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【『逃げ上手の若君』全力応援!】(191)主君・足利尊氏と義詮父子に忠誠を尽くし力を増大させる高師直VS才覚に富む養子・直冬の西国での挙兵の背後で敗北した直義は何を思うのか……?
南北朝時代を楽しむ会の会員の間でも話題騒然の週刊少年ジャンプ新連載『逃げ上手の若君』ーー主人公が北条時行、メインキャラクターに諏訪頼重! 私は松井優征先生の慧眼(けいがん=物事をよく見抜くすぐれた眼力。鋭い洞察力。)に初回から度肝を抜かれました。
鎌倉時代末期から南北朝時代というのは、これまでの支配体制や価値観が崩壊し、旧時代と新時代のせめぎあいの中で、人々がそれぞれに生き方の模索を生きながらにしていた時代だと思います。死をも恐れぬ潔さをよしとした武士が〝逃げる〟という選択をすることの意義とは……?
〔以下の本文は、2025年2月22日に某小説投稿サイトに投稿した作品です。〕
『逃げ上手の若君』第191話は、雫、亜也子、そして魅摩と時行との思いが重なり合い……〝三人とも思い続けてきてよかったね〟と、そう思える展開でした。きっと時行と三人娘それぞれのファンの方が様々な思いを抱いて第191話を読んだのだろうなと思いつつ、私は、漫画の登場人物ではあるのですが、時行の三人娘に対する決断と、これに先んじた重大な決断について支持したいという考えです。
「天下というこの目標を… 今はっきりと放棄したい」
「!!」
逃若党以外の部下たちに了承を取るべく下したこの宣言に対して、皆、驚きと不安の表情を浮かべています。しかしながら、時行がしっかりと考え、準備をした上でそう述べたことがわかる様子が描かれています。
「香坂殿と相談し 開墾すれば君達のものに出来る土地を確保してある」
「つかの間の平和の間に 好いた女子と好きに結ばれ 生きた証の家族を残してほしい」
すでに「再び北条の天下を取り戻す」という目標が無理なことであり、自分たちがすべきことは何かという現実と向き合った上での結論なのですね。そこで、北条党筆頭格の南条が、皆の思いを代弁して発言しています。
「…天下奪還が不可能なのは我々も理解していますが なぜ今明確に宣言を?」
時行が「今明確に宣言を」した理由やいきさつについては本編を読んで楽しんでいただければと思いますが、「天下奪還が不可能」であることを皆「理解して」いた中で、主君がそれを口にして、皆に先んじて「生きた証の家族を残」すという行動を起こしたのは、とても重要なことだと私には実感されます。
私の先祖は、武田の落ち武者として伊豆の険しい土地に逃れ、その後何百年もの間ひっそりと暮らしていたことをこの歳になって知りました。それを思うたびに、私がこうして生きていられるのは、ご先祖様の苦しくも正しい決断にあったことを思わずにはいられません。
人は何のために「天下」を欲するのか。「天下」を取った者がなすべきこととは何か。そして、「天下」を手に入れた者は幸せになれるのか。
ーー家族の問題で常に苦悩し、多くの人間を巻き込んだとしか思えない足利将軍家の歴史を見るたびに、私はそれを考えずにはいられません。
(ただ、とても大きな視野で歴史を見た際には、個人や一族にはそれぞれに役割があるという考えも、最近の私は持つようになっています。そう考えれと、足利尊氏と足利氏にはとてつもなく厳しく数奇な役割が与えられていると考えられなくもないわけです。)
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さて、第191話の冒頭、とてもよく直義失脚後のことがまとめられていると思いました。
「失脚した直義の後任には 尊氏の子・義詮が鎌倉から呼び寄せられ 高師直が補佐として権力を握り 上杉重能ら直義派を殺していった」
義詮は、家長に泣きついていた頃のお子ちゃまがそのまま大きくなったような風貌で、一方の直冬は凛々しいですね。
「だが 窮地の直義を救うため 西国で勢力を増した足利直冬が挙兵する!」
亀田俊和先生の『観応の擾乱』で、このあたりのことを確認してみます。
御所巻の後、「寄合方」と呼ばれる機関が出現した。高師直が、寄合方の頭人として奉書を発給した事例が知られる。(中略)
寄合方に関する史料は非常に少ないので、仁政方・引付方との関係など不明な点も多いが、少なくとも師直の権限が増大していることが確実に言える。〔亀田俊和『観応の擾乱』「第3章 観応の擾乱第一幕」「1 師直のクーデターーー将軍尊氏邸を大軍で包囲」内の「寄合方」より〕
※寄合方(よりあいがた)…鎌倉後期、北条得宗家が少数の主だった一族や評定衆を集めて行った会議と名称が同じであるが、ここでの寄合方は、所領の訴えに対して調整を行っていた機関であると見られている。
※仁政方(じんせいかた)…頭人および数人の奉行人によって構成される合議機関。引付方による裁判の過誤を救済するためのもの。
※引付方(ひきつけかた)…所領関係の訴訟を専門に扱った裁判機関。
次いで師直は、備後国の杉原又四郎という武士に命じて、当時同国鞆に滞在していた足利直冬を攻撃させた。直冬は、肥後国に没落した。九月一三日の出来事であったとされる。
『太平記』には、このとき直冬が完全に油断しており、警備の兵も少なかったと記されている。しかし、自分の後ろ盾であった養父直義が失脚した情報は当然彼もつかんでいたはずだ。多数の軍勢を従えて下向したはずの直冬が、官途も名乗らない小物の武士に襲われて九州まで襲われて九州まで落ち延びたというのは不自然である。たまたま肥後国人川尻幸俊の船があり、それに乗って逃げたというのも話ができすぎている。
