たない孔雀には、余裕がありました。不満も、特に怒ることもない孔雀は、そんなトリたちのことを
「モノに満たされても、心が満たされていないのだろう」と気の毒に思うばかりでした。

ある日孔雀はいつものように羽を広げ、羽をふるわせ砂や虫を落としていました。

「そんなに見せびらかしたいのかい?たくさん持っているんだ。ひとつぐらい、いいじゃないか」

その姿を見た1羽のトリが、孔雀に近づいてきました。美しい孔雀の羽を欲しがり、おとなしい孔雀の羽を力づくでむしり取ろうとします。

「ハイハイ、差し上げますよ」怖くなった孔雀は、痛みをこらえてグッっと羽を抜き取り渡して逃げました。無理に抜いたあとがズキズキと痛みます。

そんなことはつゆ知らず、孔雀の美しい羽を手に入れた裕福なトリは、その美しさに心をうばわれます。
「これは金になる」
すべて自分のものにしたいと考えました。

トリは孔雀を家に招き、優しい言葉をかけ、美味しい物を食べさせ、使わない荒れた土地を与えました。

荒れた土地を使うと国からお金がもらえます。楽が出来ると孔雀を放ち、わずかなお金で働かせました。トリは裕福になり、名をとどろかせました。その土地に美しい働きものの孔雀がいると、ウワサが広まり見物客が集まってきました。

孔雀は、雨に打たれようと、泥だらけになろうと、ニコニコと笑顔でこたえます。気品溢れるひたむきなその姿に、訪れたトリたちは裕福なトリに「あの孔雀は凄いねえ。見ていたら勇気をもらえる」と感心しきり褒めました。

裕福なトリはおもしろくありません。

社会的地位を得たトリは、いつも思い通りでチヤホヤされなければ気がすみません。孔雀だけでなく他のトリたちにも、大きな声でものを言い、いやなことばをかけたり、いやがらせをしました。

過酷な環境と心ない言葉により、孔雀は次第に羽が抜け落ちていき、見物客も次第にいなくなりました。

裕福なトリはみすぼらしい孔雀を見ながら「もうこいつは使えない。死ぬ前に毛をすべて取ってしまえ。死んでからでは肉が固くて不味くなる。もったいない話だ。お前たちは孔雀を食べたことなどないだろう。知り合いの一流のコックを呼ぶから、お前たちに美味い孔雀料理を食べさせてやろうじゃないか」


トリたちは目を丸くして「それはスゴイ」「さすが」「素晴らしい」「楽しみ」と裕福なトリを褒めたたえました。
裕福なトリは大満足。たかだかにココケッコーと笑いました。

それを聞いていた孔雀は心を痛めました。

わたしは誰のために何のために生きているのだろう。
孔雀はボロボロになった羽を広げてみました。

まだ大丈夫。

夜になり孔雀は小高い山里から飛び立ちました。

孔雀が空を飛ぶなど誰も知りませんでした。

翌日、なにも知らないトリたちが裕福なトリの家に集まってきました。
「孔雀がいない。皆で見つけるぞ」
「わざわざ孔雀を隠し、皆で宝物探しの余興で楽しませ、しかもその後に一流コックが作った一流料理。美味くて豪華で珍しい孔雀料理をタダで食べさせてくれるなんて、なんて素晴らしいエンターテイナーなのでしょう」
トリたちは口々に賞賛し喜んだ。
けれど、いくら探しても孔雀は見つかりません。
「残念です」
鼻をへし折られた裕福なトリは顔を真っ赤にして悔しがりました。
コッコッコッコッ!怒りすぎてコノヤロウ、アノヤロウの言葉が出てきません。たてがみもヒゲも赤く染まり熱で変形してしまいました。

