笑蝉記(8)(2021)
8 近代の隠者
現代のサブカルチャーには超自然的力を会得した隠者が登場する。しかし、それらは概して理解が不足している。日本に限らず、昔ばなしに現われる隠者の中に超自然的力を発揮する者がいることは確かである。ただ、彼らは宗教の修業を積み、その倫理的理想を実践するために隠れて暮らしている。示される力は宗教のもたらすものである。その行使には民衆への道徳的メッセージがこめられている。隠者が民衆の願望でもあるそういった力を発揮して問題を解決するのは、その宗教の偉大さを示すためである。また、それは道徳的生き方を進めるためである。見るべきところは超自然的力ではなく、宗教の偉大さや弱者救済など教えの方である。現代のサブカルチャーの隠者にそうしたメッセージはない。
近代の隠者について考えてみる。近代は政教分離をもっとも基本的原則とする。政治は公、信仰は私の領域に属し、相互に干渉してはならない。この公私の分離により価値観の選択が個人に委ねられる。自由で平等、自立したその個人が集まって近代社会を形成している。他方、前近代は共同体主義である。政教、すなわち公私が融合、共同体が認める価値観を個人も信奉する。隠者は共同体規範の理想の生き方を追求するので、その実践は人々の間の共通理解に基づいている。しかし、近代の隠者は、価値観の多様性が前提なので、必ずしも社会と認識を共有しているわけではない。
隠者はこの社会から離れて暮らす。それは近代社会批判を意味している。ただし、共同体主義ではない。あくまで個人主義によって近代の理念と現実の矛盾をつく。近代において個人は自由で平等、自立しているはずだ。ところが、実際には近代化が進めば進むほど、公共サービスや市場経済、科学技術に依存していく。そうした依存が便利さと引き換えに個人から自由や平等も奪っていることは否めない。隠者は自立を求めて社会から離れて暮らし、その実践を通して近代の理念を再検討しようとする。そうした生活にこそ真の幸福があると考える。市場経済も同様だ。
近代化の促進は市場経済や科学技術を発展させ、それが生活環境に加わってくる。現代は知識の専門家・細分化・高度化が進み、情報の非対称性により、暮らしにおける外部への依存がますます増える。情報の非対称性により、依存に伴うリスクはユーザーには認知するのが困難である。そこで信頼が重要になってくる。依存はこの信頼を前提に成り立つ。
だが、隠者は情報の非対称性によるリスクを回避するために自給自足を行う。意思決定の権限が自分にのみあるから、結果はすべて自己の責任となる。自由には危険が伴うというわけだ。
隠者は、一見したところでは、内向的だが、政府が社会のためにある以上、その批判は国家にも向けられる。公共サービス・政策の拡充に伴い、社会が政府への依存を強めていく。すると、国家は社会に従属を求めるようになり、本来の存在意義から逸脱して自分自身のために権力を行使する。こうした動向に対して隠者は、自立の実践から、批判していく。
近代を代表する隠者としてアメリカのヘンリー・デイヴィッド・ソロー(Henry David Thoreau)を挙げることができる。「愛よりも、お金よりも、名声よりも、私は真実が欲しい(Rather than love, than money, than fame, give me truth.)」。H・D・ソロー(1817~1862)はアメリカの作家・思想家・詩人・博物学者である。彼は『ウォールデン 森の生活(Walden; or, Life in the Woods)』を1854年に出版している。これは、ソローがウォールデン池のほとりで、1845年7月4日から2年2ヶ月2日に亘って小屋で送った自給自足の生活を描いた回想録である。湖や動物たちなどの自然の描写のみならず、人間や社会、労働、形而上学と行った広範囲のテーマについて思索している。『ウォールデン 森の生活』は近代の『方丈k』とも言えよう。
