中村光夫、あるいはわが青春に悔なし(3)(2005)
4 青春の歌
中村光夫の作家論は彼らの青春を扱っています。その目的は二つあります。一つはその作家を彼にさせた青春を分析し、その通説を再検討する試みです。もう一つは、その青春の時代的・社会的背景を明らかにする企てです。作家が自明ではないように、「青春」も自明ではないのです。「青春がおのおの個人にとって、悔恨と哀惜の対象になるのは、そこで実現の機を見出せなかった幾多の生への可能性によるのであるとすれば、僕等はすでに人間の生涯に近い時間を経過した我国の近代文学史の残るモメントに対して、真剣な悔恨の上を抱くべきではないでしょうか」(中村光夫『風俗小説論』)。
中村光夫は、『知識階級』において、「わが国の知識階級にはじめ人材を供給したのは、武士階級でした。というより明治維新は在来の武士階級を知識階級に変質させて行った過程と見てもよいでしょう」と言っています。知識階級が聖職者や商人、農民、ブルジョアジーから生まれなかったため、彼らは階級闘争を経験していないのです。
明治維新は革命ではなく、クーデターです。「まずそれは、わが国を幕末維新のころおかれていた『半開』の状態から、急激に『文明』にすすむという、国家的必要をみたすことを使命としていました。したがって彼等の身につけたのは、西洋の学問であり、その人的な素材は、主として旧武士階級(とくに下級の武士の間)から供給されました。彼等は『四民の平等』を標榜した社会で、従来武士の間でもきびしく守られていた上下の身分家族の差別から解放され、これまでにない出世の機会を保証されて、その使命にいそしむことができました。この洋学で装われた武士の子弟たちが、僕等の先祖であり、それがいろいろに変質しながら、根本の性格は変らずに現代まできています」。
近代化が定着するに従い、「知識階級が、特権的な指導者の地位から、支配者たちに使われる技術者に変って行ったので、彼等の知識の向上と逆に、その社会における位置は下ってしまったのです」。二葉亭四迷の『浮雲』は、森鴎外の『舞姫』と違い、こうした「書生」の姿を描いています。中村光夫は、二葉亭や永井荷風など対象を変えながら、「青春」の社会による変容と反復を論じています。文学者は近代における知識階級ですから、彼らの青春は近代の変質に対応します。
『浮雲』は知識階級がリーダーからテクノクラートとして扱われ始めた時期の作品です。「しかし彼と社会とのあいだには、後の知識階級が例外なく味わった間隙がすでに存在します。まず彼が勤先で与えられる仕事は、『身の油に根気の心を浸し、眠い眼を睡ずして得た学力を、斯様な果敢ない馬鹿気た事に使ふのかと、思へば悲しく情けなく』なるようなものであり、学校で考えたような思想や条理は、実世間の行動の規準としてはまったく無価値になります」(中村光夫『知識階級』)。
その後、若者はテクノクラートからサラリーマンや兵士のモラトリアムになっていくのです。それに伴い、作家が描く青春も変化していきます。志賀直哉や佐藤春夫の青春は二葉亭の青春とは別物にさえ映ります。知識階級ははるかに小さな存在になってしまっています。もはや政治家や官僚に期待されながら、苦悶しつつ、意を決して作家になる時代ではありません。作家は、親の世代からどう見られるかは別として、一つの職業です。戦中には、死の身近さによって、青春が将来の成長に結びつきません。三島由紀夫は、作家になってから、青春をやり直すように生きていきます。さらに、戦後になると、知識階級という呼称を使うことさえ躊躇われるほどです。1950年代以降、若者は、東西冷戦と消費社会を背景に、消費者として最先端の文化の担い手に躍り出ます。戦前以上に、青春小説が時代の文化を表象していると見なされるようになります。無名の新人による青春小説は文学界を最も活性化させると期待され、数多くの一発屋が登場し、消えていきます。
中村光夫は、こうした論考を通じて、青春と言うよりも、青春の変容を検討しています。それぞれの作家の青春ではなく、彼が青春をどう位置づけているかを論じています。中村光夫が批判するのは風俗小説などに見られる青春に対する倒錯した意識です。彼の青春概念は青年期に限定されているわけではありません。近代的自我やアイデンティティの問題とは無縁です。鋳型に押しこめることができないゆらぐものです、
