【寛解後の働き方①】障害年金の受給をやめた話。
躁鬱を寛解しましたが、「自分ひとりで生きていく分だけのお金を稼ぐ」というところに自分を持っていくのが非常に難しく、できていません。
精神病を寛解してからの生活ってどんなものなのか、知らない人、想像できない人が殆どだと思います。
私は躁鬱寛解して、やっと人並みに仕事してお金稼いで生きていけると思っていました。
まだしたことがないまつ毛エクステをしたり、週末はちょっといいごはんを外食したり、できるのだろうと思ってました。
現実は物凄く厳しく、全然できてません。
私は旦那さんの家で暮らしています。
ちなみに、旦那さん、と言ってますが結婚してません。お互い実質独身です。
私は障害年金を受給していました。
国民年金で、2級でした。
私は5年毎に障害年金の審査の書類を出していました。
2回目の審査の時、パートとして少し働き始めており、障害年金の受給をもうしないと決めていたので書類を何も提出せず、そのまま障害年金の受給が終わりました。
その後、年金事務局に別件で問い合わせすることがあった時に局員さんから「障害年金の書類を出されてないようですが…」と言われたのですが、もう受給しませんので書類は出しませんと答えると「え!?そうなんですか?いいんですか?」と物凄く驚かれました。
障害年金の受給をやめる、という人は物凄く稀なのかなと、その時思いました。
それは、障害年金受給資格があるような身体の状態から受給資格がない身体になるということは稀だ、ということでもあります。
私としては、「障害年金を受給せず自分で稼いだお金で生きていく」という、「健常者が当たり前にやってる生活」を目指していたので、受給しない選択は自然なことでした。
障害年金を受給するには、自分の障害が何級に該当するか認定されるのですが、初めの内は障害者手帳を発行してもらっていました。
障害者手帳を利用したのは、映画館のチケットや美術館のチケットの購入、あとはバスのチケット。
でも、これすらも早々とやめるべきだなと思っていたので、手帳の期限切れと共に手帳の発行はやめて、映画館や美術館は一般料金を払ってチケットを買っていました。
そもそも、私が障害年金を受給できたのは、私が無職の間も働いてる人がいたおかげであるということを忘れてはいけないと思っていました。
私が自立支援医療を使って躁鬱の診察代とお薬代が助かっていたのも、その人達のおかげでした。
障害年金の受給は、日本国民の権利ですし、悪いことだと言ってるのではありません。
ですが、私が障害年金を受給できたのは働いてる人たちが税金を納めていたから、ということが「事実」です。
権利と事実は区別して、どちらのことも頭の中に置いておくべきだと思っています。
障害年金を受給できて、本当に助かりました。
本当に、本当にありがとう。
そして現在、私は障害年金を受給することをやめて、フルタイムではないパートで働いています。
今回のお話は以上です。
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内容を読んでいただくとおわかりの通り、6月から仕事を休んで実家で暮らしています。
躁鬱は再発してませんが、体調不良なのです。
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ではまた!