このソローは、1846年、米墨戦争が始まった際、それに加わるマサチューセッツ州の人頭税の支払いを拒否して投獄される。この行動は「市民的不服従(Civil Disobedience)」であり、ラディカル・デモクラシーの一つとされ、レフ・トルストイと共に、マハトマ・ガンディーやマーティン・ルーサー・キングの非暴力抵抗運動に影響を与えている。民主主義の意思決定はコンセンサスに基づくが、ステークホルダーの排除などその過程に問題がある場合がある。そうした事態に対して異議申し立てをすることも民主主義だとする思想を「ラディカル・デモクラシー」と呼ぶ。なお、叔母がその納税を代りにしたため、ソローは1日で釈放されている。「反抗の精神こそが、自由の土台である。従順さは奴隷の土台に違いない(Disobedience is the true foundation of liberty. The obedient must be slaves)」(ソロー)。
このように近代の理念の共有において隠者の自給自足は社会の人々にとって傾聴に値する。近大は個人に価値観お選択が委ねられているので、隠者の実践が社会的規範に即した理想ではない。隠者は自立から近代の理念の再検討を促す一つの思想である。
さらに、現代はこれに人間中心主義批判が加わる。ソローの作品にエコロジーがすでに認められ、彼はその祖の一人とも読み直されている。ただ、近代化の初期から環境問題が生じていたことは確かであるが、国際政治における現代的課題と認知されるようになったのは近年のことである。今や隠者の実践が世界的共通理解と関連している。
前近代では、共同体の認める規範に即して生きることが幸福である。しかし、近代において価値観お洗濯が個人に委ねられている。個々人の幸福も価値観に応じて異なる。ただ、いずれの価値観も幸福であることを目標にしている。価値観に優劣はないのだから、幸福の間にもない。社会の目的は、従って、総幸福が増大、総不幸が減少することだ。これが功利主義の言う「最大多数の最大幸福」である。
功利主義によると、個人の功利、すなわち幸福の増大が社会にとって望ましい。その際、経済成長や科学技術の進展による物質的豊かさが必要で、それにはそうした活動の自由が不可欠である。政府は社会のための機関である。国家は産業発展を邪魔しないのみならず、促進する制度整備や政策実施を担当していく。
しかし、急激な産業発展は自然環境にその回復力を大きく上回る負荷を加える。それは無視できない状態に至り、公害を始めとするさまざまな環境問題が噴出する。こうした状況は近代文明自身への懐疑をもたらす。この事態を物質的豊かさの追求が招いたことは確かである。それは社会の功利の増大に基づいており、この幸福はあくまで人間が中心だ。その信託を受けた政府の活動も同様である。産業主義には人間中心主義が背後にある。
エコロジーはこうした人間中心主義批判を含まざるをえず、それは近代を相対化する思想である。エコロジーの政治は人間社会の維持と繁栄、すなわち人間の満足以外の課題の考察を促す。伝統的な共通善、すなわち公共の利益に人間以外の自然界全体のそれを加味する。むろん、環境悪化は社会における功利を減少させる。功利を増大させるために、政府はエコロジーの問題提起に応える必要がある。だが、人間の幸福追求自体が環境悪化を招くとすれば、自由の制限が伴い、人々のコンセンサスが必要となる。
このように人間中心主義批判は近代文明全体を射程に入れるので、近代以降に蓄積されてきた知識の全否定を招きかねない。それは非合理主義の台頭を許すことになる。対して、孤独の中で思索を深める隠者の自給自足の生活、すなわち足るを知る生活は近代を相対化し、物質主義の再考を促す。あくまでちょうどよい塩梅を模索するので、過剰と共に欠如にも否定的であり、非合理主義に与しない。
隠者の生活が倫理的であることは前近代も近現代も変わらない。だが、近代は価値観の多様性が前提であるので、隠者の実践が共同体にとって規範に即した理想的生き方ではない。近代が基づく理念、特に自立が社会において実現しているのかという批判によって隠者は人々に傾聴される。また、近代の理念がもたらす現代的課題に対するラディカルな倫理的問いかけを提示する。隠者は社会から離れているが、その実践は社会的である。そうした社会性によって人々に自明性の再検討をもたらす。