5 ゆらぎとしての青春
森毅は、『青春の自立』において、青春をゆらぎだと次のように述べています。
それでもぼくの青春の戦中戦後は、物語のなかにしかない。ぼくが若者のころ、生まれる前後の大正リベラルや昭和モダンはまだしも、先輩のお兄さんの話から憧れとともにイメージをふくらませていた。しかし、日清日露を生きた明治のおじいさんがいても、それは物語の世界でしかなかった。時間をずらして考えれば、今の若者が憧れとともに語るビートルズの時代とするなら、戦中戦後というのは、かつてぼくが若者だったころの日清日露なのだろう。
でも、そうした物語の流れは変わっていても、そこでの人間の成長の流れは共通しているような気がする。青春に一つの道を定めて、その延長上に人生があったというのではない。むしろ時代や社会が変わって、自分も変わっているのに、青春が姿を変えながら反復しているように思うのだ。イモムシとチョウほどの差はないにしても。
そしてなにより、十五から二十五ぐらいの青春というのは、自分の基礎が形づくられる時期でもある。ひところなら、大学には暴力学生がいるとこわごわ入学してきた学生が、夏休みすぎになるとその本人がヘルメットをかぶり、やがて一年もすると運動に挫折したりする。本をやたらに読んでも、自分の好みが作られるのは、二十をすぎてからだった。
つまり、青春とは、なにより新しい自分を見つける時代。そして新しい時代を感ずる年代である。もっとも、感じた時代をドジに表現することがあって、むやみに刃物をふりまわされたらかなわんが、感ずるだけなら若者に分がある。それが青春の十年。自分も時代も固定して考えることはないだろう。
その青春の時代に青年の自立があるわけだが、それを固定的に考えて、その後の人生を決定すると考えることもあるまい。自立というのは、人生のステージを変えて、新しいステージに立つことだと思う。時代も社会も変わるのだから、決まった形が続くと思えない。それで、なにが青春の自立かというと、家庭という舞台から社会という舞台に移ること。それまでは、親と喧嘩していようと、たとえ親がいなくとも、世界は家庭だった。世界が変われば自分だって変わって当然。しかしながらつい、自分の過去を再現してしまう。新しい舞台なのだから、新しい表現でなければなるまいが、本質は変わらぬものだ。未来への出発のようでありながら、未来というものは不確定にゆらぐ。青春のはかなさは、そうした決定と不確定の間にありそうだ。自立という言葉のニュアンスの反対に、青春にはゆらぎのニュアンスがつきまとう。
ことさらに深刻ぶらずとも、ゆらぎながらも青春。
「ゆらぎ(Fluctuation)」は計測誤差とは違います。カオス現象であり、決定論的非周期性の一種です。ゆらぎはある量が平均値の上下に不規則に変化することを意味し、もともとは電子工学の分野で発見されています。この不規則さにも種類があり、ゆっくりした変化からランダムなものまであります。特に、脈拍の時間変化などに見られるその中間の現象を「1/fゆらぎ」と呼びます。
このfは振動数(frequency)に由来します。1/fゆらぎは、1925年、アメリカのJ・B・ジョンソンが真空管を流れる電流を観測している時に、見出しています。1970年代後半になって、構造が単純な無髄神経かつ巨大軸索を持つため、神経膜などのカオスの研究でしばしば用いられるヤリイカの実験からこの現象への本格的な探求が始まっています。1/f ゆらぎは非線形相互作用として見られる現象です。つまり、ゆらぎは自己組織化するシステムにおけるリズムにほかなりません。「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたり例なし」(鴨長明『方丈記』)。
中村光夫はこのゆらぎによって青春を認識しようとしています。青春とはこういうものだとか青春はかくあらねばならないとかなどと口にしません。青春小説では自立を前にした若者を描きますが、それは時代によって変化しています。近代によって誕生したとされる「青春」はゆらぎのない線形的な一段階ですから、その意味で、ポストモダン的状況では、青春は終焉を迎えたと言ってよいでしょう。青春が非線形的なゆらぎなら、それはまだ十分に把握されていないのです。青春は克服されるべき段階ではありません。