そもそも一次資料では、杉原又四郎なる武士が直冬を襲った史実は確認できない。『園太暦』貞和五年(一三四九)九月一〇日条によれば、幕府が直冬を追討するために討手を差し向けようと議論したのは確かである。直冬が直義派であることは自他ともに明白であるので、直義が失脚した今、尊氏と師直は彼を軍事的に排除しようとしたと考えられる。
だが、その情報をつかんだ直冬は自分から四国へ没落し、伊予国の武士と備州の阿久良以下が彼を迎えたと記されている。
真相は不明であるが、直冬の四国・九州転進は、幕府の追討とは無関係に事前に計画されていたことなのではないだろうか。そして実際、九州に移って以降の直冬は、急速に勢力を拡大するのである。
なお、翌一〇月には高一族庶流の大平義尚が備後守護に就任していることが確認でき、ここでも高一族の勢力伸長を看取できる。
また師直は、越前国に配流されていた上杉重能・畠山直宗を同国守護代八木光勝に殺害させた。あるいは土佐守護高定信を越前に派遣して殺害させたともいう。〔同上「直冬の九州転進」より〕
※越前国に配流されていた上杉重能・畠山直宗…御所巻において、師直は自信の暗殺を企てて実行に移した者たちの身柄引き渡しを要求し、結果、直義の引退と同時に腹心の上杉・畠山らは流罪に処されていた。
師直の力が強くなっていることと、直冬が抜け目ないのが印象的です。
「直冬は軍事催促を行うとき、「両殿(尊氏・直義)の御意」と称し、尊氏の権威を利用したりした。内心では直冬を実子と認めない尊氏にとっては、こうした直冬の行為はきわめて不愉快だったであろう。」と亀田氏は述べており、第191話の「おのれ凶徒・直冬… 厚遇を忘れて謀反とは畜生の所業!」の尊氏の顔が……まさにですね。
そして、師直にはもうひとつ大事な役割がありました。直義の称号であった「三条殿」を引き継いだ足利義詮の執事として、彼を支えることです。師直は、「主君尊氏の意を承けて、義詮を次代の将軍とすべく彼の権威確立に奔走し、晩年の政治生命を義詮に捧げたのである。」〔同上「足利義詮の三条殿就任」より〕という形で、主君・尊氏とその後継者に忠誠を尽くしたのです(もちろん、自身の地位を盤石にするためでもあったとは思いますが……)。
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「チ… こうなる前に直義を殺しておきたかった 奴を残して出陣するのはあまりに危険だ」
師直、さすがデキる男です。歴史的な事実として、師直がそう思って謀をめぐらせていたのかは伺えないのですが、私が師直でもやはりそうなると思います。もはや「直義」と呼び捨てなのも気になりますが、師直のこの不安は的中します。
幼い尊氏・直義の仲良しぶりを描いた絵に悲しくなりますが、兄弟は歳を取るほどに似て来る(遺伝的資質が高まる)といった話も聞いたことがあるので、直義に眠る兄と同質のヤバイ要素が、師直を媒介として目覚めてしまったということなのでしょうか。ーー事実、直義は世間をあっと驚かせる行動に出ます。これは、『逃げ上手の若君』の連載が始まってしばらくして、歴史にあまり詳しくない知人に話したら〝え、それ、史実? リアルに週刊少年ジャンプなストーリーじゃない??〟と驚いていました。
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さて、この記事を書く少し前に、ユング心理学の研究者である河合隼雄先生の『源氏物語と日本人 紫マンダラ』という本の、ある一節が目に留まりました。
『源氏物語』の主人公・光源氏の正妻格にあたる紫の上が、源氏の子をなした明石の上を受け入れることができた背景として、「紫の上は苦しい妻の座を守ることに耐え、源氏の才覚と明石の君の譲歩によって、明石の姫を養女にする件が成立する。互いに激しい嫉妬の焔を燃やしたに違いない二人の女性の賢さに救われて」、源氏とその主要な妻たちの関係は保たれたとういうものです。
この記事の冒頭で、時行と三人の幼馴染の娘たちが迎えた結末をよかったと思いながらも、今後は折に触れて、彼女たちには夫と自分との一対一の関係のみを求めてしまうであろう危うさが潜むことと、その解決には〝忍耐〟や〝智恵〟や〝分かち合い(譲歩する気持ちや寛容さ)〟といった、人間の持つ徳性の発動が、一人一人に求められるであろうことを思わずにはいられませんでした。
家族や夫婦に始まり、学校や職場、目的に応じた様々な集まりや地域、果ては、国、国と国という形で、大きい小さいにかかわらず、人間はそれらの内において自分と他者、集団との関係性を〝過剰にならないように〟保つことが重要で、政治というものの本質はそれに尽きるのではないかと、最近はよく考えをめぐらせています。多くの人の思惑や関わる物事の偶然性に左右されるそれらは、決して思い通りにならないものではあるのですが、〝理想〟の状態を描き、そこから逸脱しそうな自分自身を律することが、個では生きることのできない人間にとっては必須なのではないかと……(時代が大きく変化し、完全な個で生きることができる時代も到来するのでしょうか。私はそう簡単には訪れはしないという考えです。人という存在自体が、そもそもそういうふうにできてないと考えるからです)。
……と、余談が過ぎてしまいましたが、時行と彼の妻達のこれからをあたたかく見守りたい一方で、優れた〝政治〟家であった直義がどこに向かうのかがとても気がかりです。
〔亀田俊和『観応の擾乱』(中公新書)、河合隼雄先生『源氏物語と日本人 紫マンダラ』(岩波現代文庫)を参照しています。〕