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読書の習慣とノンフィクション

これまでに、読書の習慣についての記事を二つ書いている。

基本的に、小説やエッセイに関しての話ばかりだと思う。でも結構、ノンフィクションの作品も好きで読んでいる。考えてみたら小説とエッセイも半々くらいで楽しんでいた。エッセイもノンフィクションに近いものだろうし。というわけで、ノンフィクション関連について書いてみようと思う。

自分の中では、村上龍(むらかみ・りゅう、1952年~)の『すべての男は消耗品である。』シリーズと同じ流れに与する、落合信彦(おちあい・のぶひこ、1942年~)の『狼たちへの伝言』シリーズ。

この辺りから徐々にノンフィクション系にも興味を持つようになる。落合信彦の作品については、ノンフィクションというよりも小説という感じではあるけれど。

ちなみに、落合信彦の最近の分かりやすい説明としては、落合陽一(おちあい・よういち、1987年~)のお父さん。落合陽一の本も読んだことがあるけれど、ちょっと自分には難しかったな。お父さんである落合信彦の本は、半分以上は読んでいるとは思うけれど。

で、やはり、ノンフィクションといえば、沢木耕太郎(さわき・こうたろう、1947年~)かなと。『深夜特急』シリーズには、当然のようにドハマりした。貪るように読んだ記憶がある。世界を旅したいとも心から思った。

だからといって、未だに世界中を旅したことはないけれど。アメリカに一度行ったくらいである。その代わりではないけれど、国内旅行は結構な穴場とかにも足を運んでいるような気はする。

というわけで、沢木耕太郎にハマる。『深夜特急』シリーズ以外に『路上の視野』『象が空を』のシリーズも読み込む。

旅をはじめ、文学や映画、スポーツの話など、新しい世界への扉をどんどん開いていってくれる感じだった。恐らく沢木耕太郎の作品も、全体の7、8割くらいは読んでいると思う。

だいたいハマった時期に手に入る作品は片っ端から読んでいく。読み切って満足したら別の作家の本に入っていくというスタイルが続いている。今でも同じだが、最近はそこまで集中的に読み込む作家はいないかも。正確には適度に乱読しているような状態かな。作家よりも分野で読んでいたりするしな。

そういえば、一時期、少し沢木耕太郎の作品を読み返していて、驚いたことがある。あまりイメージがなかったけれど、沢木耕太郎は若い頃に時代小説・歴史小説が好きで、かなり読んでいたとか。その中で、柴田錬三郎(しばた・れんざぶろう、1917年~1978年)についても詳しく作家論を書いていたので驚いた。

時代小説・歴史小説に関心が高かった時、自分も面白くて柴田錬三郎の作品を集中的に読んでいたことがあった。もしかしたら、知らず識らず沢木耕太郎の影響を受けていて、手を伸ばしたのかも。それにしても、読んでも大半は忘れているもんだな。記憶力が弱いだけか。

沢木耕太郎は、『深夜特急』を発表する前、1979年に『テロルの決算』で第10回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞している。その年はもう一人の受賞者もいた。近藤紘一(こんどう・こういち、1940年~1986年)である。

近藤紘一は、新聞記者、ジャーナリスト、作家。海外特派員としても活躍し、ベトナム人の女性ブイ・チ・ナウと結婚。『サイゴンから来た妻と娘』で、沢木耕太郎と同様に1979年に第10回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。

1985年に、近藤紘一は胃癌のため45歳で亡くなってしまう。1987年に沢木耕太郎が編集を担当して解説も書いている『目撃者 近藤紘一』が刊行される。近藤紘一は、サンケイ新聞に勤めていた。その大先輩で交流もあった司馬遼太郎(しば・りょうたろう、1923年~1996年)が葬儀で読んだ弔辞で始まる作品である。

沢木耕太郎を経由して近藤紘一にもハマった。全部読んだ。筆力が素晴らしかった。もっと多くの作品を読みたかったが仕方がない。ただ再読すれば良いのである。『サイゴンから来た妻と娘』は、シンプルに面白く、またシリーズ的なものが続編として出ているので非常にオススメ。

もしくは東南アジアの歴史などに興味があるのであれば、『サイゴンのいちばん長い日』から読み進めるのも良いかも。

ノンフィクション系で他に耽読した作家は、猪瀬直樹(いのせ・なおき、1946年~)である。何から読み始めたのだろうか。恐らく『ペルソナ 三島由紀夫伝』『ピカレスク 太宰治伝』のどちらかだと思う。

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