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  • 六祖法宝檀経講義まとめ

    六祖法宝檀経講義の記事をまとめています。

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大内青巒著「六祖法宝壇経講義」を読む(第一 行由-08 非風非幡、六祖であることを明かす)

[壇経講義本文] 儀鳳元年六祖広州の法性寺に至る、時に印宗法師なる人涅槃経を講ず、この時風ありて幡を吹きて動かす、一僧風動くといい、一僧幡動くといい争う、(此くの如きは今の小学児童も猶知る所なり)六祖曰く、仁者心動ずと、(是の味わいは大学の講師も知らず、)風独り動かず、幡自ら動かず、動くものは分別の妄塵なり、ただ三縁に由りて動静を見るなりと、大衆之を聞きて駭然として驚く、伝灯六祖の章に曰く、 印宗六祖が論ずる所を聞き、驚きて上座に延き、更に問い質すに、六祖の答うる所、言わ

    • 大内青巒著「六祖法宝壇経講義」を読む(第一 行由-07 慧明に説法する)

      [壇経講義本文] 五祖の門弟等、師の衣法を米搗きの慧能に付嘱せしことを暁り、迹を追いてその衣鉢を取りかえさんとせり、その中に慧明という一僧あり、衆に先だちて走り、まさに六祖に追いつかんとす、六祖これを見てすなわち衣鉢を一磐石の上に置き、この衣は信を表するの具のみ、取らんとせば取れと、去りて叢の中に隠れて竊に窺う、この段伝灯によるに曰く、 慧明磐上の袈裟を取らんとするに動かず、すなわち喚んで曰く「我は法を求めんが為に来る、袈裟を得んが為にあらず」と是に於いて六祖出でて石の上

      • 大内青巒著「六祖法宝壇経講義」を読む(第一 行由-06 伝法)

        [壇経講義本文] 次の日、五祖ひそかに碓坊に尋ね行き、六祖が石を腰につけて米を搗くを見、「道を求むるの人、道のために形骸を顧みざる、まさに是の如くなるべき乎」と歎称せり、僧堂裡に坐禅するのみが求道にあらず、仏前に数珠つまぐりて念仏し誦経するのみが修行にあらず、石を腰にし米を舂き、箒を手にし掃除するも、また仏法修行の相ならざるなし、五祖乃ち問うていわく、「どーぢゃ米はつけたか、」六祖いわく「よくつけておりますが、まだ粉糠を取りませぬ」と、或いは是れ目前の小事を拉ぎ来たりて、行

        • 大内青巒著「六祖法宝壇経講義」を読む(第一 行由-05 慧能が偈を作る)

          [壇経講義本文] 六祖労に臼杵の間に服することここに八か月、ある日一童子の来たりて偈を誦するあり、童子にただして神秀上座の作る所なるを聞き、童子(本文上人とあるは童子を指す)をして偈を題せる南廊に導かしむ、時に別駕(刺史の副官の如きもの)張日用なるもの側にあり、六祖請うて之を読ましめ、聞きおわりて曰く「吾もまた一偈あり、別駕代わりて書せよ」別駕驚き軽蔑の語調をもって「汝もまた偈を作るか、これは珍事なり」と、六祖曰く「無上菩提を求めんと欲せば、初学を軽んずることなかれ、智は必

        • 大内青巒著「六祖法宝壇経講義」を読む(第一 行由-08 非風非幡、六祖であることを明かす)

        • 大内青巒著「六祖法宝壇経講義」を読む(第一 行由-07 慧明に説法する)

        • 大内青巒著「六祖法宝壇経講義」を読む(第一 行由-06 伝法)

        • 大内青巒著「六祖法宝壇経講義」を読む(第一 行由-05 慧能が偈を作る)

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        • 六祖法宝檀経講義まとめ
          10本

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          大内青巒著「六祖法宝壇経講義」を読む(第一 行由-04 神秀が偈を作る)

          [壇経講義本文] 天桂曰く「神秀思惟というより以下の数百言、特にこれ詭弁無実の語、当に撤脱に抹殺し去るべし、大師何をもってか秀師胸中に隠私する所の事を測度して、特に大梵講堂人天の衆前に訐揚せんや、しかもまた秀師初め忍大師の会に在り、誓心苦節、樵汲を以って自伇して、その道を求む、忍師これを黙識して、深く器重を加え、これに言いて曰く、吾人を度する多しかな、悟解に至りては汝に及ぶ者無しと、これをもって知るべし、門人偏に彼我の見をもって、妄に輸○(判読不能)を説く者なるを、蓋し書を

          大内青巒著「六祖法宝壇経講義」を読む(第一 行由-04 神秀が偈を作る)

