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ライフ・ワーク・バランスは実現されるのか(2)~同性同士の分断~

「分断」という言葉が最近よく聞かれます。
ジェンダー間で使われることが多いですが、コロナ下で顕著になった「教育格差」「収入格差」諸々もそれぞれの分断を表している言葉ですね。
ここではジェンダーにまつわる「分断」について書きたいと思います。

私は高校が男子が2倍、大学のクラスに至っては8倍、仕事場のチームに至っては9倍、という環境に身を置いていたので、どちらかというと「子供をもつことによってはじめて女性側に入った」女性だと自分で感じていました。男性の中に入るよりも、女性の中に入るほうが緊張が今でも走ります。
ただ、その分、女性への憧れは強く、ママになった途端に、「女性ってこんなに弱い立場におかれて、かわいそうだったのか」と思ったのを覚えています。「優しくしてあげないといけない。というか優しくしたい。がんばってる」と思い、どこまで優しくすればよいのか分からなく、甘く見られて嫌な目にあったこともあります。

そんなことはおいておいて、ここで言いたいのは、

『実は巷で言われる男女間の働き方、育児へのかかわり方等々でささやかれるジェンダーギャップにおける「分断」というのは、同性同士の方が根深いのではないか』

ということです。

自分と同じような環境で育った女性は、男性よりも社会でのポジションが高い場合がままあります。この昨今の「DIVERSITY」絡みの人事よりも前から、とにかく、自分でそのポジションを築き上げてきた彼女達。昼夜寝る間もなく、ある時は持ち上げられ、ある時は必要以上に下げられ、とにかく戦ってきたのでしょう。気付くと結婚したくなかったわけではないのに、機を逃してしまった。それは各自の選択ですし、私は決して結婚が良いとも思いませんし、フラットにみています。それぞれの生き方です。

ただ、そういう状況の女性達は、今度は、子供を産み育てる女性達への目線が厳しいときがある(もちろん全員じゃありません)。特に、専業主婦で子供を育てることに専念している状態への女性へ。もしくは、フルタイムで仕事をしていればまだ許せるようですが、「ワイフ・ワーク・バランス」を取っている女性への目線は悲しく感じるときがあります。「怠けている」「認めない」という視線です。もちろん、全ての女性ではありません。

同世代の男性だと、家族を築き子供をもつことにより、もう少し理解があるときがある、と同期の友人達を集まって話すとよく感じます。彼らもだいぶ丸くなったのね、と。話が合うのです。「お母さんは大変だよな」と言ってくれることも多々ある。

これは、やはり、前述した通り、「生活を運営していく」というミクロレベルでの活動、「子供を育てる大変さ」を知っているか知らないかということによるのが発端だと思うのです。
とても優秀な女性達なので知れば理解できないというわけではない。想像すれば分かるということもありますが、「子供を育てる」というレベルの話、気の遠くなるようなミクロレベルな出来事を淡々と積み上げるは、想像は難しいはずです。これは私がそうだったのでよく分かります。「子供を育てたことがない人はだめだ」ということを言ってるのではありません。どうぞ誤解しないでください。兄弟姉妹にお子さんがいたり、親戚などの大家族に囲まれてたりすると、これはまた理解度も違ってきます。私の大学時代の親友は独身ですが、正にそのように育ってきた彼女なので、私の状況にもとても理解を示してくれて優しいです。趣味で出会った友人も独身ですが、優しさと理解があり、フラットにお互いの立場を尊重しながら一生の縁を結べるような感じです。

話は戻りますが、例えば、子供がまだ赤ちゃんの頃。シャワーさえ落ち着いて浴びる時間もないこと。15分だけでも一人でコーヒーを飲む時間がないこと。ウンチの色が違うだけですごく心配すること。いつになったら、出来立ての温かいご飯を食べられるようになるのだろう、と途方に暮れたことがあります。そんな些末な生活のことは、やはり想像も出来ないし、しないはずです。
社会のもっと大きな問題に目を向けている間は、そんなことは考えないし、脳の働き方が違うように思います。証券会社でフロントオフィスで優秀な人がバックオフィスで優秀とは限らない(VICE VERSA)と同じです。どちらが優れている、とかではないのです。これも、私が実体験で感じたことです。

三浦瑠璃さんもYoutubeで述べてらっしゃいましたが、「男性・女性間で(ジェンダーに関する)保守・リベラルの考え方が実は差がないのが大問題」と言っていました。
これは多分、前述のような「色々なことを犠牲にしながら頑張ってこざるをえなかった」女性達の間では、実は男性よりもより保守的な考え方が強いことも表しているかもしれません。そいういった女性が会社の実はトップだったり、世論を引っ張る立場にいると、本当のリベラルな働き方への政策実現等は遠いかもしれません。

先日、日経の夕刊で載っていた「あのこは貴族」の映画監督岨手由貴子さんのコメントにもありました。(ちなみに、この「あのこは貴族」は数年前に読んだのですが、とても面白かったです。ここでも女性同士の分断が取り上げられ、でも、最後は理解を示しあう。読後感の良い本でした。そして、内容は、本当にリアルです)

そう、女性が対立する場合じゃないのです。

考えが違っても、相手を考え方を尊重する。尊重したうえで、自分はこう思うと述べる。自分を大切にする。

イクメン育成も必要ですが、平等というのであれば、是非子供が嫌いな女性、もしくは子供をもつ機会がなかった女性も同じように子供と接するような機会があればいいと思います(甥っ子姪っ子でも育休を取れる制度を企業や国がつくるなど)。ペットは全く別だと私は思っています。どんなにかわいいペットでも、彼もしくは彼女が20年後、30年後に社会で独り立ち出来るか、他者とどのように関わって生きていくか、というところまでは考えないはずです。忍耐と我慢の連続、そして、自分の限界にチャレンジの日々。もちろん、かわいいのですよ! でも、実際私は子供が好きだと思っていたけれども、子育てをしているうちに、あまりの大変さに、「もしかしたら苦手だったのかも」と反対に思いましたし、「子供を育てながら自己確立をする」ということへの思索は深くなったように思います。

思索したままで動けなくなる自分がもどかしくもありますが。

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