青春をゆらぎとして捉える中村光夫は、これまでの引用から推測できる通り、青春を近代の問題と関連させています。中村光夫の「青春」は後の批評家にも影響を与えています。吉本隆明の「自立」や江藤淳の「成熟」はその代表です。それらは、共に、日本の近代をめぐる考察に結びついています。
吉本隆明は生活に基盤を置き、いかなる体制やイデオロギーに依存しない姿勢を「自立」と呼んでいます。「自立」の思想は、彼の『自己とはなにか』によると、「じぶんが自然過程のように繰返すあしたの生活、そのこと以外にはまったく関心をもたない」大衆の「不敬」なる生活に立脚し、思想を絶えずそこに立ち戻らせて検証されていくのです。外来のイデオロギーとその反動思想によって現実を裁断してそれにあてはめるのを繰り返してきたのが日本近代であり、足元の生活から思想を紡ぎ出すべきだと訴えるのです。
他方、江藤淳は、『成熟と喪失』において、第三の新人を論じながら、高度成長による日本社会の変質を解明し、「治者」としての父性像に辿り着き、次のように述べています。
しかし、あるいは「父」に権威を賦与するものはすでに存在せず、人はあたかも「父」であるかのように生きるほかないのかもしれない。彼は露出された孤独な「個人」であるにすぎず、その前から実在は遠ざかり、「他者」と共有される沈黙の言葉の体系は崩壊しつくしているかも知れない。彼はいつも自分がひとりで立っていることに、あるいはどこにも自分を保護してくれる「母」が存在し得ないことに怯えつづけなければならないのかも知れない。だが近代のもたらしたこの状態をわれわれがはっきりと見定めることができ、「個人」であることを余儀なくされている自分の姿を直視できるようになったとき、あるいはわれわれははじめて「小説」というものを書かざるを得なくなるのかも知れない。
江藤淳は、日本の戦後精神が成熟と自立を成し遂げられなかった根底に、母に抱かれた日本の母系社会の精神があることを指摘します。日本は母系社会であるために、父性原理である西洋近代が定着できないというわけです。
中村光夫の青春と近代の議論はこの二人とは異なっています。彼は近代という「青春の自立」を考えるのです。中村光夫は日本の近代文学を批判しつつ、西欧の近代化を参照して、日本の近代に対する認識を検討していきます。1938年から翌年に亘って、フランスに政府招聘留学生として渡り、ヨーロッパの生活に根付いた近代に触れています。けれども、その経験から、ありうるべき近代を想定して、日本の近代を批判したり、あるいは西洋近代が真の近代であり、日本の近代が偽の近代であると批判したりしているのではありません。青春も、近代も、中村光夫にとって、実体ではありません。
近代の最大の数学的道具は微積分です。近代は、その意味で、線形的体系の完成と言っていいでしょう。線形的体系としての近代が世界を変革するのです。ところが、中村光夫は青春をゆらぎとして把握していますから、近代にも同様の認識を適用しています。そうなると、近代は、驚くべきことに、非線形ということになります。これは極めて稀有な発想です。近代は線形的認識が発展し、確立された時代であるという支配的認識に対して、彼は近代でさえ非線形だと言っているのです。
けれども、中村光夫がゆらぎという「自己組織化(Self-Organization)」から青春や近代を検討しているのは、決して、強引ではありません。と言うのも、非線形・非均衡現象に対するアプローチの中で、自己組織化は、比較的、微積分的な要素還元主義、すなわち現象を要素に分割して理解する手法をとっているからです。ゆらぎと自己組織化は、必ずしも、同一ではありませんが、臨界点が自然に安定化する自己組織化臨界のように、1/fのゆらぎを通して、現象に自己組織化が見られるなど一定要件の下で重なり合っています。
砂を静かに落としていくと、砂山ができます。しかし、ある高さに達すると、それ以上大きくならず、砂は山の斜面に沿って流れ落ちてしまいます。これは自己組織化臨界の一例です。