          自性清浄と客塵煩悩

          自性清浄は、如来蔵思想とか、仏性ともいう。 心の自性は本来清浄で、煩悩は客塵、つまり外来のもので、ある時だけあるものにすぎないという。 なので、心を追求して悟ることが仏になることであり。 これが仏法の大目的であるという。 特に大乗仏教で強調して説かれ、密教や禅宗も仏性抜きには成り立たない。 もう少し具体的な例として、盤珪禅師の語録にもあるエピソードをあげる ↑国立国会図書館デジタルコレクションより https://dl.ndl.go.jp/pid/1185856/1/13

          自性清浄と客塵煩悩

          大内青巒著「六祖法宝壇経講義」を読む(第一 行由-03 八ヶ月間の作務)

          五祖その法器なるを知り、ともにゆっくり語らんと思いたれど、弟子等の左右にあるを見て、彼らが嫉妬の見を起こさんことを恐れ、去りて衆と共に作務(仕事)すべきことを命じたり、六祖可からずして曰く、「われは自心の本性に常に智慧を生じ、この智慧は別に自性を離れて働くにあらず、(心の本性は本然不生にして、〇鑑明徹(〇は判読不能、霊の異体字か?)なるが故に、視聴よく妙に通じ、寒暖慮らずして知る、直にこれ真如の性覚その者が自爾として常に知るなり)故に自性即ちこれ福田にして、われ今既に目的を達

          大内青巒著「六祖法宝壇経講義」を読む(第一 行由-03 八ヶ月間の作務)

          大内青巒著「六祖法宝壇経講義」を読む(第一 行由-02 五祖に参謁する慧能)

          [壇経講義本文] 六祖、黄梅の東禅寺に到り、五祖弘忍に参謁するや、 五祖いきなり尋ねて曰く「貴様は何処の者だ、何の用事があって来た」 六祖答えて曰く「私は嶺南新州の百姓、はるばる遠方より参りましたは、他の用にありませぬ、ただ仏に成りたいと存じます」 五祖曰く「嶺南人か、この獦獠めが、どうして仏になれようぞ」(獦獠とは田夫野人を賤しむる語にして野蛮人というがごとし(獦獠は「かつりょう」と読む、えびす:未開人の意)) 六祖曰く「人には南北あれども仏性には南北なし、賤しき私と和尚

          大内青巒著「六祖法宝壇経講義」を読む(第一 行由-02 五祖に参謁する慧能)

          大内青巒著「六祖法宝壇経講義」を読む(第一 行由-01 生い立ち、金剛経を聞いて悟る、五祖に会いに行く)

          行由 第一[大意] 「六祖法宝壇経」の書名の解説、いつどこで説かれたかなどの解説。 「菩提の自性本来清浄。但用此心直了成仏」が仏法の大目的であり、壇経の主旨でもあること。 経歴が説かれる。 金剛般若経の「応無所住而生其心」を聞いて悟り、五祖弘忍大師に会いに行く経緯が説かれる。 [壇経講義本文] この書は六祖大鑑慧能禅師の説法を門弟の集録したものである、法宝とは五祖弘忍の六祖に法宝及び所伝の袈裟を付すということに根拠するともいい、あるいは三宝中の法宝であるともいい、

          大内青巒著「六祖法宝壇経講義」を読む(第一 行由-01 生い立ち、金剛経を聞いて悟る、五祖に会いに行く)

          大内青巒著「六祖法宝壇経講義」を読む(序文)

          [本投稿の趣旨]六祖壇経は中国禅宗の第六祖慧能の説法集である。 素晴らしい内容だが、後世の改変が多いこともよく知られていて、読み解くには注意が必要だ。 本投稿は大内青巒師の「六祖法宝壇経講義」を手がかりとして読み解く。 大内青巒師は明治~大正時代の仏教学者で、修証義を編纂した中心人物である。 講義の中で後世の改変についての解説もされている。例えば、ある場面で神秀禅師の心中への言及があるが、「(慧能禅師が)神秀禅師の心中を知る由もないし公衆の面前で説くわけもない、これは後世の

          大内青巒著「六祖法宝壇経講義」を読む(序文)

          六祖壇経 参考資料 リンク

          六祖壇経 中川 孝 訳 世界の名著 18 禅語録 柳田 聖山 訳 https://www.amazon.co.jp/dp/4124006284/ 大内青巒著「六祖法宝壇経講義」 [参考資料] 『敦煌新本六祖壇経』試訳(一)(佐藤) -愛知学院大学 禅研究所- https://zenken.agu.ac.jp/research/23/13.pdf 『敦煌新本 六祖壇経』試訳 (二)(佐藤) -愛知学院大学 禅研究所-https://zenken.agu.ac.jp/r

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