偉人てんこもり【広島県・厳島神社】
遅めの夏季休暇に、広島と山口に行ってきました。
今回の旅は、南北朝時代の大内氏が目的だったので、「厳島は有名だし世界遺産にもなっているしな・・・」と、失礼ながらついでに立ち寄ったのですが、偉人巡りとして、とっても見応えのある島でした!
ですので山口を語る前に、宮島のルポです。
さまざまな時代の史跡があり、どんな時代が好きな人も楽しめる場所だと感じたので、良ければ読んでいってください☘️
宮島に渡る前に・・・
厳島神社がある島は宮島といい、宮島口旅客ターミナルから船で島に向かうのですが、その前に行きたかったお寺へ。
ターミナルから車で15分ほどの場所にある洞雲寺です。
こちらには陶晴賢の首塚、桂元澄、穂井田元清夫妻のお墓があります。
この中で1番有名なのは陶晴賢でしょうか。
大内氏の有力家臣であり、西国無双の侍大将とも言われました。
主君である大内義隆を滅ぼした後、毛利元就と厳島で戦い、敗死しました。
毛利元就は陶晴賢の首実験をした後、こちらに埋葬したといいます。
桂元澄も、毛利方として厳島の戦いで活躍しました。
元澄自身は厳島には渡らず、対岸の桜尾城の城主として残り、陶晴賢に寝返ったふりをして陶軍が厳島に侵攻するよう仕向けました。
また、明治時代に活躍した桂太郎の祖先としても有名です。
穂井田元清は、毛利元就の4男です。
残念ながら有名な「三本の矢」の逸話には入れてもらえませんでしたが、彼も非常に優秀でした。
元澄が守った桜尾城の最後の城主として知られています。
戦いの舞台となった場所に行く前に、これら3名の方のお墓に手を合わせました。
桜尾城跡(桂公園)
先ほどの桂元澄が城主を務めた桜尾城は、現在は公園になっていました。
元澄さんはここから厳島を睨んでいたのですね。
ゆかりの桂太郎さんによる石碑もありました。
寄り道終わります。
宮島へ。平清盛像
島についてまず最初に迎えてくれるのは、平清盛さんです!
渋くてかっこいい!
平清盛像の中でも、個人的にかなり好きです。清盛さんはやっぱり海が似合いますね〜。
厳島神社
そんな清盛さんが設計した厳島神社です。
瀬戸内海の制海権を手にしていた清盛さんは、厳島神社を厚く信仰し、お告げにしたがって社殿を海上社殿に大改修しました。寝殿造を取り入れ、繊細ながら豪華な社殿となっています。
たまたま潮が引いている時間帯だったので、歩いて鳥居まで行くことが出来ました。
潮が引いているので分かりにくいですが、真ん中に浮いているように作られている建物が能舞台です。
最初見たとき、絶対足利義満だ!と思ったのですが、調べてみると毛利元就によって築かれたものでした。
また陶晴賢との戦いで神社を汚してしまった償いとして能を奉納したそうです。
(足利義満も厳島に来ていますが、今回島を見た限りだと義満ゆかりの物はありませんでした💦)
厳島神社が全て朱塗りなので、木材の色そのままの能舞台はかなり目立っていました。
毎年4月に、こちらの能舞台で桃花祭御神能という催し物が行われるそうで、海の上で舞う能はさぞ美しいだろうなと想像しました。
宮島歴史民俗資料館
神社の出口を出て少し歩いたところにある資料館です。
見た目以上に中が広く、庭園もあり、宮島の暮らしや文化、歴史をたっぷりと学べます。
個人的に面白かったのは、地元の中学生が作ったという厳島の戦いのジオラマです。
精巧な作りで、戦いの流れが詳しい上にとても分かりやすかったです。
また、思いがけず大河ドラマ『平清盛』の撮影で使われた備品(手紙や宋剣など)の展示も見ることが出来ました。
後白河法皇御行幸松
こちらは1174年、後白河法皇が厳島神社に参詣されたときに植えたものです。説明書きには、明治初期に切り倒されたとありました。
後白河法皇も来ていたのですね。
明治初期ということは、樹齢800年くらいでしょうか。かなり大きく、子供なら中に入ることもできそうなほど幅がありました。
ここから豊国神社に入ります。
千畳閣
上の建物は、豊臣秀吉が安国寺恵瓊に建てさせたもので、重要文化財に指定されています。
"千畳"と名付けられた由来は、その名の通り千の数の畳を置けるほど広いからです。(実際には857枚敷けるそう)
しかし、秀吉の急死によって建立は中止されたため、現在も未完成のままです。畳も敷かれていません。
亡くなった途端建立を止めるというのが安国寺恵瓊らしいというか何というか・・・朝鮮出兵にも赴いていたので戦後処理などで忙しかったからだとは思うのですが、単純に完成させる気がなかったのかなとも思います。
塔の岡
豊国神社のメイン、五重塔です!
と言いたいところですが、塔の岡からの景色です。
塔の岡は厳島の戦いで陶晴賢が本陣を置いた場所です。陶軍は、ここから毛利方の宮尾城を攻撃しました。
しかし、嵐の中ひそかに上陸し、裏の山から襲いかかってきた毛利軍に対抗しきれず、陶軍は大敗しました。
ですので、塔の岡は陶本陣跡であると同時に古戦場でもあります。
宮尾城跡
お次は毛利方、宮尾城です。
城跡だと分かるようなものは何もなく、山の名前だけ残っていました・・・。山とは付いていますが標高は低く、平山城です。
しかし、この城跡からは陶軍の本陣が見えます。
陶軍が五重塔あたりにいるとすると・・・
陶軍がとてもしっかり見えます!
何より、かなり近い!
毛利元就本軍vs陶晴賢本軍の戦いも激しかったと思いますが、元就が到着するまでの宮尾城軍vs陶晴賢の戦いも熾烈を極めたと想像できます。