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当たり前になると忘れてしまう感情
いつも記事をご覧いただきありがとうございます。
本日は、私が最近感じた事を共有させて下さい。
私には日々大切にしている言葉があります。
それはありがとうです。
伝えた人、受け取った人。
どちらも嬉しくなる魔法の言葉。
ですが、当たり前になるとその感情が湧いてこない事に気づきました。
なぜ当たり前と感じてしまう事があるのか気になったので、
自分自身や周りを観察し深掘りしてみようと思います。
①余裕がない時
余裕がないと相手が自分に対して時間を掛けて行動してくれている事に気づきません。
自分の事で精一杯、ベクトルが内側に向いてしまうと起こってしまっていたように思います。
②基準の違い
例え相手の行動が私の事を考えて行ってくれている事だとしても、
その行動が自分にとっての当たり前だと気づきません。
心の中でありがとうとは思っている程度にしか相手に表現出来ていなかったように思います。
その結果、相手がどう感じてしまったかに目を向けてみます。
ありがとうが欲しい訳ではないが、
当たり前だと思われている事に違和感を覚えます。
そして違和感が蓄積していくと、
怒りの感情となって自分自身に返ってきます。
この悪循環に陥ってしまうのは本末転倒ですよね。
ちなみに人が他人の力を借りずに生きられている割合はどのくらいかご存知でしょうか?
答えは1%です。
インフラを想像して見て下さい。
道路、インターネット、電力。
これはごくわずかな例えですが、
安全に使える事。生活できる事。
そもそも誰かに支えられた上で成り立っているのが社会です。
私達は1人で生きていない事を自覚し、
忘れない必要性があると経験を通して感じました。
いずれお話ししたい事でもあるのですが、
最近悪い事が起こっても、自分や周りが守られていると思う出来事にもよく遭遇します。
当たり前の事にこそ感謝を持てるように、
自分自身日々精進しないとですね。
人って忘れやすいので。
少しでもご参考になれば幸いです。
それでは!