日本文学史に沿ってこれを見てみよう。前近代の日本文学における風景の認識の形成に決定的な影響を与えたのは西行である。この隠者は全国各地を放浪、文学や思想、宗教の典拠に基づきながら風景の意味を詠む。松尾芭蕉もそれに倣いつつ、その風景を近世にふさわしいように読み直す。近代に入ると、国木田独歩は西行が意味を付与した武蔵野の風景を近代ロシア文学に描写されるそれと類似していると指摘する。これにより風景は西行から解放され、近代文学のものへと変更される。しかし、近代化の進展は日本の風景を均質化してしまう。中上健次は日本近代文学の枠組みを残し、風景を自らのレトリックで描いていく。近代文学が基づいていた風景はここに消える。その後の作家は中上健次を踏まえて自身の方法論で風景を構築する。一例を挙げると、田中康夫は風景を記号の集積として記している。ところが、村上春樹は、すべては無意味だとうそぶき、恣意的に風景を描く。風景はただ自分のためだけにある。それは自意識の優位であり、自らの功利冴え増大すれば、他はどうでもよいという人間中心主義的曲論である。しかし、現代の作家に求められているのは、人間中心主義批判による風景の発見である。
この風景の発見は、歴史的に見て、小説によってなされていない。それは主に随筆によってである。国木田独歩の『武蔵野』もそうだ。風景の発見は暗黙の前提を相対化して、時代的思想によって新たな意味を明示化するのだから、説明的記述が必要になる。近代は権利としての物語が許された時代である。等身大の人物を主人公とする凡庸だが散文フィクションを記すことが文学と社会的に受容される。しかし、それは近代文学における小説のヘゲモニー獲得により義務としての物語、すなわち「小説にあらずんば文学にあらず」へと変わる。けれども、風景の発見は随筆が行うものだ。
近代の隠者の代表としてソローを挙げたが、現代となると、なかなか思い浮かばない。古今東西、隠者は理想の一つである。隠者は宗教的または倫理的生き方を求めて、可能な限り世間との関係を断ち、孤独な生活を実践する。その暮らしはしばしば自給自足である。そうした営みを続ける中で、隠者は信仰や思索を深めていく。だが、現代にそういった生活をしている知識人はあまり思い浮かばない。
ジャーナリストのマイケル・フィンケル(Michael Finkel))は『ナショナル・ジオグラフィック』2017年6月12日更新「27年一度も人と接触せず、ある森の『隠者』の真相」において、「隠者(Hermit)」を「殉教者」・「抗議者」・「追求者」の3種類に分け、次のように述べている。
孤独に暮らすことを求める隠者は、歴史上、常に存在しました。彼らは隠遁者、世捨て人、シャーマンなど、さまざまな名称で呼ばれます。社会を去る理由として最も多いのは宗教的なものです。キリスト、ムハンマド、ブッダもこれに含まれます。ナイトは、自分には信仰心はなかったと言っています。聖書は子供の頃に読んでいますが、その後もう一度読みたいとは思わなかったそうです。
「抗議者」とは、世界のありように対して怒りを感じている人々であり、彼らについては古代中国から現在に至るまで、さまざまな記録があります。彼らは社会を去ることによって、戦争、消費者主義、貧困などに抗議の意を示します。ナイトは世界に対して何らかの意見を持っていたわけではなく、彼の失踪はそうしたこととは無関係でした。
「追求者」は現代に最も多いタイプの隠者で、芸術的、科学的、個人的理由から社会を去る人たちのことです。このタイプにはたとえば、自らの内なる世界を旅するために森へ入った作家のヘンリー・デビッド・ソローがいます。アインシュタイン、ミケランジェロ、アイザック・ニュートンも隠者を自称し、芸術的、知的世界における飛躍的な進歩を社会に持ち帰りました。(参考記事:「アイザック・ニュートン、業績と人物」)
ナイトは、この追求者タイプにも当てはまりません。彼は文章を書くことも、写真を撮ることもしませんでした。泥棒ではありましたが、彼の孤立状態は、人類史上の誰が経験したものよりも揺るぎなく、完全なものでした。ナイトはソローのことを「道楽者」だと評しています。ソローがウォールデン湖畔の丸太小屋で暮らしたのはわずか2年であり、しかも洗濯は母親がやっていました。ナイトに言わせれば、ソローはわざわざ外界へ出ていって本を書き、「どうだ、俺はすごいだろう」と自慢した、ただの目立ちたがり屋でした。
隠者文学の作者は、3種類のうち、「追及者」である。「講義者」の面もないわけではないが、ソローが第3のタイプに入っているように、やはりその傾向が強い。
