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生きることを覚悟をしたら毎日が輝き出した話 〜モネに諭されて〜

先日、上野の国立西洋美術館でやっているモネ展に行ってきました。

最近、美術を楽しむ頭の余裕がなかったので、美術館に行くこと自体、久しぶりでした。

美術に詳しいわけでもなければ、美的センスがすごいあるわけじゃないけど、作者がどんな思いで描いたのかを想像しながら鑑賞している時間が、頭の中で作者と会話をしているようで楽しく、心地が良い。

そんな会話をしていく中で、一つの作品から目が離せなくなったのです。

それが、

「バラの小道」

という作品。

今日はこの作品との会話から私が生きることへの希望を見出すまでのお話です。



◇モネ「バラの小道」◇

この作品が描かれた年代はモネが白内障の症状に悩み、手術をしたりしながらも作品を作成していた晩年の作品群に入っています。

この作品の色使いはとても鮮やかで、今回のモネ展で展示されていた他のどの作品よりも、私は力強さを感じました。

そして、この作品を見ていると、なんだか「生きる意志」みたいなものを感じたのです。

(※実際のところは分かりませんし、ここからは私の感想でしかないので悪しからず…。)

生きる意志というと重いような気もしますし、一枚の絵だけでなぜそのように感じるのかとも不思議な気もしましたが、

もしかしたら、描くことで生きていることを実感していたのかもしれない。

白内障という病と闘いながらも、まだ画家として描いていたいともがき、
さらに自分を奮い立たせている・・・
そんな感覚を感じました。

そして、その近くにあった説明書きには第一次世界大戦に関して、モネが残した以下の言葉が書かれていたのです。

「大勢の人々が苦しみ、命を落としているなかで、形や色の些細なことを考えるのは恥ずべきかもしれない。しかし、私にとってそうすることがこの悲しみから逃れる唯一の方法なのだ」

TOKYO ART BEAT 《「モネ 睡蓮のとき」(国立西洋美術館)レポート。
日本初公開作を含む代表作でモネ晩年の制作の核心に迫る》より

同じ国の中での戦いに思いを馳せ、命を落とす人がいることをより強く感じたからこそ、
知人や同郷の人の死と隣り合わせでいるからこそ、
生きるということへの意志と覚悟を強めたのかもしれないと…。

この言葉を読んだことで、さらにそう感じました。


◇モネに諭された気がする◇

最近、私の中で混沌とした世の中に対する漠然とした不安があったり、
自分自身の人生にも今後どうしていこうかと不安と迷いのような感覚もありました。

さらに、今年30歳になる年齢ですが、死が他人事ではないと感じる出来事があったりと、
生きるということについてどう捉えていいか、今後どうしていこうか、
将来への不安と重なり、色々考えてしまう期間が続いていました。