ココケッコーすき

見知らぬ土地に降り立った孔雀は、ケンカにならないように、誰も食べないサソリや毒虫を食べ、明るくなるのを待ちました。

空は次第にピンク色からオレンジ、そして黄金色に輝き、いつもと変わらず朝日が顔をのぞかせます。

「おはよう太陽、目に見えぬわれらをつくりし存在よ。どうか、心から美しいモノだけの住む世界にしてください」

「もう、こりごり。たくさんです」

孔雀は太陽にお願いしました。

傷つきボロボロに疲れ果てた孔雀。

しばし考えた太陽は、人の姿に変わると、孔雀に触れ傷をなおしてやりました。

太陽は言いました。
お前が出来ることは何か。

孔雀は考えました。
わたしには自分と愛しかない。

自分の力と愛を与えること、
生きる希望を与えることはできるかもしれません。

お前は自分の力に気づいていない。お前の力を発揮出来、お前も幸せに過ごしやすい世界に変えよう。

太陽は孔雀の望みに応えました。
太陽は輝くコロナを下界に降り注いだのです。

口端ばかり、楽をしたいものたちの願いも叶いました。次々と理由の分からない病気になり、いたせり尽くせり。全く自分で動かずにすむようになったのです。

経験がないと相手の気持ちは分からない。いたわる気持ち、感謝の思いすらわかない。だから、自分が楽した分、誰かが苦労したことへの敬意を払おうとしない。タダより怖いものはありません。タダなわけがなく、見えないどこかで犠牲を払うことになるからです。

裕福なトリも病気になりました。仕事を失い、家を失い、家族を失い、お金も運もつき、悲劇のヒーローを演じる気力も失い、悟り気づきを得るために、つらく苦しい時間を生きなければなりませんでした。

毒に耐性を持つ孔雀は、病気になることもなく、大きくなった子どもたちと、愛にあふれキラキラした未来で幸せに過ごしました。


おしまい


解説
孔雀はスピリチュアルの世界でも美の象徴です。優雅な孔雀は、自己愛、名誉、誠実さ、そして人生の課題や未知のものに勇気と自信を持って立ち向かうことの重要性を教えてくれます。

ヒンズー教では、孔雀は繁栄と富の女神ラクシュミと関連づけられ、忍耐、慈悲、思いやりの象徴です。

インド神話の女神ラクシュミは、ビシュヌ神の妃。ビシュヌは世界が悪の脅威にさらされたとき、混沌に陥ったとき、破壊的な力に脅かされたときには「維持者、守護者」として様々な化身を使い分け、地上に現れる。幸福と美の女神で,鳥王ガルダに乗る。


ビシュヌとラクシュミを乗せたガルダ


ラクシュミは仏教では功徳天,吉祥天などと呼ばれている。ラクシュミと関係性のある孔雀はアジアにおいて、思いやり、善意、親切心など、同様の象徴性を持っています。

仁和寺孔雀王明


仏教における孔雀は毒を持つものを食べ人を災いから守ることから苦しみや災いを取り除く魔よけとされることもある。「三毒」三つの煩悩、すなわち自分の貪・瞋・癡(とん・じん・ち)を喰い消化することで、仏の道に成就します。

貪は万物を必要以上に求める心があり、貪り、欲深いこと。瞋は自分の思意にかなわない対象に対する憎悪や自分の思意と違うものに対して怒り憎み嫌うこと。癡は苦痛や毒を示す概念であり無知蒙昧による「妄想、混乱、鈍さ」を指す。別名を愚癡(愚痴)などともいう。この三毒が渇愛、つまり、むさぼることや執着、中毒症につながり苦しみをうみます。


貪(鶏)・瞋(蛇)・癡(猪豚)
元旦那・長子・わたし
輪廻は気づいた者が断ち切らないといけない


再生
キリスト教の伝統では、孔雀は再生、若返り、不死の属性を表し、キリストの死や復活などのキリスト教の教義や教えの要素と同一視されています。

高次の存在と目
エジプトでは、孔雀は太陽神とホルスの目と関連づけられていました。これはおそらく、孔雀の羽に「目」のように見える模様があるためでしょう。孔雀がエジプトで崇拝されていたもう 1 つの理由は、孔雀が毒蛇を退治したからです。

ギリシャ神話では、孔雀は女神ヘラの美しさや権威を象徴し、孔雀の鮮やかな羽に並ぶ「目」は、ヘラが特に持つ嫉妬心や監視の力、監視の目と関連します。

不自由
一般的にはクジャクに「不自由」なイメージはありません。ですが、実際には大きく美しい尾羽によって飛行能力が制限されているため「不自由」をイメージさせる場合があります。見ただけでは分からない、気づかない、知らないこともあるということ。長い尾羽は空気抵抗が大きくなり、短い距離や低い高度を飛ぶことができますが、長い距離を飛ぶことは難しいとされています。

