宇宙通販 次元上昇 無条件の愛 創造者として現実を創る 悟りの頂涅槃
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一番最初の質問
ありがとうございます!!
ちあきさん栃木県のかた
かわいいのに、しっかりした声に癒やされてます。
とあるんですがこれAIで作った音声なんで
AIの声なんです(笑)
地声違うんでびっくりされないといいですが、、、(笑)
一番最初の動画実は地声ですが
私のスキルが成長しているのが見比べてもらうとわかると思います
\(^o^)/
質問
1年前から買い替えのため、新車が欲しいと新月満月のたびに紙に書き出してますが、逆にあちこち必要不可欠な出費が重なり、ついには家の修復作業費が必要です。願い方間違ってますか。
回答
これはシンプルに新車が欲しいと思う気持ちより
日々の生活の中で「お金がない」「お金が足りない」に意識がずっと
行っていませんか?お金がないのに車ほしいどうしよう、、、
という思考はありませんか?
もしくは車の金額のローンが不安などないですか??
なんにせよシンプルにお金を使うときに
またお金が無くなる、今月もお金がない
と思う時間が1日の中でどのくらいありますか?
欲しい車が手に入って嬉しい、満たされている
ことをイメージしている時間はありますか?
ないのではないですか?
基本あなたの現実はあなたが普段無意識に思考していることが
物質化しているので
出費が重なるということはお金がないと考える時間が大半である
と考えられます
ですのでやることは
・お金を使うときに今日も使うお金があるおかげで手に入るものがある
ありがとう
と手に入るものに意識を合わせる練習からしてください
そして
・欲しい車が手に入ったらどんなに素晴らしいのか?
を自分で自分に説明してあげてください
感情も動けばグッドです。
やってみてくださいね!!
質問したい方、ラインに不定期に
匿名質問フォーム流すのでどうぞ~~
今日も津留晃一さんの話から引用で
無条件の愛 についてです、どうぞ~~
~~ここから引用です~~
愛に終わりがあるとは一体どういうことでしょうか?
愛は永遠であるはずなのに、
「無条件の愛」を感得するための、
必ず通らねばならない関門でしょう。
恋人の出現によって感じる愛とは、条件付きの愛だということです。
その愛は恋人がいなくなったら消えるわけですから・・・。
他人に出逢い、
愛することにより自分の内面にあった深い愛に初めてふれ、
自分の大いなる愛に気付きます。
人を愛するたびに感じる自分の奥深くに眠る大いなる豊かな愛情を、
やがては誰がいなくても感じる事が出来るようになってきます。
条件付きの愛とはまさに三次元の愛です。
この二極の世界では必ずその反対もあります。
何かを貰って好きになった人は貰えなくなったとき嫌いになります。
上がったり下がったり、
揺れ動く二極世界では必ずやがて反対の極を迎え、
好きになったり嫌いになったりあなたの感情も揺れ動きます。
誰がいなくとも、あなたはもともと愛そのものです。
「無条件の愛」とは、
もともとあなたそのものであり、
そのことに恋人は必要ありません。
愛そのもののあなたが、
愛を感じるのに他人は必要ないのです。
そのことを思い出させるために、
そのことに気付くために他人が存在しているだけです。
他人とは内なる巨大な愛を取り戻すきっかけでしかありません。
このことを思い出すのが人生ゲームです。
他人がいて愛に気付きます。
元々内側にあった愛に、
他人を反映して気付きます。
冷めてきた愛の昂揚感を再び体験したいと、
今度は別の人に新たなときめきを求めます。
この人こそ絶対であると思った人との愛も
やがては必ず冷めてきます。
愛はあなたの外側にあるわけではないのですから。
あなたが感じる愛の悦びは、
他人が外から運び込むものではなく、
あなたの選択によって、
あなた自らがその内側から引き出しているのだと
気付くまであなたのゲームは続くわけです。
もともと愛そのものであるあなたは、
これからも無条件の愛そのものでないときはありません。
ただ忘れているだけです。
あなたは今そのままで完全です。
倦怠期を、進化のための一つの通過点であると理解していると、
そんな時期でさえワクワク感を持って受けとめることができ、
次に起こる現象がただ待ちどおしくなってきます。
初めは会っているときだけ嬉しく、
離れているときはもう心が寂しく疼きます。
しかしやがてピークを過ぎてくると、
彼女がそばにいなければ喜べなかった心が、
彼女がどこにいても嬉しいといった広い心へと変わってきます。
喜ぶために必要であった条件が消えてくるわけです。
すなわち条件のない愛へと進化するわけです。
なのに人は、
それを愛が減ってきたと解釈します。
彼はこの頃冷たくなった、