将来の夢のようなものも今はなければ、何をしたいといった強い欲望もない。

そんなふわふわとした感情の中で見たからこそ、「バラの小道」に強烈に惹きつけられたように感じます。

力強ささえ感じる鮮やかな色彩の放つ「バラの小道」はまるで私に

「生きる覚悟をしろ」

と訴えかけてくるようでした。

考えれば、私の意思に関係なく働き続ける細胞や臓器たちは文句も言わずに、毎日せっせと働いてくれるのです。

それに感謝するどころか、蔑ろにしてさえいるかもしれない。

当たり前のことだけど、これって文字に起こすとなんだか陳腐でそんなことかってなるんです。

だけど、一度でも「昨日と同じ生活ができないかも」と、病気や死を意識せざるを得ない経験をすると、このことが腑に落ちる瞬間がくる。

ハリーポッターにもそのことを表現しているらしき動物いましたよね。
セストラルという名前らしいです。

このことを理解した時、目の前の光景がいかに奇跡で輝かしいものなのかを感じられるようになりました。

それは、今までは感謝してないとかそういうのではなく、よりクリアにより鮮やかに見えるようになるという方が表現としては近い気がします。

そうした日々を意志と覚悟を持って生きようと思った時、平凡な毎日がようやく輝き出したような気がします。

目の前の出来事全てが愛おしい

そう感じたのです。


◇日本人は愉快な人種だった◇

でもこれ、本当は昔の日本人が大切にしていた感覚なんですよね。

ジャポニズムはヨーロッパにおける日本ブームの大きな波でした。

私は大学生の頃、このヨーロッパにおける日本人気の不思議を卒業論文のテーマに選び、サブカルチャーの観点から分析してみたこともあります。

最近、NHKの大河ドラマで「べらぼう」が始まり、江戸文化がフォーカスされる中で、ジャポニズムという時代の流れも改めて注目されています。

そんなジャポニズムは、言わずもがなモネなど印象派の画家たちも強く影響を受けました。

当時の日本で描かれていた浮世絵。

その題材のほとんどは日常の風景で、その題材選びにヨーロッパの画家たちは衝撃を受けたと言います。

モネ展に行った数日後、今度は天王洲アイルでやっている「動き出す浮世絵展」にも行ってきました。(なんだか芸術月間だなあ…。)

そこでは浮世絵の中に入り込んだようなイマーシブ体験ができる他、浮世絵の作者の目線になれるような仕掛けがあったりと、体験型ミュージアムなのが魅力。

インスタでも様子をあげているのでぜひ見てみてくださいください。
デートにもおすすめです。



さて、そんなモネたちが衝撃を受けたという浮世絵。

そもそも浮世絵とは、当時の人たちが世の中の混乱と不安の中でも「浮き浮き」と浮かれて過ごそうという思想が反映されてこの字になったようです。

三幸製菓HPより

見てみると、確かにどの作品も面白おかしく、愉快に描かれています。

たとえ、乱闘シーンであってもなんだか面白おかしく描いてないか?と思うほど、深刻な感じはしないのです。

あくまで、目の前の出来事を愉快にそして、前向きに捉えている感覚がありました。

まさしく、

目の前の出来事全てが愛おしい

という感情が伝わってくるようでした。

ペリーをはじめ、昔、初めて日本に来た外国人が日本人のことを「とても愉快な人種だ」と評価したというじゃないですか。

今の日本人からは正直、想像もつきません。

ですが、もしかしたら本当にそうなのかもしれないと浮世絵を見ていて感じました。

さらに、今回は話が逸れてしまうので書きませんが、ネットを中心に話題のSHOGENさんの著書「今日、誰のために生きる?」を読んでいても似たようなことを感じます。

それほどに本来の日本人は、日々を感謝と愛で生きていた人種なのかもしれません。


◇最後に◇

モネは日常の何気ない光景を題材に絵を描くということ自体にも、もちろん衝撃を受けたのでしょうが、
何より、目の前のことをこんなにも愛おしく愉快に描けるという感性そのものに衝撃を受けたのではないか?と浮世絵を見ていて感じました。

モネの作品で有名なものといえば、やはり睡蓮です。

今までの私は、なぜこんなにも同じ題材でこんなにたくさん描くのか、なぜここを切り取って描くのか、理解できないことも正直ありました。

実験的に描いてたとは言うものの、その実験とは…。

芸術に疎い私には理解が難しいものもありました。

ですが、今回浮世絵を見たことで少し理解できたような気がしました。

人生は美しい

目の前の出来事全てが愛おしい

そんな日本人から伝えられた感性がモネを通じて、再度日本人に訴えかけているような気がしたのです。

睡蓮だけじゃない。

池の端にそっと咲く花も、睡蓮の咲いていないジヴェルニーの庭も…
モネにとって愛しい景色であったのと同様、
私たちにも、あるはずです。

ずっと見ていたい、愛しの景色が。

忙しい日々で忘れかけている日本人の本来の感性、一緒に取り戻しませんか?






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