SATO Yusuke
2023年10月にベトナム、ホーチミンを経由してラオスのパクセー、シーパンドンへ撮影に行きました。
たしか2015年か、2016年に、八ヶ岳に行った帰りに、写真好きだった友人の希望で清里のフォトアートミュージアムに展示を観に行った。確かプラチナプリントの展示をやってたかな。ぼくはまだ自分のデジタルカメラすら買ったことがなかったと思う。美術鑑賞は好きだったけど、何かを作るということもしてなかったし、写真というカテゴリーに特段思い入れもなかった。 普段はいないのに、たまたま館長の細江英公さんが館内にいて、カメラを下げた友人に学芸員さんが声をかけてくれて、細江さんと友人が
船着場のあるムアンセーンに着いた。日暮れまで少し時間がありそうだ。仕事を終えた人たちがのんびりおしゃべりをしている。おじさんもおばさんも若い人もいる。シーパンドンのサンセットは東南アジアで一番美しい、と言う人に会ったことがある。 その時何台かのボートが川の左側から右側へ、掛け声と一緒にやってきた。おじさんもおばさんもボートに向かって手を振っている。あれは何?とおじさんに聞くと、 「レースの練習をしているんだ。もうすぐフェスティバルがあるんだ。」 そうか、前にビエンチャンで
宿でバイクをレンタルして、島を一周してみようと思った。フロントで手続きをして鍵を受け取り、レストランの傍に置いてあるスクーターのエンジンをかけた。HONDAズーマーの125ccモデルだ。走り出してすぐ左のブレーキが壊れているのに気がついて、思わず転びそうになった。 とりあえず、壊れたブレーキはそのままで島の反対側にある小さなムアンセーンという村に向かった。途中で気がついたけど、コン島は観光客が全然居ない。ここまで一人も観光客らしき人を見ていない。シーパンドンエリアではメ
二日間、バイクを借りたり気の済むまで歩いて島を出た。次は隣にあるコン島という所に移動する。島の売店兼旅行代理店でチケットを買ってボートに乗ると、ナカサンの船着場でトゥクトゥクが待ってくれている。 チケットを渡して座席に乗り込んだ。女性の運転手が笑顔のまま、出発するよー、と言って走り出した。 振動が凄くてすぐに尻が痛くなる。大きな橋を渡り、トータル30分ほどでコン島に着いた。 島の東側にゲストハウスやホテルが少しある。その辺りで降ろしてもらった。ドライバーが、 「泊まる
長いスコールを雨宿りでやり過ごし、商店街のある島の先端に戻ると、だんだん日が暮れてきた。だけど近くの家やお店は暗いままで、どうやら停電しているようだ。腹も減ったけど、それよりも汗をかいていて着替えをしたい。 宿に戻ってシャワーを浴びようとしたら、水が出てこない。お湯が出てこないのはいいとして、水は出るだろうとたかを括っていたのでガッカリしてしまう。表に出ると宿の人がいて、 「シャワー浴びたい?一部屋だけ出るところがあるから、そこを使いな」 と、向かいの方にある部屋の
ともかく、折角着いたのだから少し歩こうと思い、島を東西に横切る道に向かった。歩かないと写真が撮れないし、ぼくは歩くために来たのだった。雨がいつ降ってもおかしくない雲行きだけど、小さい島なので、30分もあれば戻ってこれるだろう。時間はまだ正午過ぎだ。 5分くらい歩くとすぐ田んぼ地帯に出た。稲刈りが始まったあたりだろうか?黄緑色の稲が風に揺れている。 ぼうっとしながら歩いていると、後ろから犬が一匹やってきて、トコトコと早歩きでぼくを追い越して行った。遠くの方では何人かの人
10人くらいの乗客を乗せて、ボートは茶色い水の中をうるさい音を出しながら進む。皆ワクワクした顔をしていて嬉しそうだ。いくつか小島のようなのものを通り過ぎて、ボートは10分くらいであっという間にドンデットヘ着いてしまう。 短い船旅はなんだか名残惜しい。船が岸に着くと乗客の重そうなリュックが無造作に船から下ろされる。自分のリュックを拾って、ようやく島の中に歩き出した。 この島は大まかに西側と東側の2つの道沿いに宿が点在していて、宿を決めようと島の東側(サンライズ側とも言う
川沿いの土手を歩いて行くと市場の近くまで行ける。市場は西部市街地のだいたい真ん中くらいにあり、肉や野菜、魚介類のほか、携帯電話屋なんかもあってSIMカードも買える。暑い中をずうっと歩いて行ったが、陽射しも強いし、そもそも地元の人はあまり日中に歩き回ったりしていない。旅行者も少ないしけっこう視線を感じる。(別に嫌な感じはしない) やっぱりホステルでバイクを借りれば良かったかな、と何度も思ったが、当然だけどバイクの運転中は写真が撮れない。いつも後になって自分の頭に浮かぶのは、
ホステルにチェックインして、ロッカーに荷物を放り込んで散歩に行った。陽射しが強くて、ふらふら歩いている人はほとんどいない。ラオス国営航空は短距離でも機内食が出て、サンドイッチを食べたけど、けっこう腹が減っている。いつの間に14時を過ぎていた。 近所のATMでお金を下ろし、なんとなく市街地の西側にあるマーケットに行くと食堂が併設されていたので空いている椅子に座った。海外のATMを使う時は、なるべくカードを半分くらいまで差し込むタイプを使いたい。この時はカードをすっかり吸い
その後もうろうろと辺りを歩き続けて、食事をしてから夜は一番の盛り場であると言うブイビエン通りに行ってみる。思ったより人が少ないなと感じたけれど、辺りの人に話を聞くと、 「22時を過ぎると人が増えるよ!」 と元気よく教えてくれた。時間によってかなり人通りが変わるようだけど、2020年以前まではまだ人手が回復していないらしい。他人の心配をしている場合ではないが、世界も自分も、もっと元気になれ。明日はようやくラオスへ出発。 翌日、前日できなかった早起きして、宿の近くを細かく歩
そこそこ重い荷物を背負ったまま歩いたから、相当な汗をかいた。宿のエアコンが気持ちいい。荷物をベッドに放り出してすぐにシャワーを浴びた。 夜は宿のオーナーがローカルの食事に連れて行ってくれて、ベトナム料理をたくさん食べることができた。どの料理も美味しかったが、貝や海老などの海産物が特に美味しかった。新鮮なのだろうが、毎日毎日大量の貝を獲って、なぜ貝がいなくなってしまわないのかと話をした。 ここホーチミンからラオスのパクセーへ行くには、カンボジアを抜ける長距離バスが一般的だ
もう一度行ってみたい場所、と言われて思いつくところはありますか。この前の自分にとってのそれはラオスのシーパンドンというところで、メコン川に浮かぶ中洲のエリアなのだけど、2018年に行って以来、2023年の今どうなってるかなと気になって、4年ぶりにラオスに出かけることにした。 現在ラオスは日本との直行便が出ていない。タイや韓国など、どこかを必ず経由しなければならないのだが、今回はベトナムのホーチミンを経由することにした。 ベトナムはいわゆる30日ルールと呼ばれるビザ無し