孔雀の優雅な姿を見たり気になっているならば、再生の時を迎えているのかもしれません。

何事もそうですが、夢中になりすぎて、やり過ぎてしまうリスクを冒すのは簡単です。

孔雀は、自分の持って生まれたものを大切にすること、自己愛と自信を受け入れるようあなたを導きますが、傲慢になったり、虚栄心が強かったり、近寄りがたい態度を取らないように気をつけましょう。メスの孔雀はとても控えめな感じがします。
自信と謙虚さの絶妙なバランスを保つことが鍵となります。

自信あふれるインフルエンサー
自分の内なる真実を受け入れ、本当の自分をさらけ出すことは、周囲の人々にインスピレーションと安心を与えることができます。
模範を示してください。口先だけでなく、行動も忘れないでください。
孔雀が注目と賞賛を集めるのは、一貫した優雅さと自信です。


青緑のターコイズは緑と青の混色。スピリチュアルな意味では、緑の第4チャクラと青の第5チャクラ、自分の心を喉から出す、表現するコミニケーションや自己表現を表します。

わたしの誕生石はサファイアとレインボーフローライトとグリーンダイヤモンド。青と緑。

孔雀の羽の虹色に輝く青緑色は、王族や自信、リーダーシップの特徴と関連付けられることが多い。羽の「目」の独特な模様は、洞察力と知恵と関連付けられています。

この監視の目、王族などの階級、あらゆる毒や依存のない状態が鳳凰ではないかと思いましたが。。。

鳳凰は五色の鳥。よくよく見てみると、とさかと頬のびらびらがある。
鶏?



小国鶏で五色という尾長鶏がいたという。鶏たちも改良に改良を重ねられてきた。

ここまで孔雀の羽も尾も長くない

日本に孔雀はいなかった。
負けん気の強い日本人。
ローカルな鶏で対抗したのか。。。

姿、形、名前はどうであれ、

想像上の霊鳥、鳳凰には、調和・平穏・女性性・美・繁栄・拡大・上昇・成功などのスピリチュアル的な意味があります。

鳳凰は人の性格や霊性を見極める能力があり、心や行いが美しくて正しい人や天命・天寿を全うする人の前に現れて、祝福をするといわれています。

鳳凰が現れた後には平穏が訪れ、鳳凰が舞い降りる土地には人格が優れた人や才能に恵まれた人が生まれるといわれています。

鳳凰の頭は空、目は太陽、背中は月、足は地球、尾は惑星を示し、身体全体でこの世に存在するすべてのことを表しています。

鳳凰がついている人の特徴
(1)平和主義である
(2)好奇心旺盛で新しいことに挑戦できる
(3)努力家である
(4)慈悲深くて優しい
(5)意志が強い
(6)ポジティブである
(7)感情をうまくコントロールできる
(8)相手の変化にすぐ気づく
(9)人間関係の構築が上手い
(10)謙虚である


鳳凰雲はスピリチュアル的に、迷いが晴れ、人生が良い方向に進む吉兆が訪れる前兆を意味しています。

迷いが晴れるというのは、鳳凰雲を見たから迷いが晴れるのではなく、自分の努力によって苦しみや問題を乗り越えたり、迷いから抜け出すことができた人の前に鳳凰雲が現れるといいます。

ほんとうに現れました。

2021.7.20鳳凰

大変だったけれど、自分の考え、方法、意志を貫き健康になったと、畑から空を見上げたとき。

2024.8.23鳳凰龍

大変だったけれど、自分の考え、方法を信じ、働き方を変え、犬にも家族愛を貫くことができてよかったと、空を見上げたとき。

ほんとうに、努力しました。
よく頑張りました。
お金にはならなかったけれど、お金に変えられないものを手にすることができました。

自分は変わったなと思います。

これまでの時間を取り戻すべく、自分のしたいことを手当り次第、全力疾走でやってきました。ルシアを思い出し死を悲しむ間のないよう、がむしゃらに働きました。良くも悪くも働き過ぎました。
できることはたくさんある。いつもたくさんありすぎてなにがしたいのか分からなくなる。これまで人のためにと、たくさんのことをしてきた私。

