リスパダールで廃人に
■実家にSOS
私はリスパダールを飲み始め自分で何も判断ができなくなり、実家に泣きながら電話をして母親に来てもらうことにした。
母に統合失調症と診断されたことを伝えたのだが母もこの病気についてあまり知らなかった。
私は卒業制作の展示準備のため原付に乗りなんとか大学に通っていた。
まだ人と話すことは可能で懇意にしてもらっていた教授とランチをしたり、学友と何気ない会話くらいはできていた。
また最後の最後で就職活動を再開し、就職課に通いどうにかならないか足掻いていた。
しかし、卒業間際の寂しい雰囲気や進路が決まっていない焦り、リスパダールの副作用などからだんだんと気力がなくなっていた。
私はいつも
どうしようか
と、いつも呟いていた。
■リスパダール下での生活
そんな状況だったが、私は近くに住む女の子からお茶でも飲もうと誘われていた。
なんとかロッテリアに行き軽く紅茶を飲みながら三時間ほど会話をしに行った
彼女はナプキンで鶴を作るのが得意で鶴をずっと作っていたのを覚えている。
その際、就職活動が大変だと言った話をしていたが、顔色や表情を心配されていた。
この時カミングアウトでもしていたらとたまに思う。
■M医師の診察
診察を受けに母親と行っていた。
やはり薬に対する副作用の説明もなく相変わらずリスパダールをだされていた。
リスパダールの量は粉なので効きすぎたら自分で調整してくれと言われていた。
しかし、分量がわからず病院の受付に電話で問い合わせると適当でいいですよと受付の中年女性に言われた。
さらに、次回電話相談料をお支払いくださいとも言われ、精神科は銭ゲバだと痛感していた。
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