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古典の「ことば」がよみがえる時(2020年4月5日)

 私が所属している「解釈学会」の学会誌が届きました。

 毎回、「あとがき」を楽しみに読んでいるのですが、今回の村瀬憲夫先生の記している内容が深く心にしみました。

 現代の世の中の荒みに対し、「物事への深くてやわらかな思考と思慮、他者へ繊細に分け入る想像力と利他性に欠けていると感じます」とする村瀬先生は、万葉集の山上憶良の「貧窮問答歌」を例にとります。

 「かくばかりすべなきものか世間の道」という「ことば」で、憶良が「貧困、無常、老いとそこに降りかかる病、そしてやんだ老身に無邪気にまとわりつく幼子等々に「世のすべなさ」を見据えたそのことの重要性を説きます。「「ことば」を深くやわらかく読み解くことが、この世の荒みを凌駕する術のひとつとなるのではないでしょうか」と私たちに問いかけます。

 そして、高木市之助先生が、昭和44年新春の宮中歌会始めの召人として詠まれた歌を最後に紹介されます。

  あか星のかげをふみつつわれはただ世のすべなさを憶良にいのる
    ※あかぼし【明星】…(上代は「あかほし」)明け方、東の空に見  
   える近世。明けの明星(みょうじょう)。

 3月の末に読売新聞で「国語力が危ない」という特集の「「語彙力」の今」というシリーズ記事を読みました。若い世代が感動をなんでも「エモい」という語で表現し、子どもたちが自分の置かれた状況や感情を適切な言葉で説明できずにキレて、勘違いして、けんかしてという事態(私も生徒指導で多くの経験があります)の頻発――。

 古典や名作を通じて、「ことば」が時を越えて我々を揺さぶる感覚を教室で共有する経験によって、豊かな語彙を手に入れることが必要なのだと思います。

 私はアーティストの米津玄師(よねづけんし)さんを最近知り、その「ことば」の豊かさに驚いています。そして、多くの若者が米津さんのことばに救われたとYoutubeに書き込みをしているのを見ました。――子どもたちが古典や名作を理解できないということはないと私は信じています。


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