荻原井泉水:鎌倉文学館
荻原井泉水(おぎわら・せいせんすい、1884年~1976年)…自由律俳句の俳人。本名は、荻原藤吉(おぎわら・とうきち)。尾崎放哉(おざき・ほうさい、1885年~1926年)と、種田山頭火(たねだ・さんとうか、1882年~1940年)の師。1928年から亡くなるまで鎌倉で過ごす。
画像は、神奈川県鎌倉市にある鎌倉文学館。鎌倉ゆかりの文学者たちを紹介する文学館。バラ園も有名。2023年~2027年まで大規模修繕のため休館中。
鎌倉文学館には、何度か足を運んでいる。鎌倉という場所が好きというのもあるし、鎌倉文学館の雰囲気も好きだから。小高い丘の上にあり、前庭が広がり、また由比ヶ浜の眺望も。
落ち着く風景である。既に3回くらいは訪問しているとは思う。始めて来たのは学生時代か。さまざまな文学者たちが愛した町、鎌倉。駅前にある小町通りを散策したり、鶴岡八幡宮や鎌倉の大仏、長谷観音をお参りしたり。海もあり山もあり。心が穏やかになる土地柄である。
鎌倉と言えば、中原中也(なかはら・ちゅうや、1907年~1937年)や、小林秀雄(こばやし・ひでお、1902年~1983年)である。二人とも、鎌倉に住んでいる。他にも、イレギュラーな形ではあるが、ゆかりがあるのは太宰治(だざい・おさむ、1909年~1948年)か。まぁ、シンプルに鎌倉文士という言葉もあるくらいなので、多くの文学者たちが居住したりしている。名前を挙げたら切りが無いくらいである。
そして、荻原井泉水である。
荻原井泉水が鎌倉に住んでいたのは、全く知らなかった。しかも二回目の結婚を機に鎌倉に移り住み、亡くなるまで過ごしていたとは。およそ50年近くも住んでいたということか。
そもそもの話、荻原井泉水はどの程度、一般に知られている人物なのかも不明であるが。自分が知ったのは、種田山頭火と尾崎放哉を経由してである。
まずは、種田山頭火についてハマる。少し間を置いて、尾崎放哉についてハマる。その二人が同じ師匠についていたことを知る。一体、何者なんだと興味を持ったのが、荻原井泉水を知る最初だった。
人ととなりを知ろうと思って、まずは『私の履歴書<第4集>』を読む。恐らく本人が口述したのを、担当編集者が筆記したものだろう。育ちや基本的な考え方などを知れてなかなか面白かった。
その後、荻原井泉水が書いた著作をいくつか読む。尾崎放哉や種田山頭火についても触れている。特に同じ大学で年齢も一つしか変わらない友人でもある尾崎放哉については熱い思いが迸る。その他に、松尾芭蕉(まつお・ばしょう、1644年~1694年)やその弟子たちについての記述も。
荻原井泉水、そして俳句について知ろうとするならば、やはり松尾芭蕉は避けては通れない。本当に文学というか、芸術というものは沼である。
荻原井泉水の著作については、かなりの作品が国立国会図書館デジタルコレクションで読めるのも大きな特徴である。多作でもあるから、読むのが大変でもあるけれど。
さらに色々と知りたいと思って本を探していた所見つけたのが『散華抄:妻でない妻』という評伝集。
文豪たちの夫婦関係を描いた作品。有名どころの作家たちの妻たちについての言及が多数。さらに、尾崎放哉、種田山頭火、荻原井泉水の夫婦関係も順番に記載されている。かなりオススメの作品で買って良かったものである。
これを読んで分かったのが、尾崎放哉や種田山頭火に劣らずに、荻原井泉水も深い業とういか、闇というか、俳句という芸術に対する情念があるということ。流石、尾崎放哉と種田山頭火の師である。
まだ読んでいないが『畸人常人』も面白そうな感じである。
ここから先は
Amazonギフトカード5,000円分が当たる
書籍代・資料代などの活動費に使わせてもらいます!