#131 読書録 中動態の世界を読み切りこんなにも理解できない世界の存在を知った話
こんばんは!けーたです。
今日は中動態の世界の完結編をお届けします。この本の読書録はあ少し前にですが、Vol.1(1,2章)、Vol.2(3-5章)として投稿しておりました。
#118 読書録 中動態の世界を読んで vol.1|慧大 / けーた (note.com)
#124 読書録 中動態の世界(第3-5章)で少しわかった世界観|慧大 / けーた (note.com)
当初はあまりの難しさに章ごとにnoteを投稿する事になりそう。と思っていましたが、期間はかかりましたが、今回めでたくVol.3(6-9章)で完結編となります。
今回深すぎる読書体験を提供してくれている中動態の世界はこちら
ここからは第6章から9章にかけてのまとめを残しておきます。
全体的(6-9章)な読後感
圧倒的な数の過去の偉大なる哲学者の引用とそれを用いた解釈をこれでもかと浴びせてもらえるので(これは過程の内側にいるので中動態で表現できるのか?)知見としては大きく広がった感がある。
一方で情報量が多すぎて(特に第9章)もう完全に消化不良というのと同時に誤読とは言えない範囲の意味を捉え間違えているのでは?とう不安に襲われているというのが正直な読後感です。
時間を掛ければ理解できる。という類のものではないのだな。と少なくとも今の自分には思えたので今回はこのような読み方で満足です。
哲学の深淵を日本語で覗いてみたいという方には価格も2200円とお手頃なので(内容の重厚さと本の装丁を考えると相当!)おススメできるかなと。
気になった表現達
少し理解できたかな?という概念
1、中動態だけが説明できる世界として、時代は変わるという表現が用いられていた。時代は変わるという表現は受動態に活用しているが、時代が変えられるとは訳さない。なるほど。
とはいえ、時代は変わると同時に変えられているし、変わる事が自らに鋭意今日も与えている。
自分としてはいろいろな方向にベクトルが向いている不思議なイメージを改めてこの言葉に持つことができました。
知る、気づく。って事はこれまで当たり前に目の前にあったことをさらに立体化し、面白みを与えてくれるということにまた、気づかせてくれました。
2、カツアゲとう事象を中動態によりたやすく表現できる
カツアゲはお金を払っているが、それは同意という概念の存在の解釈が立ちはだかってくる。
強制はないが、自発的でもなく自発できでもないが、同意している。強制か自発かとう対立軸で物事を考えると、つまるところ能動か受動かで考えてしまうとここがうまく表現できなくない。
この場合、中動態をつかうと表現がしやすいという事は具体的な事例があればそれを補助線に理解ができた。
3、小説をどう読むかも読者の立つ歴史によって決まるという事を意味する。この部分はわかった。ただし、
となるともー理解度が激下がりです。ただ、ここでもまだ理解ができることを良しとします。自分と他人の課題の分離?かなと。
全く理解できません。脳が拒否しましたという概念
意思が未来を主張することは、人間に過去の忘却を強いることであり、それによって思考は、そのもっとも重要な活動であるan-denkenすなわち回想を奪われてしまう。
とあり、アーレントがニーチェの引用をしており、それに一節を注釈して述べている。
という構造が来た時に自分の脳のキャパシティーを超えて、脳が拒否するという事は学べました。
知りたいことはこのような本をかみ砕きジブンの物にしている人たちの整理の仕方です。どう理解のステップを刻めばよいか皆目見当がつきません笑
ただ、この手の構造が来た時にギブアップ問う事がわかり前進です。
全体を通してのまとめ
内容についての前に、この本に向き合った体験を残しておきます。まず一度、二度、三度読み返してもよく理解できず、きっと読み進めていくうちにつながるだろ。と高をくくって進んで行っても余計にわからなくなるという体験を本当にたくさんたくさんする事ができました。
Miroに整理をしてみても登場人物が多く、そして一貫しているのでしょうが話の流れが結構あっちこっちに飛んでいくイメージでまったく全体感がつかめない。
哲学の世界に初めて踏み込んで、完膚なきまでにはじき返されたというのが素直な感想です。
能動と受動のするか、されるかではなく、能動と中動態では外にあるのか内にあるのか?の問題という事は理解ができ始めたと思います。
今回読書メンターの勧めで哲学のとってもわかりにくい深淵な世界の一端をのぞき込み、その存在に気づく事ができましたので、もう少し深くロジカルに理解を組み立てられる力を養ってからもう一度この本に帰ってきたいと思います。
だれかの参考になれば(ならないね)幸いです。
ではでは