ひと粒の禅
飴を舐めることで禅を体験できる。
以前、京都のおみやげにもらった、ひと粒の禅、体験してみました。
7分間のカラダの旅路
飴を舐めることだけに、意識を集中したこと、あります?
私ははじめて。
ふだんの飴は何かをしながら舐めるもの。
ですが、ひと粒の飴を最初から最後まで味わい尽くすことで得られた体験がありました。
①舐める前
すぐに食べません。
まず、袋を眺めます。
全く想像できない。
だからこそ、こうだろうという予測が湧かず、初心で飴と向き合うことができます。
②袋を開け、飴をつまみます。
ベタベタした感覚、嗅いだことのない香り。
そのことにワクワクする心。
どんな味なんだろう、という思考。
③口の中へ
一瞬びっくり。
想像していなかった味。
瞬時に思考が湧きます。
ここはマインドフルネス発動。(思考に気づく)
④やがて静かに (一瞬、禅の境地)
それら思考を眺めているうちに、アタマの中が静かに。
ただ飴を舐めているという体験だけが残ります。
⑤杉の粉が出てきたら、終わりの合図
さらに不思議な感覚
口の中、ザラっとしたような感覚と、木のような香りが、カラダの中を広がります。
飴が口の中からなくなっても、少しの間その余韻と共に過ごしました。
なんて、豊かな時間。
受けとる心・豊かな時間
もし、この飴。
散歩途中にもらって食べたとしたら…
きっとポイっと口にいれて
ん?不思議な味
すぐに他の刺激に心が向き、飴への心は30秒も持たなかったでしょう。
飴だけに意識を向け続けることで、受けとれるもの。
出会えた感覚があります。
同じように、この感覚が日常生活に広がっていったら?
見るもの・触れるもの・食べるもの全てが変化することは間違いないでしょう。
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