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dearお文さん【久坂玄瑞①】


最初に

 久坂から妻・お文さん(吉田松陰の妹)に宛てた手紙は、まとめて涙袖帖るいしゅうちょうと呼ばれています。

 お文さんは久坂からもらった手紙を全て大事に保管しており、久坂が禁門の変で亡くなり、小田村伊之助と再婚したときも手紙を持参していました。

 再婚相手・伊之助は久坂の同志とも言える仲間で、久坂の手紙にひどく感激して、手紙で3巻の巻物を作ったそうです。

 このとき、伊之助が手紙を整理しながら涙で袖を濡らしていたことから、後世涙袖帖と呼ばれるようになったとか。

 話と逸れますが、伊之助は親友・吉田松陰を亡くしているし、その後自分が守ろうとした久坂たち同志も立て続けに没していき、ついには先妻・寿ひさも病気で亡くなっていた頃の再婚。

 寿はお文さんの姉でもあります。

 最愛(だと私は思っている)の伴侶、実の姉、仲間を亡くした者同士の結婚。

 2人はどんな気持ちだったのだろうと考えずにはいられません。


お文さん宛(文久2年3月5日)

 そんなお文さんの最初の夫久坂玄瑞だが、この手紙はなかなかヒドいです。

 大きく分けて、前半は借金の言い訳、後半はお文さんへ和歌の提案。

 どうやら久坂は梅兄(たぶん杉梅太郎のことだと思う。吉田松陰の兄)に借金をしていたようです。

 初っ端から、武士の面目を汚してはならないし、いろいろ仕方ないんだ・・・などと言い訳をつらつら。

~ゆへ金も人並よりは澤山に入申候。
これは、兄様へもよろしくおんことはりなさるへく候。

「ということで、金も人並みよりはたくさん必要なんだ。兄様にもよろしく伝えておいてください」

 言い訳がましいな、と感じたところで次の文章。

さて、薩州の日下部の妻子にはかんしんの事ども有り。

「薩摩の奥さんが日下部に小野寺十内(赤穂浪士)の涙襟集を送ったんだって!感心するよ」

 久坂はこの「涙襟集」を好んでいたようで、他の手紙にも出てきます。

はやり歌などうたふは甚見苦敷事にてひまもあれは少々和歌はよみ度事に候。
ずいぶん気晴にもなるものとそんし参らせ候。

「武士の婦人が流行歌など歌うのは見苦しいので、暇があるなら和歌をよんでみては?気晴らしにもなると思います」

 私ならうるさーい!と言いたくなるけど、久坂なりの気遣いなのかも?

 最近3枚続けて高杉さんの手紙を読んだため、久坂の手紙を読むと漢字よりも仮名が多く読みやすかったです。

 久坂だから、というより相手がお文さんだったため読みやすいように配慮したのでしょう。これがお文さんに対する何よりの気遣いかもしれません。

 あと2回ほど涙袖帖続きます。


あとがき

「高杉→桂」と「久坂→文」の手紙を比べるのも違う気がしたので、「高杉→雅(高杉の妻)」もさらっと見てみました。女性に対する手紙なら比較してもいいかなと。

 すると・・・高杉さん、特に変化はなかった!
相手が女性でも、漢字使いまくり。8割方漢字で、仮名はほとんどありません。たぶん久坂の半分も仮名を使っていないのでは。

 久坂は容姿端麗だったらしくモテることで有名だけど、手紙にもそれが表れているのかな?それか女性慣れして手紙も上手くなったのでしょうか。


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