この記事に登場する「ナイト」はクリストファー・ナイト(Christopher Knight)のことである。彼は、1986年、20歳の時に、米メイン州の森に入り、その中で27年間も誰とも交わらない孤独なテント暮らしを続けた人物だ。はっきりした理由は不明である。彼は近くの別荘地から衣服や食料、書籍などの盗難を1000県ほど繰り返し、警察に逮捕されてその存在が発見されている。器物損壊や暴力行為は働いていない。マイケル・フィンケルは、この事件を取材、それを”The Stranger in the Woods: The Extraordinary Story of the Last True Hermit(森の中の不審者:最後の真の隠者に関する驚くべき物語)”(2017)にまとめている。
確かに、そのサバイバル技術には興味をそそられる。しかし、ナイトは、言わば、人間嫌いで、他者と接触しないことが手段ではなく、目的である。いずれのタイプに合致しないのも当然である。いわゆるゴミ屋敷の住人とさほど変わるところがない。ナイトは隠者の考察に参考となる対象ではない。
ナイトは自身の生活のために他社の所有物を盗んでいる。これは彼自身の価値観に即していたとしても、近代の理念に反している。近代人は自由で平等、自立した個人である。近代人同士は互いに尊厳ある主体として扱わなければならない。近代における犯罪は自分の効用や目的のために他社を道具や手段という客体として利用する行為と捉えることができる。窃盗はこの一つである。
隠者は自立の観点から近代における理念の真の実践である。これに反しているなら、その人物を隠者と呼ぶことはできない。
ちなみに、前近代は個人主義ではなく、共同体主義なので、犯罪の捉え方も異なる。共同体が個人に先行しているため、規範を守ることが義務であり、権利はその対価として構成員に許される。犯罪は共同体規範に反する行為であり、それを行った者は権利はく奪、刑罰が科せられる。
笑蝉荘にいると、ライトバンが近づいてきて、人がいるとわかった瞬間、慌てて逃げだす光景を時々見かける。彼らは、留守の時に、荘の前にクルマを置き、雑木林から何かを採取しているのだろう。もちろん、別荘地の関係者ではないのだから、その権利はない。別荘所有者は、確かに、雑木林の傍や道路でキノコや山菜、栗を見つけると、手に取ることがある。しかし、それは入会地的な共通認識に基づいた行為だ。前近代であっても、近代であっても、ライトバンの侵入者のやろうとしたことは許されない。
マイケル・フィンケルは「隠者」を広く捉えている。自給自足生活の有無や程度を考慮していない。人間関係を極力避け、隠れて暮らしているという条件であれば、ピアニストのグレン・グールドや数学者のグレゴリー・ヤコヴレヴィチ・ペレルマンも隠者に含まれるだろう。今日はインターネットが世界的に普及しているので、表立って他社と交流せず、作品をオンライン公開することは可能だ。しかし、そうした活動は隠者と言うよりも、匿名の表現者と社会的に認知されるに違いない。人づき合いを避け、知的活動を行い、それを発表することが隠者の生き方とは限らない。隠者は倫理的理想を追求し、その思想や実践が人々に影響を及ぼす。ピアノの演奏や数学の証明ではない。
フリードリヒ・ニーチェは、神の死を迎えた近代にとっての一つの倫理を隠者ツァラトゥストラに語らせる。近代は共同体の道徳規範に従う必要はない。価値観の選択が個人に委ねられている。そのため、個人が価値観を創造することも可能だ。いかなるものがあり得るのかは隠者が知っている。理想の倫理の追求を実践しているからだ。ツァラトゥストラは、30歳の時、山に入り隠遁生活を始める。孤独を愛していたが、10年後、彼は倫理を語るために、人々の元へ向かう。
Als Zarathustra dreissig Jahr alt war, verliess er seine Heimat und den See seiner Heimat und ging in das Gebirge. Hier genoss er seines Geistes und seiner Einsamkeit und wurde dessen zehn Jahr nicht müde. Endlich aber verwandelte sich sein Herz, - und eines Morgens stand er mit der Morgenröthe auf, trat vor die Sonne hin und sprach zu ihr also:
