苦手な人がいた時の、自分の気持ちの落としどころ。
小学生の時、同級生で苦手だなと思う子がいた。
自分が絶対に真ん中
その子よりも秀でるとすぐに機嫌が悪くなる
順番に一人ずつ仲間外れにする
感情の起伏が激しい
どこに地雷があるか分からない
誰の悪口でも言う etc…
なかなか刺激的な子だったなー、と書いていて改めて思う。
だからもちろん誰も逆らわない。
顔もかわいい子だったので、当時周りに人はたくさんいた。
これが大人の話なら、周りから人が減っていくのも時間の問題だ。
こんな刺激的な特徴にも関わらず周りにたくさん人がいて、一見人気者!というあたり、小学生らしいなと思う。
しかし、その子の前ではみんな合わせてはいるが、親には困っていることを言っていたのだろう。
親たちの間で一時期問題に上がっていたらしく、わたしも母に聞かれたが、小学生のわたしははっきり答えなかったと思う。
(好き嫌いがはっきりしている今のわたしとは大違いだ..笑)
そんな日々も過ぎ、同級生ではあったが友だちではないし、進学先も違ったことで気をつかうこともなくなった。
だが、10代半ばぐらいの時、その子の親が事件を起こしたと知った。
詳細は伏せるが、その事件でその子は親がいなくなってしまった。
どうやらその子の親は、長い間闘病生活を送っていたらしい。
家庭内は結構大変だったそうだ。
同級生どころかその子と仲のいい子も含め、誰一人としてそのことを知らなかった。
その子のプライドもあったと思う。
おそらく家族にも口止めしていたのだろう。
その子が当時やってきたことや人間性がわたしは全く理解できなかったが、その背景を知ってからは、家庭の鬱憤を学校で晴らしていたのかもしれないな、と子どもながらに考えるようになった。
いつも楽しそうで無邪気な笑顔の同級生たちがうらやましく、嫉妬からくるものだったのかもしれない。
言葉は良くないかもしれないが、当時を振り返るとかなりの問題児だったと思う。
しかし、背景を知るとなんだか複雑な気持ちにもなる。
大人になった今、当時のことをふと思い出す時がある。
黒い感情や嫉妬みたいなものは人間誰にでもあると思うが、それを口にしたり、他人にぶつけたり、大半の人は他人が嫌な思いをするような言動は、大人になるにつれて徐々に抑えられるようになるはずだ。
にもかかわらず、いい大人が嫌味を言ってみたり、いじわるなことをするのは、おそらく、今その人自身が満たされていなかったり、なにか上手くいっていない証拠だと思う。
本来、わざわざ他人に嫌なことを言ったり、わざわざ他人に嫌なことをしたりする必要がないからだ。
こころの余裕を完全になくしてしまっている。
大人になった今でも、職場やその他コミュニティでごくたまにそのような人に出会うことがある。
もちろん、嫌だなーと思うし、そういう人がいる場合は極力関わらなくてすむように上手く逃げている。
でも、なぜこの人はそういう言動をするのか?
過去の出来事から、そのような興味を持つようになった。
その人の背景を知ることで、自分の感情の落としどころが見つかるときもあったりする。
この手法が良いのか悪いのかはわからないが、、
「ミステリと言う勿れ」に出てくる、わたし的に結構好きなセリフだ。
この考え方が早く日本でも浸透すればいいのになぁ、と思っている。
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