人のため?自分のため?家族のため?それはほんとうにためになることなのか?自分のほんとうの幸せはなんなのか。

これか?これか?それともこれか?と与えられながら、旅先で本物に気づく、見つける日々が続いています。

夢はある。大事にしたいものはある。だけど、ここが執着点ではないような気がして。ならば、どこで、だれと、今ここでなにをすればいいのか、なにがしたいのか、なにができるのか、どうすればいいのか、白紙の地図を見ても分からない。
全く未知の世界。自分で描きたい絵がまだ思い浮かばない。

土星リターン中は過去と同じパターンが再生され、過去の過ちは二度としなかった。そして、順行に戻った今、頭も心も雪のように真っ白な状態。神戸に移ってから不思議とまだわたしだけ雪にあっていません。同じ土地に住む子や、九州にいる子も幾度か雪を見たというのに。わたしは「行きなさい」と言われない。今は「ここでいい」そう言われているようにも感じます。

先日おふたりから声を掛けられました。お金が欲しいのだなと思いました。自分のしたいことをするために、学ばず、手放さず、改めることなく、お金が欲しい人が寄ってきます。困っていると言われ、それは大変とこれまでたくさんおとしてきました。いつも全財産46円の私たちが、です。普通の人とお金がないの基準が違いました。皆んな持っているのです。自分のお金を使いたくないだけ。おとし玉はもらって当然と当たり前に持っていく。病気で動けなくなりどうしようもないと困ったときも首を振り、誰も助けてくれませんでした。断った人が逆に貸してくれと言うので貸しました。普通貸したお金は返ってきません。能力がないからです。だから初めからあげると言いました。病気は様々なことを教えてくれます。支援金の窓口もしました。お金がないと言う人は、ある。豊かな暮らしに慣れて、そもそも無駄なモノやことを無駄ではないと言い聞かせ、つかっていることに気づいていないだけ。自分もそうでした。
世間とは逆の意見になりますが、寄付は人のためにならないと思っています。わたしは過去に子育て支援団体を二度立ち上げました。親子の絆を深める活動をしていたときはきちんとお金は回りました。自分のこだわりを果たす、つまり善いことをしているという自己満足を満たすため、義務のためにする場合、お金は回りませんでした。根本的に人のためにならないことを高次はしなくていいと思っているからです。だから、辞めました。手元にあるお金や降ってくるお金で出来ないことを毎回、自分の手柄のためにお金のない人から鐘を叩いて搾取する必要はなく、渡した方も何の徳にもならず、互いに自己満足で終わります。本音と建前、矛盾する言動、社会、政治、活動、会社、保育、食事の必要性を考える毎日。

そんなときに、ふと、できたお話です。

この世は毒だらけ
孔雀を放てば毒はなくなるかも知れない。

苦弱。

あなたの苦しみが弱まりますように。



おまけ
太陽コロナは随分話題になりました。太陽には活動の周期があり、次に太陽が活発化するのが2025年頃ごろと予想されており、この時に太陽フレアが増えると見込まれています。合図を待っているのか、あまり動きを見せない仮想通貨フレア。フレアも底上げくるハズ、かも🦆‎フレフレフレア𐦖𐦖𐦖

投資は博打ではありません。経済をまわす立派な社会貢献です。アメリカでは中学校で投資を習い、国を支えています。ひと昔は、NTT株を100円でも買っておけば良かった。こんな世の中になるなんてなと、よく聞く言葉でした。先見の明のある人たちは購入していました。おそらく、それと同じ現象が起きることと考えています。投資は海の波のように、満ち干きがあります。上がれば必ず下がります。うお竿してはいけません。

それにしても、
すべてが形に残らないようになる
記憶や記録として残さないためか
時の流れは同じことを繰り返す
豊かな緑、農業が栄えたとされる
良くも悪くも行き過ぎた文明
手がかりはほとんど残されない
文明がまいた毒はさばくを生む
消えた文明と同じ道をたどるのだろうか
避けることはできるだろうか

子どもたちは変わらない
変わったのは大人
子どもたちを変えたのも大人


おっしゃる通り

子どもたちの笑顔であふれるキラキラした未来

思い描こう


長文乱筆、最後までお読み下さりありがとうございました。

ありがとう
ありがとう
感謝


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