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下手なもの見せたくない、と思う時。
あなたは、ゴッホの「初期」の絵をみたいと思うだろうか。
…
荒削りでも、高価値。
晩年と比べたら、筆のタッチとか色彩の表現やらは変化していると思うし。
本人にとっては「こんなの、まだまだだ。」というレベルかもしれない。
でも、それを見たいと思う人はいて。コレクターなら、目の色を変えて飛びつくはず。
———それは、どうしてだろう?
答えは単純で、皆んな興味があるから。
荒削りの状態から、どんどんと磨かれていった様子を見てみたいんだ。
本人は、恥ずかしいと思うような出来栄えでも、見るほうは馬鹿になんてしない。
こういう作風から、変化していったのか。ほー。
と、興味深く思うだけ。
逆に「最初はみんなこんなもんだよね。」と、少し自信をもらうことさえある。
だから荒削りでも、高価値なんだ。
…
そんなところも、可愛い。
インスタで、ビリーアイリッシュばかり見ていると「おすすめ」に彼女の写真がたくさん出てくる。
彼女の幼少期や、合唱団にいた時の映像が出てきては、ファンが「so cute!!」と歓喜してる。
Youtube で毎年、彼女が同じインタビューに答える企画があるのだけど。
数年前の自分に、彼女は絶句し「oh my god…」と頭を抱えたり、赤面したりしてる。
けど、そんな彼女も愛らしいし。
過去にどんな心境の変化を経て、今に至ったのかを知れるのがとても面白い。
「こんな優れている人だけれど、昔は(まだ19歳)ちょっとやんちゃしてたのね。」
なんて思うと、同じ人間としてちょっと安心する。
最初は誰でも、泥水。
この間、星野源のエッセイにも書いてあった。
誰でも、最初の表現は「濁った泥」みたいなもの。
段々と不純物を取り除かれて、澄んだ透明な水へと変化していく。(意訳)
なるほど。
天下の星野源がいうなら、間違いないね。
世にある素晴らしい表現も皆、何度も泥からこされてきたものらしい。
…
下手なものを見せたくない。
すごい人・世で評価されてる人を見ると
この人も日陰にいた時期があったんかな、と思う。
なんせ、私は待てない。
結果がすぐ欲しい。地道な努力とかしたくないし、人に恥ずかしいとこを見られたくもない。
一足飛びにビューンと、はじめから完璧にできる自分でありたいと思ってしまう。
それは無理ではないかもしれない。出来るようになってから、世に出すのもアリだと思う。
けど
初めから、色んな人目を浴びたほうが
早いだろうな。
とも思う。
成長も、結果的に評価を受けるのも。
人目があるからこそ、劇的に変化できる。
…
Gen・Hoshino がいうように、最初のスタートは誰しも、きったない泥水かもしれない。
でも、将来の自分から逆算したら、それは
「荒削りだけど高価値な今」なのかもしれないね。
できない状態の時はどうしたって恥ずかしいし、人に見られたくないと縮こまってしまうけど。
いずれ成長して「それも可愛い」と、言ってもらえる時がくるとしたら。
出してもいいかな。て
ちょっとは、思える気がするな。
ダメなら、すぐ引っ込めればいいもんねぇ。
おわり。
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