他に好きな人が出来たかも知れないと妄想が始まります。
こうして人は自ら与えた意味付けにより、
自らを混乱へとおとしいれていきます。
そしてなかなかこのパラドックスに気付けません。
そんな反応がいつしか深く意識下に沈み込み、
もはや無意識で無条件に反応しており、
そこに自分の意味付けの選択があったことさえ忘れ去っています。
毎日電話をくれていた彼の電話が三日に一度になったとしても、
そのことに意味を与えず、
ただ気付いていればいいのです。
人間の本質は観察する者であり、
行為する者ではないのですから・・・。
昨日も、一昨日もかかってきた電話より、
突然の電話の方が喜びは大きいはずです。
ただ単に起きてくることに気付いているようにすれば、
深い悦びは感情のピークのところにだけあるわけではなく、
どこの位置も悦びであったことに気付きます。
そして状況(外界)からの操り人形であった心が、
やがて創造者として現実を創る位置へとシフトするのです。
そんなあなたはもはや自由自在です。
ピーク(山や谷)ではなく、
ニュートラルなところが悟りの頂きです。
これに気付いた人はもはや心が上がったり下がったりせず、
いつも同じ心の位置でいられるようになります。
そこが涅槃の位置です。
人は母親の無条件の愛から生まれます。
母親は生まれでる我が子に、
条件は付けません。
そして生まれた我が子を無条件に受け入れます。
しかし、やがて制限された母親の意識が、
肉体に限定された知恵を授けます。
無である子供は無条件にその制限された智恵を受け取り、
子供の限定意識ができあがります。
肉体人間の完成です。
そしてあなたのエゴが、
無条件の愛に目覚めるゲームが開始されました。
「無条件の愛」、
これほど心地よい響きはありません。
なのに人はどうして愛に条件を付けてしまうのでしょうか?
自分を制限された、
限定された存在として認識している人にとって、
この無条件の愛という言葉は、
ほど遠いものであるかも知れません。
あなたは無限です。
このことを信じることがチャレンジです。
たしかにやさしいことではありません。
しかし難しいからこそ、
この旅が価値に満ちたものとなるのではないでしょうか。
我々の求めるべきものは異性ではありません。
真に求めるべきものは我々の源であります。
それに気付くために異性があるようです。
内なる異性を統合し、
大いなる我を求める時、
無条件の愛を思い出します。
内なる無条件の愛に触れたとき、
人は無条件に今ある現実を受け入れるようになります。
今、このままが最もいいことが解ります。
聞くこと、見ること、感じることの全てが、
良きことのみであったことに気付きます。
そんなあなたにどんな問題もあろうはずがありません。
起きてくることを起きて来るままに楽しみます。
人や現実を操作しようという気持が起きなくなります。
委ねきります。逆説的のように聞こえますが、
この時あなたは進化の最短距離をたどり、昇り始めます。
~~引用ここまで~~
どうでしたか?
なぜこの話にしたかというと
以下の津留さんの一文です
どこの位置も悦びであったことに気付きます。
そして状況(外界)からの操り人形であった心が、
やがて創造者として現実を創る位置へとシフトするのです。
ピーク(山や谷)ではなく、
ニュートラルなところが悟りの頂きです。
これに気付いた人はもはや心が上がったり下がったりせず、
いつも同じ心の位置でいられるようになります。
そこが涅槃の位置です。
この話正観先生の
ただ淡々とした毎日こそ幸せの本質である
と通ずると思いました
淡々とした状態とは
ニュートラルです
上がったり下がったりせずとは
すべての出来事の中から
全てを見出すことができるようになるからです
これを表しているのが
どこの位置も悦びであったことに気付きます。
という一言に込められています
意味が分かりますか?
すべてが悦びであったと気づける自分になれたら
全ての場に全てが含まれていることがわかるので
悦び高揚することもなくなり
悲しみ落胆することもなくなるんです
なぜなら全ての場に全てが込められているのがわかるので
この言葉はとても深く
この意味が分かった人がそれを実践できれば
解脱、覚醒、次元上昇するんでしょう
愛とは自分の深くにあるものなのでそれに気づくために異性はいるだけです
誰かに愛されるから幸せではないのです
自分の奥深くにある愛に気づいて愛にあふれた状態を体現できれば
あなたは愛しかないのです
そして愛とは与えるもので求めるものではないのです
愛すること愛を与えることここに悦びを感じることができるからこそ
あなたは愛されるのです
ひとりでも多く気づくといいですね
ではでは~~!!
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