大内青巒著「六祖法宝壇経講義」を読む(第一 行由-06 伝法)
[壇経講義本文]
次の日、五祖ひそかに碓坊に尋ね行き、六祖が石を腰につけて米を搗くを見、「道を求むるの人、道のために形骸を顧みざる、まさに是の如くなるべき乎」と歎称せり、僧堂裡に坐禅するのみが求道にあらず、仏前に数珠つまぐりて念仏し誦経するのみが修行にあらず、石を腰にし米を舂き、箒を手にし掃除するも、また仏法修行の相ならざるなし、五祖乃ち問うていわく、「どーぢゃ米はつけたか、」六祖いわく「よくつけておりますが、まだ粉糠を取りませぬ」と、或いは是れ目前の小事を拉ぎ来たりて、行解の熟否を試みたるものと解釈し、米熟するや否やと問うは、本性は分かったかといえるなり、熟する久しなお篩を欠くとは、分かってはおりますが付法の儀式がまだ済みませぬといえるなりと、余り深き詮索を為すの要なからん、五祖杖をもって三たび碓を撃ちたるは、念仏者が南無阿弥陀仏三辺唱うると同じ、しかして知らず識らずの間に会心黙契する所あるなり、仏と迦葉とが拈華(原文は枯花)微笑も、その味わいは一轍のみ、他人は得て窺うべきにあらず、この撃碓三下をもって次の三皷入室を知らしむるなどいうは付会の説のみ、卜者の怪説と何ぞ択ばん、
六祖三更の三点(真夜中)に入室す、袈裟をもって遮円(周囲を覆って遮る)して見せしめずというは、他人の窺い知るべからざる様子を示したるものと見るべし、人をして見せしめざる秘事ありと思うべからず、この段五灯会元に対照するに曰く、
六祖は最初市に柴を売りて、客の金剛経を誦するを聞きて発心したりしことは、既に述べたるが如し、然るに今またここにおいて金剛経を聞き、応無所住而生其心に至りて、大悟すというは、甚だ解し難し、これ天桂のいわゆる頑土塊破木頭の偽言のみ、殊に何期の二字の如き、また頓教を伝うというが如き、字句の上より見るも甚だ穏やかならず、後人の附加にかかるは明らかなり、この段伝灯によるを可とす、曰く
有情来たりて種を下し、地に因りて果還た生ず。無情既に種無し、性無く亦生も無し。(漢文→書き下し文)の偈の意は、およそ心の自性なるものは、本来清浄にして不生不滅、種もなく、性もなく、因もなく、果もなし、然るに一たび無明の妄情を起こしてより、染浄因果の種子を下し、惑は業を生じ、業は苦を成すという如く、因となり果となり、迷悟を分かち、染浄を隔つるに至るなり、若し直に自性のありのままを了じ見よ、生滅の差別は即ち不生滅の平等にして、情と無情と生と不生と同一心性性相一如なり、何の処にか凡聖染浄の差別あらん、要する所は但凡情を盡せ別に聖解無し(漢文→書き下し文)、ただ差別の偏見をもって看取をつける凡夫の情執を払うに在り、この外に別に尊き悟りもなければ、むずかしき理屈もなし、然るに凡情の迷執を除きたる外に、尚ありがたき悟りありと思うは、所謂桎梏(手かせ足かせ)を脱すといえども、更に金鎖に繋がるるものにして、迷の玄関を通りぬけたれど、更に悟りの関所に滞るの過あり、この種の人、世間甚だ多きが如し、歎ずべきかな、
伝灯達磨の章に曰く『師(達磨)慧可を顧み祖に之を告げて曰く、昔如来正法眼を以って迦葉大士に付す、展転嘱累して我に至る、我今汝に付す、汝當に護持すべし、并びに汝に袈裟を授く以って法の信と爲す、各所表有り宜く知る可き矣。可曰く。請う師指陳。師曰く。内に法印を傳えて以って證心に契い。外に袈裟を付す以って宗旨を定む。後代澆薄にぞ疑慮競生ぞ云う。吾は西天之人なり。汝此の方之子なりと言うは、何憑いてか法を得ん、何を以ってか之を證さん。汝今此の衣法を受く。却後に難生せば但此衣并吾法偈を出ず。用以って表明せば其化無礙ならん。吾滅後二百年に至りて、衣は止めて傳え不れ。法は沙界に周らん。(漢文→書き下し文)』云々と、今五祖衣法を六祖に授くるに当たり、衣は達磨以来付法の信体とする伝家宝なる旨を告げ、かつ衣は争闘の端となるものなれば、汝に止めて伝えることなかれというもの、初祖の意を承くるものなるを知るべし、しかして法は心をもって心を伝え、皆自悟自解せしむといえるは、すでに自心をもって自心を伝うるもの、なんぞ他に従って得んや、仏に在りて増さず、衆生に在りて減ぜず、天真清浄、無始無終、修証を仮らず、直に自性を了ずる、これ自心をもって自心を伝うるもの、即ち自悟自解的の法なり、伝付というも其の実一法の伝授すべきなし、ただ師資証契、冥符即通するを強いて伝付と名くるのみ、しかも仏々祖々遞代相承(次から次へと相承)して衣法伝付の軌範あるものは、これ仏法正伝の旗印(原文は幟印)を表するのみ、もし錯りて表範に法ありと思い、表信的の衣を争い、法を競わば仏法の命脈懸糸のまさに絶えんとするに幾し(ほぼそうなるところ)、故に衣を伝うるを止めたるなり、(密本心を付すとあるは、秘密の義を解すれば大なる謬なり、間髪を容れざる親密という意なり)
六祖衣法を受け了りて其の向かう処を問う、蓋し法運未通の際なればなり、五祖曰く、懐に逢わば止まれ、会に遇わば蔵れよと、言うは懐集四会二縣の間に止蔵隠棲して、暫く興法の時機到るを待つべしとなり」、この段伝灯に対照すれば次の如し、
文義平易註釈の要なし、五祖弘忍大師は上元二年寿七十四にて寂す、