"Du grosses Gestirn! Was wäre dein Glück, wenn du nicht Die hättest, welchen du leuchtest!
Zehn Jahre kamst du hier herauf zu meiner Höhle: du würdest deines Lichtes und dieses Weges satt geworden sein, ohne mich, meinen Adler und meine Schlange.
Aber wir warteten deiner an jedem Morgen, nahmen dir deinen Überfluss ab und segneten dich dafür.
Siehe! Ich bin meiner Weisheit überdrüssig, wie die Biene, die des Honigs zu viel gesammelt hat, ich bedarf der Hände, die sich ausstrecken.
Ich möchte verschenken und austheilen, bis die Weisen unter den
Menschen wieder einmal ihrer Thorheit und die Armen einmal ihres
Reichthums froh geworden sind.
Dazu muss ich in die Tiefe steigen: wie du des Abends thust, wenn du hinter das Meer gehst und noch der Unterwelt Licht bringst, du überreiches Gestirn!
Ich muss, gleich dir, untergehen, wie die Menschen es nennen, zu denen ich hinab will.
So segne mich denn, du ruhiges Auge, das ohne Neid auch ein allzugrosses Glück sehen kann!
Segne den Becher, welcher überfliessen will, dass das Wasser golden aus ihm fliesse und überallhin den Abglanz deiner Wonne trage!
Siehe! Dieser Becher will wieder leer werden, und Zarathustra will wieder Mensch werden."
- Also begann Zarathustra's Untergang.
最近は聞かなくなったけれども、戦後の首相にはパートタイム隠者も何人かいる。その代表が中曽根康弘である。彼は、1962年、東京の奥多摩にある日の出村(現東京都西多摩郡日の出町)の山荘を別荘として購入、週末ここで過ごすようになる。政治を始めとする煩わしい人間関係から離れて、自分を見つめ直すためだ。この間の中曽根はパートタイム隠者である。1983年、中曽根首相は来日したロナルド・レーガン米大統領夫妻をここに招いている。首相は、隠者を意識するかのように、ちゃんちゃんこを着て囲炉裏の脇でお茶を立てて、夫妻に出している。2006年に中曽根元首相より日の出町に寄贈、翌年から「日の出山荘 中曽根康弘・ロナルド・レーガン日米首脳会談記念館」として一般公開されている。
パートタイム隠者は中世からすでに登場している。富裕層が鴨長明を気取って庭に方丈の庵を立て、そこで一時過ごすことが流行する。『方丈記』を読むだけでなく、その実践を真似ることは理想の倫理的生活を味わうことにつながる。たとえ短期間であっても、隠れて暮らすことは倫理的生活が幸福を与えてくれると教えてくれる。近現代であっても、倫理を考えるために、社会は隠者を必要とする。隠者はこれからも現われる。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?