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子育てに迷ったときの“保健室”
職歴は中学校の「保健室の先生」を約40年―これが、私の母である。
私のもっとも身近な子育ての先輩は両親だ。
父は中学校の理科の先生で、小学校時代は理科の実験をよく家でやってくれていた。ミョウバン結晶のオーナメント、スライム、割れないシャボン玉、カルメ焼き、フィルムケースロケット(時代的に今はもう入手不可…?)、空気砲など。今思えば教材研究を兼ねていたのかもしれないけれど、わくわくという言葉には収まりきらない興奮を“家族の時間”として覚えている。
とてもよく晴れた春の日に、近所の広場―小さな祠を中心に、ぐるりと桜の木が見守ってくれる―でペットボトルロケットも飛ばしたっけ。ホームセンターで買った丸形の雨どいをのこぎりで切って作った発射台、ロケットのおしりから延びる自転車の空気入れ、シュッシュッシュ…と素早く空気を送り込んでから発射を見守るために走って離れたこと、青空に弧を描いた簡素なロケット。実際の勉強にどれだけ役立ったかは不明だけど(数学&理科はどちらかというと苦手だった)、その情景は鮮明に刻まれているので体験としては大成功だったんじゃないかな。
父はどちらかと言うと寡黙で多くを語らないタイプであるのと対照的に、いわゆる“保健室の先生”である母はおしゃべりで、我々子どもたちの子育てエピソードをたくさん話してくれた。
保健室の先生、もとい養護教諭は、学校生活における心身の健康や怪我の応急処置を担う教員だ。なんていう説明は必要ないくらい、義務教育の9年間でほとんどの人が一度は保健室にお世話になったことがあるだろうと思う。各教科を担当する先生や担任とはちょっと違う雰囲気で、特に心の健康という面からおのずと足が向く人もいれば、あまり寄り付かない人もいたんじゃないかな。
で、なぜ養護教諭だったのか。あまりくよくよしない、あっさりとした母の性格を考えると、たくさんお世話になったからという理由はそぐわない気がする。
母の答えは「先生にはなりたいけど子どもに評価はつけたくなかった」。
なるほど、この考え方なら納得である。
と同時に、この考え方をする人だから保健室の先生としてやっていけたんだろうとも感じた。学力面を中心にその子を評価するのではなく、居場所を必要としてくる子を迎え、一人の人間として寄り添うことに集中できるものね。
そんな母の子育ては、基本なんでもそつなく要領よくこなしていく姉・さと(手前味噌で恐縮ですが)と、感受性が非常に豊かで優しく、得手不得手がある弟との毎日。同じ親から生まれて同じように差別なく育てているのに、こうも違うのか!と驚くことが多かったらしい。
その驚きや子育てのおもしろ場面をエピソードとして話してくれるのが私は大好きで、ねぇあの話もういっかい聞かせて!とよくせがんでいた。こうやってnoteを書こうと思ったのも、その体験が影響しているのかもしれない。というか、影響しているんだと思う。
たとえば、こんなことがあった。弟が小学6年生の頃の話である。
通っていた英語コミュニケーションの習い事?(ちょっと説明が難しいので割愛)で、国際交流として1ヶ月間のホームステイプログラムを申し込んでいた。
このプログラムに参加するための準備のひとつに「前年度の面接」があった。まぁ面接と言っても、あなたの名前は?何歳?何をしてみたい?といった事前に分かっている簡単な質問への回答を英語で行うものだったと思うんだけど。姉を中1で行かせているし本人も行きたがってるから、と準備を進めて臨んだらしい。
そしていざ面接。問いかけられるゆっくりと聞き取りやすい英語での質問。名前と年齢くらいは答えられたのだろうか、少し長くなった質問に差しかかる頃、彼は唇をぎゅっと結んで固まり、ぽろぽろ…と涙をこぼし始めた。
その光景を前に、母は瞬時に後悔をしたらしい。
この子にはまだ早かったんだ。かわいそうなことをした…お姉ちゃんと同じタイミングじゃなくて良いではないか。
その帰り道。少し俯いて歩く息子の横を歩きながら、母は、今回はやめようかと声をかけようとした。
すると、その彼の方から、口の横に手をあて「ねぇ、おかあさん」と少し小さめの声で話しかけてくる。
「今日は楽しかったね」
なんと、この子にはあの時間が“楽しかった”になるのか、と母は衝撃を受けたらしい。
話を聞いているだけの私にも驚きである。私だったら恥ずかしくて悔しくて、とてもそんな言葉は口から出てこない。
母いわく、自分は心配のあまり自分という親の尺度でしか考えていなかった。この子の可能性を潰すところだった。
そう思い、強く反省したらしい。
弟の言葉にも驚きと価値観の違いを強く感じたエピソードだったけれど、母の反省からは子どもながらに学ぶものがたくさんあった。
血の繋がった子であっても一人の人間であり、感じ方は異なるということ。親というものは良かれと思って無意識に子からチャンスや苦労を取り上げてしまう可能性があること。最後にはきちんと子どもを信じる勇気と覚悟が必要であること。
約40年という長い期間、養護教諭を勤め上げた母はとにかく子どもを観察する。じっくり観察して寄り添うその姿勢はいま、孫たちの「ばぁちゃん」として大活躍していて、イヤイヤ期真っただ中のちーくんもばぁちゃんは大好き。
コツを学んだ!と頭では思っていても、いざその場面に直面したら思っていたように動ける自信はないから、こうして指針となる存在がいて助けてもらえることは大変ありがたいことです。
今後、このnoteでは現在の私の子育て日記に加えて、こんな「ばぁちゃん」の子育て昔話を時折振り返っていきます。
子は10人いればみんな違うからアドバイスなんてものではなく、いつもよりちょっと子どもに寄り添えるヒントやきっかけになったらいいなと願って。
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結局ホームステイはどうなったかというと、両親は本人の意思を尊重してえいや!と弟をアメリカへ送り出した。ひと月後に少し日焼けして帰ってきた弟は「オレはイエスとノーだけで1ヶ月乗り越えたぜ!」となぜか得意気。
ええと、言葉が正確にわからなくてもコミュニケーションがとれる、という自信がついて良かったよね!